幼少期―嫌いだったパン作り―
1986年、大澤さんは群馬県高崎市でベーカリーを営む家に生まれ、物心つく前からパンが常にそばにある環境で育った。家の手伝いとして自然とパン作りを言いつけられるようになり、「やりたい・やりたくない」で選ぶ余地なく、「しなければならないこと」として、大澤さんの日常にパン作りが組み込まれていった。
「夏休みの午前中、フライヤーの前に立って、ずっとパンを揚げていました。カレーパンとかきなこパンとか。それが終わらないと遊びに行けなかった。」幼少期の大澤さんにとって、パン作りは嫌々しなければならない家の手伝いでしかなかった。
その後、高校卒業後18歳から20歳まで、実家を離れ別のべーカリーに携わった大澤さん。そして再び実家で製パン業に励み、25歳で地元群馬にて独立。商業施設内で自身の焼いたパンを販売し始める。
——高校卒業後もパンに関わり続けるんですね。小さな頃は嫌々パン作りをされていたのに、歳を追うごとに心境が変わっていったのでしょうか。
いやー、変わんない。(独立しても)楽しくなかったです。最近特に思うんだけど、自分からパン作りを取ったら、ほんとに何もない。だからパンを作ってるっていうだけ。ほんとパンやってなかったら何もない人間だと思う。
大澤さんに言わせると、パンを作り続けている理由は、単にパンと歩まざるを得なかったから、ということだった。大澤さんにとってパンは、生まれた時から好き・嫌いで二分できるような場所にあるものではなく、生きるために「離れられないもの」なのだ。
独立後、大澤さんの作るパンはおいしいとすぐに評判になり、予約客も付くほどになった。「みんな“おいしい、おいしい”って言って買ってくれるんだけど、その時、自分にはなんでおいしのかがわからなかった。おやじの敷いたレールの上を歩いて、その通りにパンを作ってきただけだから、何が“おいしさ”になっているのかがわからなかった」と大澤さんは振り返る。
“自分にはパンしかない”と自覚しつつ、実のところその「パン」というものが何なのかよく理解できていない。父親のレシピ通り作ったパンを褒められているだけだから、お客さんの「おいしい」という言葉が自分の心に響いてこない。むしろ、褒められるたびに何か違うという気持ちが湧いてくる。