ナラティブが感染の適応力と社会的影響力を一致させる
ここでふたたびロバート・シラー教授の『ナラティブ経済学』を取り上げましょう。シラー教授が面白いのは、クチャルスキーやバラバシと同様に、ネットワークやコンテンツがもたらす感染効果について考えているのですが、より大きな人文社会科学的な環境からそれを考察している点です。
シラー教授がそこで持ってくるのは、「ナラティブ」という文化的現象です。ナラティブは物語のことですが、単一の事象を取り上げるのではなく、それが様々な関連した事象をまとまりとして取り上げるために用いられています。ここにバラバシがコンテンツの持つ感染力(適応力)が社会環境に左右されるという懸念を解消させるカギがあるように思います。
ナラティブという言葉は、同じ物語を示すストーリーという言葉よりも、多くの人々がすでに社会的に共有している物語や連想を示唆しています。つまり、ストーリーが作り出されるのに対して、ナラティブは結び付けられる、という言い方が正しいわけです。ナラティブというのは社会のなかに過去にすでにあったもので、それが形を変えて呼び出されるものです。したがって、感染爆発するコンテンツとは、いろいろなものをきっかけに過去に結びつけられて物語として解釈されることで社会に受け入れられて広まる、ということです。
シラー教授の視点は、同じ感染症の数理モデルを想定しつつも、よりマクロな視点でとらえているところが興味深い点です。また、この考え方であれば、バラバシが懸念したコンテンツが持つ適応力に、無名などの環境による社会的影響を小さくして、逆に過去聞き慣れたナラティブを活用することで適応力を最大化できることになります。
ナラティブとは単なる過去の似たような事象というだけでなく、人間の社会や欲求から生まれた普遍的なキャラクターや物語のパターンも示しています。このことは心理学者のユングや神話学者のジョーゼフ・キャンベルの主張でも明らかですが、文学でも20世紀以降に論じられているテーマです。特にエンターテインメント業界では、映画のシナリオのノウハウとして「ナラティブ」が語られます。それだけ、人間の本能と考えられるほど物語というのは人々にとって受け入れやすいパターンを持っているわけです。
同時にナラティブは、個人に対しての感染だけでなく、集団や組織が一体となって伝わることをイメージさせます。これは社会的影響力となるメディアが取り上げやすいことを示します。コンテンツが社会に受け止められやすい形にしてくれるというわけです。
これらのことは、実は歴史的にはPRのエキスパートである「パブリシスト」が専門的にやってきたことです。PRストラテジストの本田哲也氏が、シラー教授の書籍を参照しつつ『ナラティブカンパニー—企業を変革する「物語」の力』(2021年刊)において主張しているのも、伝統的にはパブリシストが社会に適応させる物語をメディアや社会に向けて発信してきたノウハウそのものです。実際に情報の感染の科学を事象として捉えるのは、疫学のアナロジーやネットワーク科学の知見で可能ですが、マーケターが望む肝心の感染力とその社会的影響力を最大化させるには、パブリシストのマーケティング専門力が改めて大事だということです。