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たまたま投げかけてみた質問。その問いが起点となり、面白い流れを連れてきてくれることが多々ある。
直感的に気になったら聞いてみるものだ。相手が社長だろうが大臣だろうが遠慮なく。問いから出てくるのは、答えなんかだけじゃない。そこから何か新しい流れが始まることだってあるんだから。
今回の記事も僕が聞いてみていなければ、僕はもちろんのこと、みなさんも知ることもなかった話である。その起点となった質問は、これだった。
「おうちで何か、特別な教育方針とか、あったんですか?」
皆さんもぜひいろんな人に聞いてみて欲しい。面白い人にこのことを聞くと、必ず面白い答えが返ってくる。その方が子供だった時、ご両親はどんな教育方針だったか。または、お子さんがいらっしゃる場合は、お子さんに対してされている今の教育の方針についても。
そしてこの問いを、僕が初めて投げかけてみた相手。その方は、現代美術家、椿昇氏である。
出会いは10年前の2011年11月。
その頃、僕らは震災後の東京都のイベント「TOKYO FUTURE SKETCH」というワークショップを発案、プロデュースしていた。毎週、東京都民の方々に集まってもらって、小さなスケッチブックにをそれぞれが思う未来を描き、アーティストがその全てを取り入れて大きな1枚の未来の絵として最後まとめる、というものだった。
来てもらうゲストアーティスト候補を話し合っていた時、後輩の椿遊くんがこう言った。
「親父呼びましょうか?」
そのオヤジ、というのが椿昇氏である。横浜トリエンナーレでのインターコンチネンタルホテル外壁に取り付けられた巨大バッタの作品でご存知の方は多いだろう(ご存じない方は是非検索を)。けれど、なるほどバッタの方ですか、で理解が止まっていたら大間違い。僕も、この方のその裏側の思考について触れたのは初めてで、完全に脳を殴られた。
TOKYO FUTURE SKETCHのワークショップの進め方は、アーティストによって毎回全然違ったのだが、椿さんの場合は、何年先の未来を描くか?その的を決めるところから始まった。ラスコーの壁画が描かれた年代や放射能物質の半減期まで含めての「時間の尺度」を参考に参加者の思考を促し、トポロジーや仏教などアートとは別の軸も持ち込んで、ファシリテーションは進んで行く。僕が知っているアーティスト像とは全く違う、規格外の人物に出会ってしまった。
そんな圧倒的ワークショップを見たら、もっと話が聞きたくなるわけで。もちろん終了後、飲みにいくこととなる。
近くの居酒屋で、僕の目の前で、ビール片手に並ぶ椿親子。その2人を1つの視界に捉えながら喋っていたからだと思う。こんなに面白い方はどんな教育を子供にしたんだろう、という興味がふと湧いてきて、投げかけたのが冒頭の質問である。
「椿家では、特別な教育方針って、何かあったんですか?」
「ほったらかしやったやんなあ。」まず答えたのは、息子の遊君だった。
「何も特別なことはあらへんかったな。」父、昇氏も続ける。
しかし、ない、と言いつつも、「こいつはね、やばくなってくると目でわかるから、そうなったら六甲山に一緒に登って、降りて来たらもう良くなってる。」とか関西親子の会話はテンポよく続いた。そうしているうちに突然思い出して言ったのは遊君である。
「そういえば、バスケの試合したな。」
「ああ、したな。」と昇氏。
親子2人でバスケの試合?「どういうこと?」
「僕はバスケ部だったんですけど、高2のある日いきなり、父親に『バスケで勝負しろ』って言われたんです。親父は当時、女子校の美術の教師で、バスケ部の顧問だったけど、プレーヤーではなかった。で、1 on 1(1対1)で勝負しろと。」
「ただし特別ルールがあって、俺はプレーヤー兼審判。何歩歩いてもいいし、抱きついたりパンツ下ろしてもいいと。」
「そんで、結果は?」
