なぜ私たちは英語を学ぶのか?~翻訳家・エッセイストの村井理子氏に聴く、英語学習と翻訳の関係~

翻訳は総合トレーニングというか、トライアスロン

外国語学習には「自律性」と「動機づけ」が欠かせないと言われる。当たり前のようだが、どんなにすぐれた教材を使って教師が熱心に教えても、自分が学ぼうと思わなければ効果は上がらない。動機づけ(モチベーション)の面においては、外発的な動機づけ(試験や昇給)よりは内発的な動機づけ(趣味や好きなこと)の方が長続きすることが多く、結果的に効果が高い。村井さんは自律性と動機づけの両方がごく自然に身についており、それが大きな成果を生み現在の仕事につながっているように思われた。特に翻訳は総合的なスキルが求められる作業だ。単語力や文法力といったピンポイントの要素では太刀打ちできない。

「翻訳は総合トレーニングというか、トライアスロンのような側面があって、マルチなスキルを求められますよね。そういう意味では英語学習の最大にして最高のメソッドなのかもしれませんね」。

総合的な力とは、人間力とも言い換えられるだろう。英語学習と聞くと、単語力があって発音がきれいでペラペラとネイティブのように話すことがゴールであるかのように思われるが、大事なのはそこではない。人と人とのコミュニケーションである限り、まず母語を磨くことが先だ。母語で自分の考えや思いをまとめる力がつくと、おのずと他言語への理解は深まる。さらに言語を習得することは文化を理解することでもある。

外国語を学ぶと、その言語で書かれた情報を読むことで自分の考えが広がり、深まっていく。イコール自分の世界が変わったり人間力が鍛えられるきっかけにもなり、異文化理解につながる。「外国語を学ぶ究極の目的は世界平和の実現である」という、筆者の大学院時代に指導教官から聞いた言葉が思い出された。まさにそのとおりである。言語を教える立場として、胸に刻んで進みたい。

翻訳がもたらすメリット

仕事を含めて海外の本を読むことで、村井さん自身の価値観も大きく変わってきた。「日本の中だけで日本の本だけを読んでいるっていうのはものすごく狭い世界に生きているということ。素敵な本はたくさんあるけれど、日本の本だけですべての考えを構築することの危険性はある」。

だからこそ、時に体力を消耗するトライアスロンのような翻訳の仕事を続けることに意味があると話す。「最近は本もあまり売れないし(笑)、翻訳している人間はいろいろと恵まれない環境にいるわけだけど、それを担う人がいないとこの小さな国はどんどん狭くなってくる、という危機感でやっています」。

自分の考えも歳を重ねるごとに柔軟になっているという。普通は逆である。人として内向きに入ってしまうところが、海外の文章を読むことで構築されていくゆるさがあるそうだ。自分の考えや生き方の変化は、「100パーセント、間違いなく外から来る情報ですね」と力強く語る。

知識のインプットだけではなく、日本語力が磨かれる秘訣も翻訳にある。翻訳とは、ある程度美しく作っていくことであり、話し言葉のようなものでは書けない。自分の中で美しく作りこんでいくことがひとつ一つ練習になっている、と村井さんは言う。「誰かが書いた文章を日本語にするときの作業、きれいにしていく作業が重なったことで、自分の文章もどんどん変わって磨かれていくと思います」。

英語教育において会話を重視することも大切である。しかしその国の歴史、習慣、文化などを「訳す」「読む」作業で知ることこそが、外国語学習が持つ意義ではないだろうか。翻訳は読む力だけでなく、人間性を磨くきっかけにもなりうる。英語による人間同士のコミュニケーションにおいても、詰まるところは人間性である。

丁寧に、しっかりと、真摯に話す話者に対しては、誰だって誠実に答えてくれるものだ。「あまりに能天気かもしれませんが、世界の半分以上の人が、それぐらいの優しさを持ち合わせていると思うんですよね」。

翻訳という世界に生きて、日本語と英語の両方を常に行き来する村井さんの言葉は、外国語を学ぶ楽しさと高揚感、そして一歩踏み出す勇気を私たちに与えてくれる。

松田佳奈(まつだ・かな)

一九七二年和歌山市生まれ。パインズイングリッシュスクール大谷校代表。和歌山大学非常勤講師。東京女子大学卒業後、英国留学。英日翻訳者を経て自身の英語スクールや大学で英語を教えている。著書に電子書籍「ほめる英語であなたは変わる!」。

 

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