情報は病気の感染に似ている? 口コミは感染爆発を起こせるか?
実はこのような情報の広がりについて科学的に考えられたのは、今から60年ほど前の1960年代のことです。アダム・クチャルスキーの『感染の法則:ウイルス伝染から金融危機、ネットミームの拡散まで』(原著2020年刊)によれば、科学の分野において研究者間に情報が広がる様子が伝染病とよく似ている、と指摘したのは数学者のウィリアム・ゴフマンだったと紹介されています。そして伝染病疫学による感染の広がりを表す数理モデルは、それよりも60年以上前の19世紀末にロナルド・ロスがマラリアの伝染について研究したころに、すでに考えられていました。
このアイデアは経済学者のロバート・シラー教授の最新の著作『ナラティブ経済学—経済予測の全く新しい考え方』(原著2020年刊)でも取り上げられており、情報の流行とは病気のようにあるピークをもって広まり収束することを感染者の数の増加と減少と、情報の広がりを比較して論じています。
しかしながら情報の拡散について、伝染病の広がりと違うのは、病気は接触を通して近くの人間にしか感染しないのに対して、情報は離れた人にでも広がることがあること、つまり狭い人たちだけの「スモールワールド」の口コミだけでは大きな感染に結びつかないなどの違いがあります。
ダンカン・ワッツなどのネットワーク科学による研究によれば、ソーシャルメディアにおける情報拡散も、実際のところ口コミではなくメディア効果をすでに持っている大きな結節点(つまりすでに人気のある有名人やメディア)が大多数に発信するいわゆる「ブロードキャストイベント」が大きな役割を果たしていることが判明しています。
これは、マーケターが夢見るような普通の人がオンラインを通した口コミで自然と伝染病のように広まるという姿とは大きく違っています。情報が多くの人にチェーンのように拡散されることは稀で、個人個人の口コミのネットワークは、たいてい数人程度にしかつながりを持たず、口コミのネットワーク効果というよりは、感染のもとになるコンテンツがどのくらい感染力を持つか、のほうが重要になってきます。つまり、どれだけ強い感染力を持った伝染病か、ということです。
そこで再び感染症の比喩を用いて、人がその情報をほかの人に伝える力、つまりシェアしたりリツイートしたりする力を再生産数(R)として考え、感染症の数理モデルであるSIRモデル(S=susceptible感受性保持者、I=infected感染者、R=recovered免疫保持者)にあてはめます。疫学では、さらに感染力を拡大する再生産数に影響する4つの要素というものがあります。
1. 感染の持続時間
2. 伝播の機会
3. その各機会における伝播の確率
4. 平均感受性
これは、マーケティングにたとえると、次のように言い換えられます。情報を口コミで伝達させるためには、すぐに消えるような短い期間ではなく、ある程度の時間(キャンペーン期間)をかけて、なるべく多くの文脈や接触機会(メディアリーチ、タッチポイント)を持ち、人に伝えたくなる何かきっかけや内容(コンテンツ、クリエイティブ)で確率を高め、それをなるべくそのコンテンツが伝わりやすい人たち(ターゲティング)に伝える、ということです。
しかしながら、前述のクチャルスキーはオンラインにおける情報の感染力(再生産数)は非常に弱いもので、フェイスブックで最も多くシェアされた例でも一貫した強い感染力をもつものはほとんどなく、その再生産数は「はしかの10分の1でしかない」と言っています。
したがってマーケターがよく口にする「バイラル(=ウイルス化する、感染する)」とは、想像するような指数関数的なパンデミック(感染爆発)ではなく、オンライン上で流行しているようなトレンドはそのプラットフォーム上でわずかに知られている程度のことでしかないわけです。
口コミの感染力について、ソーシャルメディアコンサルタントのジョーナ・バーガーはその著書『なぜ「あれ」は流行るのか?—強力に「伝染」するクチコミはこう作る!』(2013年刊)で、「感情」が情報拡散において重要だと述べていますが、クチャルスキーはバーガーによる「ニューヨークタイムズ」の7,000もの記事がどれだけ拡散されたかという2011年の調査から、「感情で説明できるのは7%に過ぎない」と言っています。残りの93%は、バーガーによれば記事のもつ意外性や実務的な価値という情報そのものが持つ意味合いと、記事が誰によって書かれたか、いつどのセクションで投稿されたかという環境的な状況が大きな要因というわけです。