広告業界のアウトサイダーぶっている僕ではあるが、たまには業界に貢献しようとしたこともある。
2018年は、ACC(広告、放送業界を中心に立ち上げられた団体。CMを中心としたACC賞などが有名)の新規事業委員会の委員なるものを仰せつかり、会議に出たりしていた。
ざっくり言うと、ACCの今後の活動はどうしたらいいと思うか?のようなことが議題だったのだが、そもそもずっと新入社員時代からお世話になっている業界団体ではあるのに、あまりにも知らないことが多くて、素朴な質問をしまくった。会員社数は?年会費っていくら?個人でも入れるんですか?会員になるとどんなメリットが?など。
僕がお付き合いしている会社の社長なら、どんなことがあったら加盟してくれるだろう?そんな想像をするといろいろアイデアも浮かんできて。会員メリットを幾つかアップデートして、基本的にこの3つを押さえるようにしませんか?と話した。「情報(最新の情報が得られる)」「交流(自分の会社の社員と、業種内&異業種の方々との交流がたくさん起こる)」「社員が褒められやすい(賞に応募しやすい)」これが叶えられたら、何社か声がけしますよ、と。
その通りだ、やろうやろう、まずは今までと違う形の、特に若手が参加したくなるカンファレンスをやりたい、とトントンと話は進んでしまい、つきましては、最初の回は倉成さんプロデュースしてください、と言われた。言い出しっぺの責任。ま、でも、たまにはご奉公も一興、とお受けした。
結果始まったのが、「ACCCCCC」という名前のカンファレンス。ACC Creative Casual Crazy Campusの略称。だが、それは完全に後付けで、ACCという団体名を生かしてCをもっと増やしたら面白いじゃんと、この名前になった。
初回の内容は、依頼されて後、考える間もなくすぐ思いついた。タイトルはこれ。
「君たちはどう生きるか in 広告業界」。
当時「君たちはどう生きるか」の漫画版がバカ売れしていたからというのもあるが、みんなこれから何を目指して、この業界で働いてくつもり?というのを、オープンな場で話し合ってみたかったからだ。年長者は年長者で、若手は若手で、中堅は中堅で、広告業界の人たちは昨今ずっと、それぞれの立場で悩んでいるように見えていたから。
同時に、一緒に登壇したい人も、すぐ3人思いついた。
1人目は、NHKの高木徹さん。『戦争広告代理店』の著者と言えばお分かりになる人も多いだろう。この本を書いた本人を、広告のイベントにお呼びしたらインパクトあるよなと、ずっと思っていた。高木さんの著書は、他にも好きなのが多いし。(バレンタイン監督について書かれた本はマネージメントの座右の書。オススメです)
2人目は、都心のおしゃれな八百屋「旬八青果店」のブランディングを手掛けていた牧野圭太くん。広告賞とかを狙って仕事してるわけじゃない、最近稀に見る素直な仕事だと思っていたから、業界若手素直代表として、目をつけていた。
3人目は、糸井重里さん。レジェンド枠、ではない。たまたまその頃何度か打ち合わせでご一緒していたからお誘いしやすかった、というのもある。が、本当の理由はこれ。
僕が新入社員だった2000年の朝日広告賞。その時の審査委員長が糸井さんだった。新人の登竜門として挑戦した、その作品募集のHPに載っていた審査委員長メッセージ。それを僕はコピペして、プリントアウトして、ずっと持っていた。それは、こんな言葉で始まる。
「『広告以外の世界と競争できる広告を。』
ぼくらが、そして、朝日広告賞に応募しようとしているあなたが、ライバルとして意識しなければならないのは、広告ではない。
現在も、過去も、あなたはあなた以外の人が作った広告を目標にしたり、競争相手にしたりしてはいけない。ぼくは、そう思う。(中略)
あなたの作ろうとしている広告も、他の広告と戦っているのではない。映画や、小説や、マンガやテレビ番組や、ゲームや、恋人や、ともだちや、もちろん携帯電話などという、もっと興味深いかもしれないものを、競争相手にして戦っているのだ。(後略)」
いろんなジャンルでアイデアを出していきたい、その入り口として広告業界に入った僕は、この文章にとても共感し、心の壁にずっとこの言葉を貼っていた。実際デスクの前に貼っていたこともあったかも。君たちは、僕たちは、広告業界でこれからどう生きるか?について話すとしたら、糸井さんは僕の中では外せなかった。
(この本当の依頼理由は、糸井さんには、当日ステージ上でバラした。「俺は昔からいいこと言ってるんだよ〜」とおっしゃったが、まさかこの文章を取っている人がいるとは想像もされなかっただろう)
というわけで。
この3人をお招きして、司会をやることになったのだが、糸井さんと壇上で話すにあたり、どんなノリ?どんなカウンターを発しがち?などトークの予習をしておきたいなと思った。何を「教材」に予習しようかなあ?
