「大勝ちできなくても負けなければ次の試合ができんじゃないか」ってマインドで。
澤本:すごいね、いろんな話がある。
権八:本当ですよ。
澤本:そういうのを経験されてる人が書いた本だから、「こんな世界なのね」っていうのがリアル。もちろんフィクションだけど。
松尾:僕の近くにいらした澤本さんでも、読んでて「こんな光景は見たことないな」ってありました?
澤本:ほとんどそうです。だって僕は松尾さんが保護してくれてたから、いいところしか見てないですもん。いい面しか見ていないけど、これ読むと「大変な世界だな」って思うじゃないですか(笑)。
松尾:ただ僕が思うのは、綺麗事言うわけじゃないんだけど、視座の据え方によって悪役に見える人もいるんだけど、「悪役はいても悪人はいない」っていう大前提で。少なくともそこを信じてやらないとこの仕事できないかなって思っちゃうんですよね。
澤本:こう言うと褒めちぎってるみたいですけど、“音楽プロデューサー”っていう人の概念は、僕は松尾さんで変わりましたもん。お話を最初にしたとき、すごいロジカルで知的だなと思って。「こっちの方向でこの方々はこういうふうな方向でやりたいから、こういうふうな歌詞ができるのは澤本さんだと思います」みたいな言い方されるから。
権八:論理でね。
松尾:小説の中でも出てきますけど、スタジオの中で生まれるマジックには期待してないんですよ。そこはおさらいの場所ぐらいで、スタジオ入る前にほぼ決まってるっていうつもりでいます。だって“マジック”って言葉自体、「起こらないかもしれない」からマジックなわけでしょう。「それ当てにしてどうすんのよ」って。なんでこんな単純なことみんな気づかないんだと思うんだけど。
そこは「なぜ音楽やってるか」ってとこに行き着くんです。「それ(マジック)を期待して、みんなこの仕事好きでやってんじゃないんですか?」って言われてみると、ミュージックマインドとビジネスマインドの両立は難しいなと思いますよ。そこをずっと待ってると、気がつくとおじいちゃんになっちゃうから、どっかで結果を出さなきゃいけない。だから、いい意味でのある程度の諦めも必要で。「大勝ちできなくても負けなければ次の試合ができるんじゃないか」ぐらいの割り切りを持てる人が、こういうことを仕事にできるのかなって気がしますね。
ただ、音楽の世界の人は、子どもの頃からミュージシャン以外(の進路を)考えていなかった、中学を卒業してすぐプロになった人、もしくは実際に中学生ぐらいからミュージシャンのバイトやってたみたいな人もいれば、僕みたいに30歳になってから作曲を始めたような人もいるわけで。
中村:そうなんですか。
松尾:楽器はやってましたけど、曲づくりをやろうなんてことは全然思ってなかったですね。
中村:そんな感じで、曲はつくれるもんなんですか。
松尾:「やったらできた」っていうことなんだと思いますよ。山下達郎さんに、「この人はやったらできたっていうタイプだからさ」って言われたので。ただ、自分のことはわからないけど、周りの人を見るとわかりません?例えば、リリー・フランキーさんなんて、ストイックにお芝居の稽古をやってきたわけじゃないことはみんな知ってるじゃないですか。だから(やったらできたっていうタイプは)いらっしゃるんですよね。僕はもちろんそんなレベルの話じゃないけど。いろいろやれるんであれば、やってみたらいいなとは思いますよ。そのときの本業を精神的にも経済的にも脅かさないものであれば(笑)。日々生活していくっていうのはもちろん大切なことなのでね。
澤本:松尾さんは「やったらできた」みたいなことをおっしゃいますけど、ベースとして頭の中に異常な量のアーカイブあるじゃないですか。
松尾:そうですね、それはありますね。
澤本:アーカイブの量が、そういうのを規定する部分があると思っていて。日本で言うとR&Bの知識量について松尾さんを超える人はいないだろうって思いますし。
松尾:一次情報もすごく多いですからね。僕は20代の頃、アメリカやイギリスとか行ったり来たりしてたのですが、そこでいろんな情報も人脈も得られました。それで「しばらく10年ぐらいはプロデュースできるだろうな」って、プロデューサーを始めた頃も思ってました。だけどその先、まさか自分で作曲するとは、まさか川上に立つとは思ってもなくて。だから今も楽しんでますね。ただ、そんな激流に身を任せるほどのアドベンチャースピリットもないんですよ。