なぜ私たちは英語を学ぶのか?~翻訳家・エッセイストの村井理子氏に聴く、英語学習と翻訳の関係~

図書館と丸善に通いつめた大学時代

高校時代に交換留学生としてカナダで1年以上を過ごした。高校の姉妹校が海外にあり、クラスメートも普通に留学する環境だったため、ここでも漠然と留学を選んだ。帰国後は京都外国語大学に帰国子女枠で進む。

「留学から戻ってきた当初は今よりずっと英語をしゃべっていて、会話力もあったと思う。完全に(海外に)染まってる状態で、いま思い出すと恥ずかしい(笑)」。

しかしカナダ留学中は日本語に飢えていて、とにかくたくさん日本語の本を読んでいたという。「同じ雑誌を何十回と読んだり、めちゃくちゃ活字を読みまくっていた時期」。

海外留学中に、逆に日本語の本を読みまくるという話はよく耳にする。インターネットもなくPCもそれほど普及していなかった当時、英語の勉強と並行して日本語への渇望から自然と大量の文章をインプットしていった。

「でも帰国してからは英語の本を原書で読むようになりました。外大だったのでそれは当然、みたいな雰囲気で。図書館には英語の本やDVDがたくさんあってすぐに手が届くものだったから」。

大学時代(1990年代)は今のようなストリーミング配信やNetflixなどの便利な環境はなく、洋画は『金曜ロードショー』(日本テレビ)くらいでしか観なかった。英語の雑誌や原書も今ほどは簡単に手に入らかなかったので、図書館や書店の英語本コーナーを大いに利用した。大学の図書館ではアメリカのゴシップ記事を読みふけり、すべて読んだら次はカルチャー誌、そしてファッション誌。それも尽きるとペーパーバックを適当に選んでは読み、退屈するとビデオライブラリーでハリウッド映画を観ていた。雑誌や本は英語を学ぼうという意識で読んでいたのではなく、インターネットがそこまで普及していなかったため、海外のセレブ情報を得ようと思ったら雑誌を見るしかなかった。

書籍の翻訳をするための勉強や学校に通った経験はないという。このようにひたすら自分の興味に貪欲に本を読み続け、気づいたら今の仕事に就いていた。

次ページ 「国会中継が好きだった子ども時代」へ続く

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