その時にふと、思い出したのが「YOU」だった。
YOUというのは「1982年から5年間放送された10代・20代の若者向けトーク番組。初代司会者にコピーライターの糸井重里を起用。毎回のテーマに若い世代の日常生活を取り上げ、スタジオには視聴者代表の若者が出演して討論するスタイルが、若い世代の共感を得た。」(NHKアーカイブスHPより引用)という80年代の伝説の番組。
これについては、会社の打ち合わせで、10歳以上年上の先輩たちがよく話していて。YOUで、それ出てきたよね、とか。オープニングがどうのこうの、とか。僕らの世代はYOUの話になると、ついていけないから、いつもただポカンとして待つしかなく、悔しいからいつかチェックしなきゃなと思っていたが、それから10年くらいサボっていた。
糸井さんのトークを、YOUでチェックしたら、一石二鳥になる。よし、YOUをついに見よう。
その映像はどこで見れるか?というのも、10年前すでに調べてあった。知り合いの録画マニアK氏が持っている。「あれ、ついに貸してもらえませんか?」「OK」と、即、貸してもらえることになった。
35年と少しの時間を超えて。初めてのYOU。再生する。
まずのっけから驚くのは、オープニングの豪華な布陣。映像 by 大友克洋さん、テーマ曲 by 坂本龍一さん。ただ、動画じゃなくて静止画が繋がっていくオープニングなので、どうしても時代を感じる。登場される方々や参加者の、髪型、服装、喋り方についても、逐一時代は感じる。忘れちゃったけど、自分が小学生の頃の世の中って、こんなだったんだな、と。(気になる方は「YOU NHK」で画像検索してみてください)
番組内で、出演者と視聴者代表の若者が討論する、そのテーマも、これまた当時の雰囲気をふんだんに纏ったもので、「ナメず シラケず ツッパラず~サラリーマンは不滅です~」、「パソコンなんか怖くない」、「今なぜかお見合いがうけている ~適齢期ギャルが大集合~」、「ムムッ! 女子高 男子校」。そして、「2025年 僕たちも老人と呼ばれる」なんて回も。
まあ、僕らの今の時代も、35年後、こんな風に「時代を感じるよね」なんて、どっかの連載に書かれたりするのだろう。
さて。僕が送ってもらった回のテーマはこれだった。
「誰でもミュージシャン 坂本龍一の音楽講座」(1982年6月12日放送)
偶然か、運命か、今日紹介する伝説の授業と出会ったのは、そのビデオの中でである。
約50分の番組中、坂本龍一さんによる音楽の授業がいくつか行われるのだが、オープニングから10分後あたりに行われた実験に、目と耳と、そして脳ミソまでをも奪われることになる。
それは、「ゲストの矢野顕子さんに、スタジオでライブでピアノの弾き語りをしてもらう。その曲を採譜(譜面に起こす)し、その譜面を元に、音大生がピアノ演奏&歌うと、どうなるのか?」というもの。
使われた曲はこれ。童謡「さっちゃん」の矢野顕子さんアレンジ。
この曲は、Apple Music 他でも聴けるので、まず聴いてみてもらうのがいいかもしれない。
(ぜひ読み進める前に、今、どうぞ。
そして聴きながら続きをお読みください)
かなりアレンジされたこの「さっちゃん」を、まずYOUのスタジオで、矢野さんが弾く。
「さ〜♪ あ〜♪ ちゃんはねぇ♪」
と、始まるこのライブ。聴いたことないさっちゃんが流れてくるとともに、矢野さんの才能が爆発する様が画面に映る。
全体的にJazzっぽくあり、疾走感もあり、間奏は矢野顕子だな〜という感じで、悲しい歌詞の部分は息を潜めるような曲調に変わり、そして最後またアップテンポで終わる「さっちゃん」。
これが本当に、ヤバい。スタジオの80年代の若者一同も、完全に聞き入っている。
数分間のその超絶ライブが終わると、矢野さんと、音大生2名(ピアノ奏者と歌い手)とが、チェンジする。
そして、その2名が、採譜された矢野顕子風さっちゃんの譜面を見て、矢野さんと同じピアノで、演奏と歌を始める、のだが…
そこで再現されたのは。全くの別物だった。
