バーンバックだけが成し得た、ニーチェ的な「超人」のクリエイティブ革命
最後の広告哲学者は、ビル・バーンバック(1911-1982)です。バーンバックこそは、今日の広告のクリエイティブにおいて最も影響力のある人物でもあり、ある意味では伝説化された「天才」のため、きちんと理解されていないレジェンドでもあります。
ビル・バーンバックは、ネッド・ドイル、マクスウェル・デーンとともにDDBを1949年に設立し、フォルクスワーゲンやエイビスといったクライアントに対して、当時としては斬新な「エイビスの私たちは二番手です。だから一層努力します。」のようなコピーや、また現代の眼で見てもシンプルで美しい広告(フォルクスワーゲンの雑誌ニューヨーカーに掲載された一連のプリント広告)を生み出しました。
バーンバックのクリエイティブ革命とは、当時コピーライターとアートディレクターは別々に作業し、特にコピーライターが書いたコピーをもとに広告が作られるのが常識だった時代に、「クリエイティブチーム」として協業するスタイルを作り出したことです。
オグルヴィは「広告はブランドの連想を強化する」ためにあると考え、それでは「それをどう伝えるか」という点にクリエイティブの主眼が置いたため、このようなアプローチをとったと言われています。つまり、コピーは単にメッセージを伝えるための中味ではなく、どんなフォントを使い、どのような文体で、どのくらいの文章量で伝えるか、ということ自体が「ブランドの連想を強化する」ひとつの要因と考えられたからです。コピーライターが、アートディレクターの意図した美的な効果を妨げることがないように、協業することが必然的だったからです。
バーンバックは、リーブスと同様に「広告はセールス」であると断言してはいるのですが、広告が売り込みを成功させるためには「説得のアート(芸術)」が必要だと主張しました。彼は、広告が持っている審美的な価値を評価し、またオグルヴィが発見した「ブランドイメージ」を強化するための連想のためのアートを積極的に突き詰めました。バーンバックの広告が今でも美しく意味あるように見えるのは、リーブスと違って、彼がターゲットしたアメリカの中産階級の読者層の「知性」を想定しているからなのです。
このような一般的な広告のメッセージの本質や、商品に内在する価値ではなく、あくまで広告の最終的な審美的な価値を最大化したバーンバックは、哲学史的にみると異端児のニーチェに似ています。ニーチェはヘーゲル的な普遍的な理性やキリスト教的な万人に対する救いそのものを批判し、キルケゴールと同様に人間個別の生きざまそのものを重視しました。しかしそのうえで、変化する世界の中で固有の人間が肯定的に生き方を見出すことを稀有な存在として「超人」と呼んでいます。バーンバックも、「天才」として、すでに業界では当たり前となっていた広告の市場調査の手法を一切用いず、彼自身が信じる「人間の本質への洞察」というものを手掛かりにしてひとつひとつの広告を制作していきました。
ニーチェがいうように、個々人にとっては抽象的で一般的な理性は救いにならず、実際は負の感情にさいなまれながら流転する世界に直面することで自分を見出す生き方を強いられるのが現実で、バーンバックのように生きられるのは本当に「超人」でしかない、という風に思えてきます。バーンバックが最も影響力がありつつも、彼のやり方そのものはクリエイティブチームとして協業すること以外には、ほとんど真面目に取り扱われていないのは、もしかしたらそのせいかもしれません。