「僕が11対15で負けて。こんな父親に勝てなかったらバスケやってる意味ない!って怒って、バスケ部を辞めて、それから受験勉強に切り替えました。」
遊君はその結果、慶應大学に合格する。一見、それはめでたしめでたし、という感じに見えるかもしれないが、そうではない。椿父曰く、
「勉強して欲しいとかそんなことやなくて。『社会は理不尽だ』ってことを教えたかったんや。」
やり方がアバンギャルドで、伝えたいことがまたすごい。こんな親、見たことない。
僕はちょうどその頃、この伝説の授業リサーチをしていた頃だったから、「椿家のバスケの試合」は即リストに入れた。この連載でも今後、学校の授業や社員教育に加え「家庭での教育」も取り上げていくが、リサーチに家庭内カテゴリーが増えたのはこれがきっかけである。
そんなわけで、昼のワークショップ&居酒屋の会話と1日に2度も脳味噌を揺さぶられた僕は、この日から椿昇さんを師匠にした。
弟子入り志願したわけではない。勝手に師匠と思ってる、心の師匠である。しかし思っていたら、いつの頃からか「椿師匠。」と実際に口に出して呼ぶようにもなっていた。
それからかれこれ早10年、有難いことにいろんな場で、体験と会話を通じて数えきれない薫陶を受けたが、師匠の、特に教育に関する活動には1つの通底しているキーワードがある。
「サバイブ」である。
例えば、その後誘ってもらった場の1つに、椿師匠が美術工芸学科長を務める京都造形大学(現京都芸術大学)の卒展がある。
まず行くと大学のギャラリーに、現代アートやらテキスタイルやら、いろんなジャンルの学生の作品が並んでいる。ここまでは他と変わらない。しかし、見ているうちに徐々に様々な違いがわかる。
これ欲しいなあと思った作品の右下を見ると、赤いシールが貼ってある。そう、卒展で作品を売っているのだ。
プライスリストを見ると結構リーズナブルなものが多く手に入れやすい。「アートの世界では、最初につけた値段をその後のキャリアで、下げにくいから」ということもあるらしい。しかし、安すぎるのも問題で、販売価格を制作時間で割り算してみた時に、とんでもない時給であることが判明する。その辺のバランスを考えながら、学生は自分で価格を決めなくてはいけない。
そして、作品のキャプションは日英表記。初めから視野が海外に向いていることがわかる。実際この日見た作品の多くはすでに売却済みで、それは台湾や韓国のギャラリストたちがすでに買ってしまったから、とのことだった。
一方、全部が全部売れているわけではなく、そこはシビアな競争の世界。赤いシールがついてない学生もいる。だから自然と、学生の作品解説も説明というよりプレゼンになる。
つまり、これは単なる卒業「制作」展ではない。アーティストとしてサバイブしていく第一歩を肌で学ぶ、リアルアートイベントなのである。
もう1つ、あの夜のことも書きたい。
京都出張があったので、ついでに研究室に寄ってもいいですか?と椿師匠にメッセージを送ると、こんな返事。
「その日は、京都造形ねぶたの点灯式があります。来てください。案内します。」
京都の大学でねぶた?本場以外でやるそれは正直面白いのだろうか…、と思いつつ、師匠のお誘いには乗らなくてはと、2012年9月15日、夕方。京都造形大学到着。
しかし、入り口に立った時点で、わかった。ああ、まったく僕が想像してるものとは違いました、すみませんと、心の師匠に心の中で呟く。
クオリティーが高い。そして祭りと違って山車に乗せて引き回さないから、形も自由。建物に絡みついているものすらあって、楽しい。
そして日が暮れかけた18時。キャンパス内の至る所に設置されている作品が1つずつ点灯されていく。作品の周りにそれを作った学生たちが集まり、聴衆と一緒にカウントダウンしていくと、ねぶたに光が灯る。1つ点くたび、熱気が増していく。
一体これはなんなのか?歓声の中、師匠と合流し、解説してもらう。
