ブランドも「和魂洋才」ですぐに取り入れられる日本
実は日本人はや文化と同様に、マーケティングの世界でも西欧で流行っている概念を抵抗なく取り入れるのがとても得意です。そのようなマーケティング思想も、流行ったと思えばいつの間にか忘れられますが、文化や言葉と同様に完全に入れ替わることなく、そのまま放置されて同居したままです。そして、それらは都合の良いときにまた呼び出されることになります。これは日本の市場でいえば、ブランディングやマーケティングが新しい思想として紹介されることになっても、日本の企業の基本的な考えはあまり変わっておらず、流行が終わればいつもの常識が顔を出してもとに戻るのと同じです。前述のように世界のブランド論において、日本企業の分析が何か腑に落ちないのは、このような点に原因があるように思います。
つまり、新しい考えに対して根本的に相対するような考えがないので適応能力は高いのですが、ラディカルな変化はないので、すべて表面的な道具として扱われるということです。マーケティング界隈に限りませんが、このような文化適応は、いわゆる「和魂洋才」のような言い方で正当化されてきました。
新しいマーケティング手法は確かにすぐに容易に取り入れられますが、すぐに飽きられてまた新しいものが導入されます。だから日本市場の企業のマーケティング活動には販促的な要素が強いと言われるのでしょう。いわゆる長期的な視座でのブランディングやブランドが大きく機能していないように見えるのです。新しいマーケティングは中小企業よりも比較的大企業から取り入れられることが多く、シェアの大きな企業だけで見れば表面的に変化が激しいように見えても実は安定しています。その器のような位置づけが日本的ブランドの機能といえます。
大きなものは変わらないが、表面的な手法は常に変わって見えていること、それが日本企業のブランディングが成熟していなように見える要因のひとつと言えるでしょう。