17時間目:自分が使う椅子と机を、自分で作るところから始める中1の授業。

イラスト:萩原ゆか

この連載はずっと、過去に行ったことがある場所のストックから書き起こしたり、足りない分をオンラインで聞いたりして進めてきたが、今回は、17回目にして初の現地視察。

2021年6月7日。快晴。街路樹の新緑が美しい中、クルマで東京郊外へ向かう。住所で言うと東久留米市、駅で言うと西武線ひばりケ丘駅近く。

目的地は、今から丁度100年前、ジャーナリストの羽仁もと子・羽仁吉一夫妻によって作られた、学校法人自由学園。

幼稚園から大学部まであるこの学校で、ずっと注目していた教育プログラムがあって。それは、中学1年生になると男子はまず初めに、「自分が6年間使う椅子と机を、自分で作るところから始める」というもの。

面白いなあ、素晴らしいなあ、自分がそんな教育受けたら全然違う人生になったかもなあ、と思って、実は学校案内を取り寄せたことまである。もう自分は通えるわけもないのに。

今日は、その自由学園にお邪魔して、机と椅子作りの「伝説の授業」についてお話を伺う。

お話いただくのは、遠藤智史先生。先生はここの卒業生、まさに中一の時に机と椅子を自分で作る授業を受け、そして木や森に興味を持たれて、今度はその授業を通じて教える側に回られた方。

現地インタビュー。では、どうぞ。

こちらがお話を聞いた木工の教室。そして遠藤智史先生。名刺に森林文化士と書いてあるのが目を引いた。

遠藤「自由学園という学校は、『生活即教育』つまり『よく教育するとは、よく生活させることである。生活がそのまま教育である』をモットーに、まず女子部からスタートし、そして、その14年後に男子部の方ができました。男子生徒にはまずは最初に、自分で勉強する道具を自分で作らせるのがいいだろう、という事で創立者が『机と椅子を作る授業』を提案したんですね。

入学して自分で学ぶ道具を自分で作るということは、完成しないと学びがスタートしないわけですから、その当時相当尖ったものだっただろうと思います。

入学式の日、何もない教室に入ってきて、ここで何をするんだ?ってなるわけですから」

倉成「それは、びっくりしますね」

遠藤「当初は、入学してすぐに2週間かけて作っていたんですけど、時代が変わり、同時に他の授業も並行させていくために、現在では中学1年のうちに椅子を作り上げて使うという形に変えています。

今年で言うと、期末が終わった後の年末から年明けにかけて、空き時間を作って椅子を作る。細切れじゃなく、まとめて集中して取り組みたいので。

2年前まで机も作っていたんですけれども、現在は椅子を作るというところに特化してやっています。

そうやって変えつつも、自分たちが生活する道具を自分たちで作る、という部分は、現在まで80年間変えていません。

これが、中学1年生の生徒たちが作った、噂の机と椅子。

そして、この学校では、机と椅子作りと同じように、ずっと続いてきた取り組みがあって。それは、高校生が森林に入って森作りをする植林と育林です。学年としては高2か高3。

木が成長して使えるまで50年、60年かかりますが、植林を始めたのが1950年で、今年71年目。ようやくその育てた木材を使える時を迎えた。そこで5、6年前に『机と椅子作り』と『森作り』というコンテンツをマッチングさせて、現代に合わせた形で、領域を横断した学びに変えました」

「木は学校の中で育ててるんですか?」

「飯能市にある植林地の山です。市から土地を借りて木を育て、販売し、収益を分け合うという制度を利用しています。

麓の業者さんに製材するところを見学させてもらって、山から木を出すとか加工とかで、自分たちでできるところはやってみたりして。そして入ってきた中学1年生が、その木材を使って椅子を作る、という循環を作っています。

これからさらにやりたいのは、命を山に返すこと。次の時代に向けた植林を開始していく、ということを目指してやっている形です」

「すごい。自分の椅子を作る、さらに上行ってたんですね」

「狙いは、森や木の価値観を、命のある状態から子供たちに伝える、ということです。

中1からすれば、授業の時間にいきなり目の前に置かれた材料なんですが、高校生になって木を育てる立場になり、次の新入生のために木を切り出したり、加工したりする木を見て、そこでリンクする。

