なぜ、48歳で転職したのか

コロナ禍でつないだ自分のdots

新卒で博報堂に入社して以来24年目の、2020年4月。東京は緊急事態宣言に入った。志村けんさんが亡くなり、自分は48歳になった。少し前まで人生100年時代と言われていたのに、人はいつ死ぬか分からないと気づかされた。そんな状況で考え始めた。企業のブランドパーパスやミッションの相談に乗っている自分だが、僕自身のパーパス、パーソナルミッションは何なのか?と。ここ数年、アーリーステージのスタートアップ企業の相談相手となることが多く、何人かのCEOとも親しくさせていただいたが、みなさん自分のパーソナルミッションを持っていて、それが起業につながっていた。48歳とは彼らよりずいぶん遅いが、むしろ、だからこそ、後悔のないように自分のパーソナルミッションを考え直し、ここから先の人生を意味のあるものにしたい。慣れないテレワークをしながら、そんなことを考えはじめたのだった。

僕は、フェイスブックやツイッターで友人に記事をシェアするのが好きだ。何かしら考えさせてくれるような記事、自分の視野が広がった記事を、僕の友人にも読んで欲しいと思うから。一方で、昨今フェイクニュースや、SNS経由の情報の偏り(「フィルターバブル」=自分好みの情報だけがフィルタリングされたバブルに閉じ込められてしまう)が問題になっており、デジタル時代の情報流通の難しさも考えさせられていた。既に前回のアメリカの大統領選挙を通して、テクノロジーと情報と民主主義というテーマも浮かび上がってきていた。また考えているうちに、新卒の就職活動のことを思い出した。人々に必要な情報を届ける存在として、僕は広告とニュースの仕事に興味を持った。博報堂とNHKの内定をもらっていたのだが、よりポピュラーなコミュニケーション技術を身につけられると考え、広告会社を選んだ。そのスキルはいつか社会課題の解決に使いたいと思っていた。でも、いつしか広告づくりに夢中になっていた。

24年前の自分を思い出し、いろんな本や記事を読みあさり、Zoomで人に会って話を聞くうちに、自分の人生の様々なdotが一つの線でつながってきたのだった。仕事の中味については次回以降で書いていこうと思うが、僕は博報堂のクリエイティブディレクターから、スマートニュースのHead of Communications=企業広報とPR/企業ブランディングを統括する仕事へ転職することになった。そして、前回CHIAT\DAYのコラムを担当していただいた宣伝会議の編集者さんに、転職のご挨拶に行ったら「原田さん、また、コラム書きませんか?」と、思いがけないご提案をいただいたわけだ。これもConnecting the dots。

スマートニュースの東京Westオフィスのロビー。入った中の会議室にも、たくさん本棚がある。

次ページ 「ピボット・ターン」へ続く

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原田 朋(スマートニュース株式会社 社長室 エグゼクティブ・コミュニケーション&クリエイティブ・ディレクター)
原田 朋(スマートニュース株式会社 社長室 エグゼクティブ・コミュニケーション&クリエイティブ・ディレクター)

1996年博報堂入社、コピーライターからクリエイティブディレクターへ。2010年TBWA\HAKUHODOへ出向、2013年から1年間ロサンゼルスのTBWA\CHIAT\DAYに滞在しアドタイコラムを執筆。2016年quantumへ出向。2018年博報堂帰任。2020年12月より現職。企業広報・PRとブランディングの融合が強み。1999年日経広告賞グランプリ。2012年JAAAクリエイター・オブ・ザ・イヤーメダリスト。2013年日本PR大賞。2014年カンヌライオンズPR部門審査員。

原田 朋(スマートニュース株式会社 社長室 エグゼクティブ・コミュニケーション&クリエイティブ・ディレクター)

1996年博報堂入社、コピーライターからクリエイティブディレクターへ。2010年TBWA\HAKUHODOへ出向、2013年から1年間ロサンゼルスのTBWA\CHIAT\DAYに滞在しアドタイコラムを執筆。2016年quantumへ出向。2018年博報堂帰任。2020年12月より現職。企業広報・PRとブランディングの融合が強み。1999年日経広告賞グランプリ。2012年JAAAクリエイター・オブ・ザ・イヤーメダリスト。2013年日本PR大賞。2014年カンヌライオンズPR部門審査員。

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