本記事では、同志社大学心理学部の中谷内一也教授に、リスク認知研究の観点から「不安」と「安心」、そして信頼形成のメカニズムについて解説してもらいました。
※月刊『宣伝会議』8月号(7月1日発売)では、「『不安』と消費者-生活、健康、将来の不安に寄り添う」と題し特集を組みました。発売に先立ち、本誌に掲載した記事の一部を公開します。
同志社大学
心理学部 教授
中谷内一也氏
博士(心理学)。人が災害や科学技術のリスクとどう向き合うのかというリスク認知研究、および、リスク管理組織に対する信頼の研究を進めている。著書に『リスク心理学』(ちくまプリマー新書)、『信頼学の教室』(講談社現代新書)などがある。2013年RiskAnalysis誌の最優秀論文賞受賞。
むやみな安心の醸成には、なにがしかの欺瞞が含まれる
ひと言で“コロナ禍における不安”といっても、その対象は幅広い。
「自分や家族が感染してしまうのではないか」、「もし感染したら重篤化するのではないか」という、感染に関する不安。また「いつになったら事態が収束し、日常を取り戻せるのか」「この先、世の中はどうなるのか」という社会生活に関する不安、勤務先や自営の業績といった経済的な不安もある。個人の健康に対する不安から、社会の先行きに対する不安まで、不安の対象は多岐にわたっても、すべては先々の不確実性に対する不安、つまりはコロナ禍がもたらした“リスクに対する不安”といえる。リスクがあるから不安になる。それならば、可能な限りリスクを低減できれば不安も解消できるのではないか。その問いに対してリスク認知研究を専門とする中谷内教授は、次のように答える。
「私たちは様々なリスクに囲まれています。パンデミックや災害以外にも、人間関係、さらに老後の2000万円問題が話題になったように、今や長生きすることさえもリスクといえます。こうした環境でむやみに安心を醸成しようとする行為には、なにがしかの欺瞞が含まれてしまう可能性があるでしょう。またリスクをゼロにしようとするならば、そこには莫大なコストが発生してしまいます。そこで企業や行政などの組織が、生活者の不安に働きかけることができるとすれば、それはリスクをゼロにすることではなく、いかに“緩やか”にできるかだと思います」。
さらに中谷内教授は、「多くの企業や行政が“安全・安心”とわざわざ2つの言葉を重ねて使うのは、安全と安心が直結していないから」だと続ける。「安全」とは、客観的・科学的に評価できる状態を指す。一方で「安心」とは主観的なもので心理的な状態を示す。例えば「食の安全」に関して、1960年代に比べて日本での食中毒死亡者数は激減し、科学的に評価すれば安全性は高まった。
しかし人々の意識や価値観の変化、あるいは情報伝達の仕組みが変化したことから、以前よりも食に対する不安は問題になっている。客観的、科学的根拠に基づいて「安全性」を指示しても、それが必ずしも「安心」という感情の醸成につながるわけではないのだ。リスク認知研究では、ハザードに対する人びとの不安は、それぞれのリスクを管理する、管理組織や管理者への“信頼”と強く結びついていることが、明らかにされている。
「人間は、自分ひとりではすべてのリスクをコントロールすることができない。社会全体で役割分担しながらリスク低減に努めている。コロナ禍に対する不安が高まるのも、政府や自治体に対する信頼が低下している状態にあるからでしょう」。信頼とは、「相手次第ではひどい目にあう状況にありながら、任せて大丈夫と思える心の状態」だという。それでは、その信頼は何によって定義されるのだろうか。
実証研究からみる、信頼をつくるモデルとは
社会心理学における信頼研究は1940年代終盤から始まる。これらの知見からは、2つの要素「能力認知」と「動機付け認知」が、「信頼」を形づくるという基本モデルが見出されてきた。ここで「能力」とは、専門的な知識や経験、権威等。「動機付け」とは公正さや誠実さ、努力等、行動に対するモチベーションを指す。そして大切なのはこれら2つを、ただ保有しているだけではなく、相手に「認知」させることが重要だとしている点だ。さらに中谷内教授によると、信頼を形成する要素としてはそれだけでは不十分。信頼形成において最も重要なのは主要価値類似性(SVS)モデルと呼ばれる理論を基にした、「価値共有の認知」だという【図表1】。
SVSモデルとは、ある問題に関わる主要価値(Salient Value)を「自分と共有している」と感じると、その相手を信頼するという考え方だ(Earle & Cvetkovich, 1995)。中谷内教授の実証研究※1では、「高関心群」と「低関心群」に分けて、問題に対する考え方やリスク管理機関への信頼度を調査した。これによると、ある問題に対する関心が強い場合は、決定“結果”に関連する価値が重要となり、「リスク管理機関と自分とが同じ主要価値を共有する」と判断された場合に信頼が高まる。一方、関心が弱い場合では、決定“過程”の公正性や科学的合理性の評価が重要となり、そうした性質を持つ組織に対する信頼が高まるという。
「高関心群はつまり、自社の商品を普段から購入してくれているような大切な顧客。“同じ方向を見ている”“求める方向性の実現に努めている”という理解を促進する日頃からのコミュニケーションが、危機的状況に陥ったときに効果をもたらすのです」。
「自発的人質供出」で相手が安心できる状態を生み出す
—本記事の続きは月刊『宣伝会議』8月号(7月1日発売)に掲載しています。
月刊『宣伝会議』8月号(7月1日発売)
特集1 「不安」と消費者-生活、健康、将来の不安に寄り添う
〇コロナがもたらす「家計不安」
続く節約志向に、企業がとるべき対応とは
インテージ 田中宏昌
〇パンデミックというトラウマを抱えた世界で
究極のリレーションシップ「信頼」を得る
エデルマン・ジャパン 森田尚子、廣野貴士
〇世界平均よりも高い「日本人の不安感」
危機を経ることで生まれる変革に期待
マッキャンエリクソン 洪瑋琳
〇変わらぬ「利便性消費」志向に対し
「非接触」による安心訴求をすべき
野村総合研究所 林裕之
〇編集長に聞く! 読者世代の不安と企業に対する期待
朝日新聞社「Reライフ.net」 菊池功
PHP研究所「THE21」 三輪奈央
ベネッセコーポレーション「ひよこクラブ」 柏原杏子
〇節約意識と企業の提案
本田技研工業、Nupp1
〇高まる健康意識とウェルビーイング市場
住友生命、味の素、emol
特集2 「預けてもいい」と思ってもらえる関係はいかにつくれるか?
ユーザーの「信頼」が基盤のデータ利活用戦略
シリーズ特集 「映像表現」のクリエイティブ・ディレクション