みんなが木工職人になったり、将来DIYをすることを目指しているわけじゃなくて、卒業後生活していく時に、木のものを大切に使っていくとか、メンテナンスできるところはするとか、そういう木とのコミュニケーション、命の大切さを感じられるように、と思ってやっています」

「6年間これで勉強するんですか?」

「そうですね。実際には中1の最後に作るんで、5年間ですね。名前書いて、学年が上がる度に持っていって、そして卒業の時に持って帰る」

「机に向き合ったとき、みんなどんな気持ちになるんですか?」

「鉄パイプの椅子と比べると、自分のもの、っていう意識はとても強いです。

あと、事前授業で必ず、高2の生徒たちが木を山から下ろしてきて、加工しているスライドの画像を中1に見せ、さらには、そもそももっと上の大先輩が、70年前に2万4千本もの木を植えて、代々育ててきたものが、今みんなの手元に届いているんだよと伝えます。先輩たちとの繋がり、自分たちのために準備してくれた想いを、木を通して知る。そうすると圧倒的に感想の違いが出てきて、感謝とか、次は自分たちがそれをする番だという意思を感じるようになりましたね。

あと机と椅子で言うと、女子部の方で最近面白い課外活動をしました。

もともと女子部の机と椅子は木製で、備品として外から購入していたものだったんですが、それを新しく買い換えることになって。この機会をうまく森や木の学びに活用できないかと思い、教員がカタログから選ぶのを辞め、生徒たちに机と椅子を考えてもらうプロジェクトにしました。森林の中にある生命について木材を通して大切に捉えてもらい、長く使えるものを考えてもらおうと。

まず初めに、今までの古い机と椅子は80年使っていたので、また同じく80年使うためにはどのようなものを創ったらよいのかと、生徒たちは木造校舎に合うデザインの模索や機能性の追求、空間との調和を試行錯誤。中1から高3までの全校生徒の身長や座高の調査もして研究を重ねました。いよいよデザインが決まり、どういった木材を選ぶべきか?と検討した結果、木材は広葉樹に行き着きました。

そして、広葉樹って誰が植えて育ててるんだろう?と調べていくうちに、日本の広葉樹は人工林の3%しかないことがわかった。さらには杉や檜のように欲しい時にすぐ買えるものではないことを知り、発注したら一体どこから来るんだろう?と調べると、我々が全然知らない行くこともできない遠くの国から、誰かが切って何かで運ばれ、自分たちの目の前に届くとわかった。

その切った森はどうなるのか?命をもらったことに対して自分たちができることはなんだろうか?それを考えたくて、なるべく自分たちが目で追える、背景を追えるところでやろうと、材料を国産材に転換し、作る業者も見直しました。

広葉樹の育成は難しいと言われていますが、そこにチャレンジしているある団体に相談したら、1つのエリアを自由学園のために皆伐して、切った後どうなるかを検証する協力をしてもらえることになって。天板だけですが、その1つ対象にした森からの木で全部作ることにしました。

桜や楓の苗を植えたら、杉や檜のように、育っていくものなのか?それを追っていくために、小学校グランド1つ分の広さの森を切ってもらって。そこから取れた13、14種類の木材を使って、天板を作ったわけです。

なので、教室の中を見てもらうと、その種類の机がまばらにいろんな色をして並んでいます。ある意味、森をそのまま教室に持ってくるとほんとはこんな感じなんですよね。自然の力で生まれた森から命をいただくということは。全部ブナやナラだったらおかしなことで。そういう衝撃を与えるプロジェクトになりました。

新しくなった、女子部の机と椅子。天板の色がそれぞれ違うので、たくさんの種類の広葉樹でできていることが一目瞭然。

その後、生徒たちを皆伐した後のその森に連れて行きました。そしたら、何もない状態を目の当たりにしてショックを受けていました。『こんなことしちゃってよかったんですか?』と。『自分たちがしてることの裏側で起こってることを、知らないで時が過ぎる怖さを感じた』とも。

これがロシアやカナダなどの遠くの国だったら、このインパクトは与えられなかった。毎年できる授業じゃないので、この時にいた生徒たちしか経験できなかったことですが、そういう気持ちを持った生徒がいて、この教室の机と椅子が目の前にある。このことを伝えていくことはできるなと」