京都造形ねぶたは、1年生向けのプログラムで、すべての学科の学生がシャッフルされたチームでねぶたをつくる。毎年テーマがあり、2012年のテーマは「種」。「タネ」と読んでも、「しゅ」と読んでも構わないがその解釈で運命が別れる。各チーム40人にファシリテーターが付くが、その人は外部から公募して採用する。技術は、本場青森から招いたねぶた師に教わる。制作期間は2週間。そして点灯式までに完成させた後、授賞式にてグランプリが発表される。
「そして、勝ったチームも負けたチームもみんな泣くねん。」とのこと。
その授業式を後ろの端っこで見させてもらう。賞はいくつかあった。フランス大使館から送られるフランス賞なんかも。そして徐々に、賞は絞られていき、ついにグランプリが発表される。
師匠の予言通り、歓喜の声とともに大泣きする受賞の40人。同時に、何の賞にもひっかからなかったチームからはすすり泣きが聞こえる。
熱い式の後、それぞれのチームは自分たちの作品の前に戻り、反省会が始まる。ファシリテーターを中心に円陣となり、ここでも涙。まるで甲子園。
なぜねぶたでこんな熱狂が生まれるのか?それは、京都造形ねぶたスーパーディレクターの椿師匠が設計しているシステムにある。
上にすでに書いた解説を改めて見て欲しい。生徒をギリギリの状態に追い込むようにすべてが設計されている。
「知らないもの同士でいきなりチームを組まされ」「ファシリテーターも外部の人」「全員がフルに動き続けなければ完成しない短期間で」「完成しなければ、点灯式という締め切りに作品は光らない」
このプロセスでは必ず衝突が起こるらしい。起こるように計算されているからである。何を作るか、初めて出会った人たちと議論して決めなければならない。学科が違う。できることも違う。時間はない。誰かがリードして分担し、手を動かして1つのものを作り上げなければいけない。
しかもファシリテーターは外部の大人。途中、トラブルがないはずがないのである。こうやってその後の物作りに必要な基礎が1年生のうちに叩き込まれる。
さらに師匠曰く「材料は紙と針金だけやから、お金もかからんねん。」
白いねぶたに、ぶつかり合う青い春。僕が見たそれは、完全に師匠の掌の上に設計された、これからをサバイブできるアート人材を育てるプログラムだったのだ。
最近、世の中を賑わせている言葉の1つにVUCAがある。Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)の頭文字を取って、要は「現代は先が見えない時代である」と言っている。
しかし人類始まって以来、先が見える時代なんてあっただろうか。そもそもずっとVUCAじゃないか?また、完全無欠な社会が完成したこともない。椿師匠が息子さんに伝えたように、そしてこのコロナ禍で浮き彫りになったように、理不尽は常である。
「社会はいつも理不尽で、時代はずっとVUCA」。
そう考えている方が、間違いない。世の中が常にそうならば、必要なのはそれに対する抗体である。社会の縮図や厳しさが、リアリティーを持ってワクチンのように注入された教育が必要である。
文部科学省がずっと掲げている「生きる力」は、一見そう意図されているように見えるが、競争させない、衝突を事前に回避する、という現場を見るに、ちょっと違うようである。現代の先の見えなさや理不尽さに合った「ギリギリの試練の設計」。椿師匠の教育事例は、ご家庭のものも、大学のものも、未知のものに抗体を持てる教育に思える。
AIがこれから提供するという効率的な学びも結構だが、どうだろう、どの時代のグレートティーチャーもやってきたように、生身の人間の方で、厳しさを教育の中にプログラミングして提供する必要が益々増すのではないだろうか。さらに人生100年時代だって言うんなら、若手だけじゃなくて、大人の方も、自分自身を鍛えて続けていかなくてはいけない。
これからをサバイブするために、どんな試練の設計をしていく?
椿師匠から盗んだことを皆さんに共有していたら、新たにそんな問いが、頭の中に浮かんできた。
これからのサバイブ計画。皆さんは、どうしていきます?