「かわいいは虹色」、東大女子一人ひとりの個性を尊重
つまり、楽しくて満足していたから、「誰に届けてどのような効果をどのくらいの大きさで生みたいのか」といったゴールを曖昧にしたまま進めていたのです。
それでも、ふんわりとなんとなくでも向かうべき方角を理解できていたのは、vol.13の編集長が、「かわいいは虹色」というテーマを据え置いてくれたからでした。これは冊子の方向性を決定するだけでなく、東大女子一人ひとりの個性を色眼鏡なしで捉えること、そこで見えたそれぞれの色を尊重することの大切さをつくり手である編集部に共有するという機能を果たしていたのだと思います。
「東大女子のリアル」を発信することでロールモデルを見つけてもらいたいという当時の編集長の想いは、本誌制作にはもちろん、モデルさんのスカウトの段階にも変化をもたらしました。現在は容姿が魅力的であるだけではなく、誌面を通して東大女子の多様性を反映できるように、学部学科・趣味・サークル・ライフスタイル・ファッション・出身等を考慮して、ご協力をお願いするようになっています。
試行錯誤の末に完成したvol.13は、ページをめくるたびに虹が重なる、編集部もモデルも感嘆する仕上がりでした。2020年11月の駒場祭もオンライン開催ということで、販売にはSTORESというECサイトを利用しました。しかし、その売れ行きは良いと言えず、購買層をみても高校生にリーチしたとも言い難いものでした。
振り返ると、vol.13の編集作業は多くの問題を抱えていました。例年の制作スケジュールが崩れ1年がかりになったことはもちろん、「かわいい」という言葉やルッキズムと向き合うという意味でも、大きな挑戦でした。
「東大美女図鑑」という名前ゆえに表に出すことが躊躇され、つまりは炎上を恐れた結果として、入稿直前になって「ボツ」になった企画もありました。これは紛れもなく、媒体として「したいこと」「すべきこと」「していいこと」の全てが曖昧で、線引きが不明確だったからこそ起こった事態だと考えています。
編集長に就任「モデルも部員も誰も傷つけたくない!」
12月上旬の全体会議で、次号vol.14の編集長の任に就きました。編集長の最初の仕事としては、各号のテーマ決めがあります。しかし、私がまず取りかかったのは次の課題でした。
ジェンダーバイアスやルッキズムへの批判が高まる昨今、『東大美女図鑑』のつくり手が伝えたいことと読者が感じ取ることの間に溝が生まれやすくなっていることについて、より具体的には「炎上」やモデル・編集部員への誹謗中傷といった加害が起こってもおかしくない状況にあります。
それは、媒体名はもちろん、内容の特性を鑑みても、もっともなことでした。部員の一人からは、「団体としての方向性を明確にしないまま『東大美女図鑑』が『かわいい』を扱うことは、相当に危険だと思う。」という強い言葉がありました。こうした現状に対して、顕在したリスクを軽減し、コンテンツの持つ「東大女子の輝く姿を紹介する」という魅力を残し続けるにはどのような方策を取るべきか。
この問いに対して、一部員だった頃なら「楽しくつくっているのだから、後ろめたいことは何もないのだから堂々としていよう。」と楽観していたように思います。しかし、編集長になった時、モデルも部員も傷つけたくないと強く思うようになりました。
そこで団体のスタンス、より正確には理念を明文化・可視化するという、ひとつの解決策にたどり着きました。これは、先述の通り私個人が抱くようになっていた違和感、「私たちがつくっているもののゴールはいったいなんなのだろう?」といった不安を解消すること、「したいこと」「すべきこと」「していいこと」の線引きを濃くすることにもつながると思われたのです。
このようにして、新刊の制作より先に、本誌をきちんと届けたい人に届けるために新たな挑戦の一歩として理念の整文は始まりました。
ルッキズムの問題はあっても、『東大美女図鑑』以外の名称が思いつかない!
「団体の理念なのだから団体の構成員の声をまず聞こう。つくり手がつくりたいもの、届けたい対象でなくては続かない。残したいところを削ってもいけないし、みんなが問題だと思っていることを放置しておいてはいけない。何より、問われることを通して団体についてより深く考えて欲しい。」そんな想いで、現在主に制作に関わっている部員に『東大美女図鑑』についてどのように考えているのか、一対一のヒアリングを重ねました。
その結果、特筆すべき事項としてあがってきたのは、やはりジェンダー、ルッキズムの問題を背景に名称を変更すべきだと考えている人が多いことでした。では代わりの名称が思い浮かぶかというと、誰も(私も)浮かばないということも、媒体の方向性が定まっていないことの証左だと考えさせられました。