「常識」に支えられていた、かつてのマス・コミュニケーション
マス・コミュニケーションの変化について、読者の皆さんとイメージを共有するために30年前の雑誌を開いてみましょう。『芸術新潮』1989年12月号、特集は「広告–目で追う!天才たちの“説得術”」。注目するのは「アリストテレスが生んだ広告の絶対哲学」の見出しが付された部分です。
さて、普通、物事をキチンと説得するためには、大前提・小前提・結論と進める「三段論法」しかありえません。ですが、アリストテレスは「省略三段論法」というレトリックを使いました。例えば、大前提「人間は死ぬ」、小前提「ソクラテスは人間である」、結論「だからソクラテスは死ぬ」というところを、アリストテレスは大前提を「常識」として省略して、「ソクラテスも人間だから死ぬ」という。「常識」を知らない大馬鹿者だと笑われるのは誰だって嫌に決まっている、という心理につけこんだ説得術です。
このレトリックを捉えて、デザイン評論家の柏木博さんが次のように解説しています。
「リーヴァイスのジーンズはかっこいい」「Tシャツならヘインズが一番」–よく見るこれらのメッセージですが、これを目にする人は、何でかっこいいんだろうと疑問をもつこと、つまり広告が前提としていることを疑うのが野暮だとされている。「これが一番いいんだぜ」といわれたときに、「えっ、どうして?」ではなくて、「そんなこと俺だって知ってるよ!」と答えなきゃいけない。人はこの広告で、ある文化がわかるヤツかどうか、受け手としての美学を試されているんです。そういう意味で、現代の広告とは、われわれの中にある、仲間外れにされることへの恐怖心へつけこんでくる性質をもっています。
30年前、「ジーンズといえばリーヴァイス」に馴染んだ世代は、すんなり理解できるでしょう。しかし、30年前に生まれていなかった世代は、「えっ、どうして?」と言えないなんて、違和感や戸惑いを覚えるのでは?–このギャップに、マス・コミュニケーションの変化が見てとれます。
大前提を省略して「これが一番いいんだぜ」という広告が訴求力を持ち得たのは、30年前のマス・コミュニケーションでは、受け手に「常識」が共有されていると前提できたからです。しかし、多メディア化が進み、個々人がSNSで多様な意見を発信できる現在では、みんなに共有される「常識」を想定することが難しくなっているのです。