本質を中心においたブランディングが唯一のもの?
アートと同様に西欧では「ブランディング」においても、中心に視点を置いた概念が重視されます。それはすなわち、中心を置くことと「本質主義」が近しいものと捉えられているからではないでしょうか。この本質主義とは、一見世界中であてはまる普遍的な論理に基づいているように見えて、まるで遠近法の中心視点のように、西欧(ヨーロッパとアメリカを含む)の論理として世界には必ず「本質的な中心」を持つという西欧に特有な思想に基づいているからです。
ブランドコンサルタントとは常に、ブランドの中心にあるコア価値を見つけ出そうとし、それに立ち返りそれを発展させようとします。しかし、これ自体猪子氏が指摘するように、ひとつの決まった視点を中心とした西欧特有の遠近法であることが忘れ去られているのです。
西欧のブランド、ブランディング概念はしたがって、すべてピラミッドや円のように本質を中心においた構造をしています。ですが、ここで根本的な疑問が湧いてきます。本質である中心を忘れたブランドは停滞するのでしょうか?むしろ停滞とはマーケティング的には過去のビジネスのやり方に固執し、新しい機会に適応出来ないために起こるのではないでしょうか?それは必ずしも本質を失ったためとは言えないのではないでしょうか?
本質を中心においたブランディングは、精神的な病を治癒する精神分析を比喩として語ることができます。精神分析とはもともと、原因がよくわからない人の心の病気を治すために考えられたものです。それは、目に見える肉体の病気とは違い、その原因がわかりにくいため、患者本人の心に問いかけることで治療していく方法です。そしてブランディングとはある意味で、そのブランドの過去や組織を内省的に振り返ることで、ブランドの不調(病気)を治そうという試みと似ています。
しかしながら、西欧の本質を中心としたブランディングは、心の中の特定の原因がもたらす神経症を治すことはできても、統合失調症のような原因の中心がない病は治すことはできないのです。神経症は無意識の原因(本質)を治療者が本人に自覚させることで治癒が可能ですが、統合失調症は無意識だけでない精神(ブランド)全体の病気であり、ただ原因(本質)を、見出すだけでは不十分なのです。
西欧のブランディングによる本質の再発見に意味があるのは、組織においての中心、つまり経営によるリーダーシップとして機能する場合のみです。中心(本質)を自覚することで組織がまとまるわけです。一方で市場での競争そのものはリーダーシップだけでは解決しないことのほうが多いものです。それは原因が複数あり、多様な視点が求められるのです。
実際、成功するブランディングの実践とは、想像するような一人のリーダーシップによって変革していくようなドラスティックなものではなく、組織全体が抱えた問題や環境に自覚的に徐々に適応するような地味なものが多いものです。派手なブランディングと称する活動として表現されるロゴやデザイン、パッケージを大幅に変えるのは、実はビジネス的には逆効果なことが多く、ブランドは市場の変化に合わせて多くの要素、商品、価格、流通、そして広告をすみやかに徐々に適応させることのほうが大事なのです。
その意味で日本のブランドには確かに中心が希薄かもしれませんが、市場の競争に適応した多くのサブブランドを展開している企業が多いように思います。それも市場が未熟なように見えて、顧客の目が肥えたところに上手に適応したマーケティングを実践している結果かもしれません。