譜面に書いてあるアレンジはアバンギャルド。なのに、歌と演奏は教科書通りのステレオタイプ。そのチグハグさが目立って、見ているのが辛くなってくる…。学生が気の毒というか…。全くの別物、と書くだけでは足りない、本当に完全なる違う音楽が、出現したのだった。
音大生の演奏が終わる。そして会場からの拍手で、実験は終了する。
その後のスタジオのやりとりも少し引用する。
糸井「なんか大変な仕事させた気がするね…」(中略)
坂本「(採譜された譜面を見せながら)レコードから取った矢野顕子風さっちゃんですね。(中略)すごく細かいね」
糸「ときどき伏字があるんだけどさ、これはなんなんですか?xxxxって。言っちゃいけない言葉とか?」
坂「これは音が取れない、要するにドレミファソラシドの中に入ってないから、表せないから、x(バツ)にしてあります。これはインチキじゃなくて、こういう表し方があるんですけど、クラシックにも」
糸「ちょっとこれはさ、自信無くす人も多いと思うんだけどさ、ピアノ習ってる子たちなんかさ、楽譜を見て、それを再現して、音楽っていう形でやってるわけじゃない。こういう実験をやると、なんか、表せないものがあるってことがまずわかるな」
坂「それをね、いやだっていう人もいるだろうね、きっとね。そういうのは音楽じゃないとかさ」
糸「表せないものは音楽じゃない、譜面で。(中略)ここで坂本くんに、楽譜っていうものは一体、もともとどういうもので、どう扱っちゃうわけ?というのを聞きたいんだけど」
坂「今のこの例みたいに、ピアノで弾けなかったり、楽譜で書けなかったりする(中略)それはいけないって普通されてるわけね。だけど例えば、アフリカの歌とかさ、日本でも民謡とかさ、やっぱりピアノで弾けない音がいっぱい入ってるわけ。それは五線譜じゃ表せないのね」
糸「五線譜じゃ表せない世界があると」
(後略)
たまたま借りたYOUのビデオの中に入っていたのは、こんなとんでもない音楽の実験授業だったのだ。
今回、映像や画像を貼り付けるわけにはいかなかったので、皆さんにどれだけのことを文字で伝えられたかはわからないが(皆さんの豊かな想像力で補ってください!)、どうお感じになられただろうか。
僕はこう思った。ここ最近ずっと、日本のビジネス界や教育界など、あらゆるところで起こっていることの、強烈な比喩じゃないか!と。
誰かが作った方法論を、そのままコピーしてやると、こんなことになるんだよ。その証明に見えた。
自分で考え出さず、海外で流行っているカタカナの理論を輸入して、効率的にやろうとする日本。政府も海外がやったことを真似た、日本版〇〇ばかりを乱発する日本。結局、2匹目のどじょうを狙っても、生兵法は怪我の元で、何も生まれず、成果も出ず。というのが、この失われたと言われる数十年で、たくさん起こってきたことではないだろうか。
自分で作り、自分でアレンジし、歌うべき。自分で考えて、自分の中から生み出した方法論じゃないと、素晴らしいものは生まれない。
至極当たり前のことである。その当たり前のことを忘れているのが昨今の風潮である。そして、それを、ちゃんと現実に、すごい形で見せてくれたのが、YOUのこの回である。
そして、誰かがどっかで採ってきた、コピーしたものには、五線譜じゃ表せない世界が抜け落ちている。そこにこそ感動や、革新が宿るのである。
コピーじゃなくて、それぞれが自分のオリジナルを作らなきゃ。人類70億人、それぞれがピカッと光る才能を持ち、それぞれにしか生めないものを持っているのに、日々、人のコピーするなんて、もったいない。そうでなくては、素敵な未来が、生まれるわけもなかろう。プロとして働く喜びも、どこにあろう。
だから、このビデオのことは、特に新規ビジネスを生みたい、と思っている方に見せたり、話したりしていた。そして、こう言う。
「みんな、矢野顕子にならなきゃ」と。「誰かがどこかでコピーしてきた楽譜を弾いてる場合じゃないよ」と。
糸井さんのトークの予習をしつつ、YOUから学んだことは、このことだった。我々は、みんな、矢野顕子になるべきである。
では、僕も、新しいオリジナルな何かを、生めるように。次の企画に、取り組み始めようかな。矢野さんの曲でも、聴きながら。