※月刊『ブレーン』7月号=6月1日発売、創刊60周年記念号=には、今回の対談のロングバージョンが掲載されています。
ものすごく熱が伝わる企画書だった
—4月1日の「株式会社TOKIO」の立ち上げは、インパクトのある発表でしたね。
国分:「TOKIOが3人になる」というときに、「もっと自分たちで変化を楽しまなきゃいけない時期にきたな」と思ったんですよね。解散という選択もあったし、このまま3人でタレント活動だけの継続も考えていました。でも「会社」という形なら、あらゆる人たちとタッグを組むことで、僕たちが今まで見ることのできなかった景色が見られるのではと思ったんです。
そこで、まず「株式会社TOKIO」の企画書を書いてみました。メンバーに見せたあとに、友達のひとりだった箭内さんに見てもらったら「面白いね!」って言ってくれた。そこから始まりましたね。
箭内:見るからに企画書慣れしてない人がつくった企画書なんだけど、ものすごく熱が伝わってきて泣けてくるんですよ。
国分:企画書は Keynoteでつくっていたんですけど、Keynoteを開いたのも初めてで。若いマネージャーに教えてもらいながらのスタートでした(笑)。考えやアイデアは最初にメモ帳に書き溜めていましたが、それを企画書に落とし込むまでに相当な時間がかかりましたね。
箭内:その日企画書を見た日から僕は、“裏方”に回った国分太一の、さらに“裏部隊”になろうと思ったんです。それはなんでかと言うと、もちろん友情が一番にあるし、彼らのことが大好きだから。そして東日本大震災の後に、僕の地元の福島をずっと助け続けてくれている恩人だということも大きい。彼らが困ってたり何かをやろうとしてたら全力で手助けしたい、そんな想いでした。
国分:印象的だったのが、箭内さんに「ロゴはこのクリエイターさんとつくってみたいんです」って相談したら、「クリエイターは絶対入れちゃだめだよ!自分たちで全部やらなきゃだめだよ!」って言われたこと。
「クリエイターさんにいろいろなことを頼む」というのが、今までタレントとして見てきた景色だったんですよね。だから、「全部自分たちでやっていいんだ!」と。箭内さんが背中を押してくれました。
箭内:「タッグじゃなくて、3人が前に立たないと面白くない」「国分太一が考えたものをそのまま世の中に出すことこそ意味がある」と思ったんです。企画書は、熱意のあるデザインやプランであふれていたので、これを実現していくことが広告業界にも芸能界にとっても刺激になると確信がありました。
国分:仕事を続けていく中で「どうしたらいいんだろう」って迷ったときには、1度立ち止まってこの企画書を見て原点に戻っています。そういう意味でも、本当につくって良かったと思います。