「素晴らしいですね。自由学園には、他にどんな面白い授業がありますか?」

「私の在学中の経験から1つお話しすると、産業の時間というものがあって、これがかなりインパクトがありました。豚を育てたり、畑で野菜を育てたり、果樹からジャムを作ったり、魚を育てたり、食に関わる生物育成、生産を学ぶ選択制の授業です。

私は豚を育てる所に所属してたんですが、豚っていつも檻から脱走しようとするんですね。ところが出荷する日だけは、出てこない。人間がやることに気づいてる。その瞬間にとても辛い気持ちになりました。でも自分は毎日豚肉食べているわけで。そういうことを知った授業は印象に残ってます。

また女子部の方で1つ挙げると、昼食。曜日によって担当学年が決まっていて、生徒が全員分を作ります。一人の生徒につき、月に2回料理をすることになります。私は今、女子部に所属しているのですが、外からは一見ご飯を作ってるだけに見えていた、この授業の奥の深さというのを、最近ひしひしと感じていて。

約250人分の昼食を、十数人の生徒で作らなくてはいけない。これは、自分の分を作るだけではわからないんですね。人との協力はもちろんですが、生徒同士の思いやりとか、クラスのことを考えるきっかけになっているとか、英語や数学の主要教科と違う、学びが入っている。

自分たちで昼食を作って食べる、女子部の食堂。フランク・ロイド・ライトの弟子、遠藤新さんによる設計。

あと、男女両方の部で共通しているものでは、自治区域と呼ばれている時間。学年ごとに、講堂とか芝生とか、自分たちが責任を持って治める場所が決まっていて、そのことを自治区域と呼んでいます。これは、普通の学校でいう掃除の時間なんですけれども、ただの掃除の時間じゃない。いかに自分たちができることを考えて管理していくかが、その時間のお題というか。ピカピカにする人もいれば、いかに楽しい場所にするかを考える人もいて。生徒が学校を管理する考え方。用務員さんがやるんじゃなくて、自分たちがやるということにその時間の魅力がある。

私がこの学校に入って一番記憶に残っている活動がその自治区域だったんです。男子の食堂の周辺が担当区域だったんですが、そこにずーっと水が抜けない排水溝があって。落ち葉を取り除いても抜けなくて。中1の秋、そのことを物理の先生に相談したら、建物の図面を持ってきて下さって『君、これはすごい発見だよ』と言われた。『施工ミスだ。樋は作ったけど、排水溝が作られてない。これは君が気づいたから、君が排水溝を開ければいい。こっちに穴を開ければ外に流れるから、穴を開けよう』と言って電気ドリル渡されて。やってご覧、と任されて、そして自分でガリガリ穴を開けて。衝撃的な体験だった。なんで学校の施工ミスに、中1の自分が穴を開けてる?ってのに、最初に自由学園の面白さを感じたんですね。その時に言われた『水が抜けないと感じた疑問、その違和感を大切にして行きなさい』というのを今でも忘れない」

昼。その自治区域の時間に、学校内を歩く。芝生を整備する生徒。畑の手入れをする生徒。畑の完成度は普通の学校のレベルではない。普通のいわゆる畑のレベルだ。

女子が昼食を自分たちで作る、食堂にも足を踏み入れる。大きな花瓶に色とりどりの花が生けてある。これも、生徒が育てた花を、生徒が生けたものらしい。

鐘の音がなる。時間を知らせる鐘も、生徒が責任を持って、交代で鳴らす。生活の全部。生徒が生徒同士で運営している。

鐘を鳴らす女子生徒。この学校では、生徒たちが、生徒たちに時間を知らせる。

「遠藤さんはここで学ばれたわけですよね?卒業後、普通の学校を卒業した人と触れ合った時に、違いをすごく感じられたことはありませんでしたか?」

「あります。たくさんあります。

まず、皆さん教科書に書いてあることをいっぱい勉強してきたんだなって。その勉強で吸収した学力が自信になって、目の前の課題はマニュアルを見ればある程度解決できるっていう考え方には、自分がこの学校で付けた自信とはだいぶギャップを感じましたね。

その反対側で自分は何を学んできたか?それは、いろんなところで前に立たされてきた『責任』かなと感じています。これは、教科書から学ぶことはできませんでした。

例えば、ここの木工所を管理する生徒は高3の2人で、彼らの責任は大きなものがあります。女子だと薪でご飯を炊くので、その燃料を切らせないために燃料の委員が1人いて、その子の責任も、大きい。

授業の中で発表するのとは違うんですよね。日常の学校の中で起こっている生活、その中で与えられた使命なので、何してもやっぱり自分ごとに感じられる。

行事ごとの役割も、必ず順番で回ってきます。やりたい子がやり続けるわけじゃない。その役割に就いていなければ、周りは何もしてなくていいかというと、そんなことないということにも気づく。

全員リーダーになりますからね。いろんな立場を経験しながら、いろんなことを思いながら。組織の中にいる1人の存在、その役割と影響を意識するようになる。

この学校でそんなことを日々経験して、卒業後、世の中に出てみると…、おや?って。ミーティングとかしてても、何にも言わない人、いる意味あるのかな?みたいな意識の差は感じてました」

生活即教育。生活は、生も活も、ダブルで両方とも「いきる」と読むが、まさに「いきた教育」を、まざまざと、目の前で見せられた。

そして、最後に。素朴に聞いてみたかったことを聞いてみた。

「自由学園に勤めてると、自由とは何かって聞かれません?」

「聞かれますね。自由というと、よく責任、と言われがちですが。自由って何か?それは“よく生きる”ことだ、と今は答えてて。よく生きるってことそのものが自由だと。100年前、この学校の名前が付けられた頃は、生きることを制約された時代だったと思います。最近はそんな時代じゃなかったけど、コロナによって制約が生まれている。なので、よく生きるということと自由ということが、今、とても近い言葉なんじゃないかなと感じています」

自由とは。

そこには無数の定義と答えがあるだろうが、僕が自由学園を訪問して思ったのは。「自由は、作れる」「自由は、作ることで生まれる」ということだった。

100年前、自由学園の創設者たちは、理想の世の中を作るために、自分たちが理想と思う教育を作った。型にはまらず、まさに自由に。そして、その精神を受けついだ人たちが、世の中で、それぞれの人生で、何かを作ってきた。

また創設者たちはその理想の教育を実践するために、木を植え森を作った。その森の木が、今また、命の大切さを学ぶ、新しい教育を作っている。

机と椅子を作る授業も、目に見える形で作っているのは自分たちの道具だが、生徒たちの心の中では、たくさんの深い学びと将来に大切な精神が作られている。

作ることで、わかる。そして作ることが、次の何かを作る。未来を作る循環が作られていく。

机と椅子を作る授業から改めて学ばせてもらったのは、そんな、「作るって、すごい」ということだった。

作ろう。いま。何かを。未来の自由は、そこからのみ作られていく。

倉成英俊 (Creative Project Base 代表取締役/ アクティブラーニングこんなのどうだろう研究所所長)
倉成英俊 (Creative Project Base 代表取締役/ アクティブラーニングこんなのどうだろう研究所所長)

2000年電通入社、クリエーティブ局配属後、多数の広告を制作。2005年に電通のCSR活動「広告小学校」設立に関わった頃から教育に携わり、数々の学校で講師を務めながら好奇心と発想力を育む「変な宿題」を構想する。2014年、電通社員の“B面”を生かしたオルタナティブアプローチを行う社内組織「電通Bチーム」を設立。2015年に教育事業として「アクティブラーニングこんなのどうだろう研究所」を10人の社員と開始。以後、独自プログラムで100以上の授業や企業研修を実施。2020年「変な宿題」がグッドデザイン賞、肥前の藩校を復活させた「弘道館2」がキッズデザイン賞を受賞。

倉成英俊 (Creative Project Base 代表取締役/ アクティブラーニングこんなのどうだろう研究所所長)

2000年電通入社、クリエーティブ局配属後、多数の広告を制作。2005年に電通のCSR活動「広告小学校」設立に関わった頃から教育に携わり、数々の学校で講師を務めながら好奇心と発想力を育む「変な宿題」を構想する。2014年、電通社員の“B面”を生かしたオルタナティブアプローチを行う社内組織「電通Bチーム」を設立。2015年に教育事業として「アクティブラーニングこんなのどうだろう研究所」を10人の社員と開始。以後、独自プログラムで100以上の授業や企業研修を実施。2020年「変な宿題」がグッドデザイン賞、肥前の藩校を復活させた「弘道館2」がキッズデザイン賞を受賞。

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