競技未経験ながらフェンシング協会会長に就任。 きっかけは銀メダリスト・太田雄貴からの熱烈オファー(ゲスト:武井壮)【前編】

フェンシング協会の会長就任オファーは「3回断った」

武井:6年ぶりなんですかね。

権八:そんなに?!

澤本:そうそう。僕らがこのラジオを始めてすぐの頃に来ていただいたんで。

権八:あれは神回として語り継がれる。

武井:そうなんですか?!

中村:非常に感銘を受けた。

武井:何の話をしたかもはっきりとは覚えてないんですけど(笑)。

権八:武井さんの生い立ちから。熱い話でしたよ。

武井:ありがとうございます。

澤本:子どもの頃はどういう努力されたとかって聞いて、すごいなと思ったもんね。

権八:アドタイの文字起こしの「いいね!」の数もすごかったんですよ。
<前回出演時の記事はこちら>
“百獣の王” 武井壮さんが小学生の時に発明したアルバイトとは?(ゲスト:武井壮さん)【前編】
「自分の価値とクオリティって、イコールではないんです」(ゲスト:武井壮さん)【後編】

武井:今回も、ちょっといい話ぐらいできたらいいですけどね(笑)。

権八:お願いします!

権八:期待しています!

武井:頑張ります!

中村:毎回ゲストの方にお願いしている20秒自己紹介というものがあります。この「すぐおわ」は広告の番組ということで、ご自身の自己紹介をラジオCMの秒数20秒に合わせてやってくださいと。むしろ俺らの方が自己紹介しなければいけないんじゃないかと思うんですが。改めまして武井壮さん、20秒自己紹介をお願いいたします。

武井:了解いたしました!

中村:では、どうぞ。

武井:元・陸上十種競技日本チャンピオン兼……。え~なんでしょうね……。日本フェンシング協会会長兼、「Edo All United」監督兼、百獣の王の武井壮でございます。本日はよろしくお願いいたします!

権八:肩書き増えましたね。

武井:増えましたね。何個か抜けましたけど。

権八:「Edo All United」?

武井:これは本田圭佑くんが立ち上げたサッカーチームですね。そこの監督もやりつつ。今は新型コロナウイルスの影響であんまり活動はできてないんですけど。あと先ほどもご紹介いただきました、日本フェンシング協会会長っていう役名も増えました。

権八:これはびっくりしましたよね。

澤本:フェンシングやってらっしゃったんでしたっけ?

武井:全くやったことないんですけど。取材で選手と体験で2、3回やったぐらいで。

澤本:急にオファーが来たんですか。

権八:これは散々お話されたかもしれないですけど。

武井:年明けにのんびり部屋でくつろいでいたら携帯が「ぴろん♪」って鳴って、DMが来たんですよ。そのお相手は日本フェンシング協会の前会長で、ロンドンオリンピック銀メダリストの太田雄貴さん。僕はプライベートのつながりはなかったんですよ。

権八:ありそうだけどな。

武井:ありそうで、あんまり無かったんですよ。僕の番組に一度ゲストに来ていただいたぐらいで。顔は知ってるし、喋ったこともあるっていうぐらいだったんです。そんな太田さんから急にDMが来て「何だろう」と思ったら、2021年6月のオリンピックの直前に、NF(国内競技連盟)というスポーツ団体でいろんな役職の入れ替えがあるんです。これは陸連(日本陸上競技連盟)とかもみんなその時期に行ったんですけど。そこで「うちも体制を変えて、僕が退任するんです」「今次期会長を誰がいいかなといろいろ考えてまして。僕は武井さんが一番適任だと思ってるんです」「一度お話聞いてもらえませんか」というメールが来て。「じゃあ一旦お話聞きましょうか」って電話して、自宅にも来てくれて説明してくれたというところから話が始まりました。でも僕3回ぐらい断ったんですよ。

権八:3回も?!

武井:「ちょっと無理だ」と。タレントもやってるし、フルタイムで仕事してるのにフェンシング協会の仕事をパートタイムでこなすわけにはいかないから「ちょっと難しいと思う」と。「選手の人生を変えちゃう仕事でもあるので、それは責任を負えないから、太田くんに近い、もしくはフェンシング協会に近い方にした方がいいんじゃないか」っていう話で戻したんです。でも「僕はもう武井さんしかいないと思ってるんです」っていうぐらいの熱で5回ぐらい家に来られて、説得されまして。

権八:あそこのお家ですね(笑)。

武井:あそこの家です(笑)。この間たまたま、権八さんと自宅の前でお会いしたんですよね。

中村:ストーキング的な話じゃなくて?(笑)

権八:違う違う(笑)。

武井:それで何度か話してるうちに「協会って選手のためにあるものだから、選手の声を聞かせてほしい」ということで、みんなでミーティングしたんです。「僕が会長をやるんだったら、こういうことをすると思うけどそれでいいのか」と。そしたら選手の子たちも、セカンドキャリアのことはもちろん、今のファーストキャリアもよりたくさんの人に見てもらいたい気持ちもあるし、まだまだマイナーなものからメジャーなものにしていくためにいろいろ発信していきたいという思いもわかったんです。いろんな事で「う~ん」って悩んだんですけど、太田くんは「一旦理事になってほしい」っていうことだったので、「じゃあ理事は受けます」と5月ぐらいに選任していただいて。その後、会長が互選で決まるんですけど、それでなぜか僕が最多得票で。

澤本:すごいな。

武井:ほぼ満票で決まるという状況になってしまって。

中村:理事の中から会長が決まる構造なんですね。

武井:そうですね。一旦理事になってその理事の中から次の会長を決めるんですけど、なぜか分からないけど通っちゃったんですよね。

権八:いやいや。僕このニュース見たときに、すごい納得いっちゃったんですよ。なぜならば、どう考えても適任。それはフェンシングに限らずなんですけど、これだけアスリートの気持ちがちゃんと分かってて、アスリートがどういうキャリアを積んでいくべきかも自身でわかった上で、なおかつめちゃくちゃ発信力がある。そりゃもう頼むだろうなと。それがフェンシングだったのが意外だったんですけど。逆に、太田さんが三顧の礼で何度も何度も「武井さんにお願いしたい」と思った理由はどこだったんですか?

武井:ご自身がメディアにも出られていて、発信力はあると自負してらっしゃった。「僕がメダリストになってテレビにたくさん出て、スポンサーもだいぶ増やせた。つながりができたし、会長としてのムーブメントはしっかりとできたと思うけど、まだ『発信する』『広める』っていう意味では、フェンシングを知ってる人がまだ少ない」と。実は会員数で彼が目標としていた数字があったんですけど、そこには届かなかった。「何とかそこを変えるためには、今までのフェンシング界の人では、僕以上のことは難しいんじゃないかと思う」「発信というところにフォーカスを置いて、かつ選手たちへの理解度なども含めたら、本当に僕は武井さんしかいないと思う」みたいな感じだったんですよね。

でも僕、雇われるのが嫌で“百獣の王”って名乗ってタレントを個人でやっていたんで、だいぶ悩みました。3、4カ月返事保留して。決めたのは5月ぐらいなので、僕の中ではかなりの難産でした。でも蓋開けてみたら、就任1カ月でフェンシング史上初のオリンピック金メダル獲得。すごいお土産が付いてきて、ありがたいなと思っています。

中村:最終的に「やってみるか!」って思ったきっかけは、度重なる太田さんの三顧の礼ならぬ“五顧の礼”なんですか?

武井:それもありますし、あとは選手たちの声ですね。選手たちが「自分たちの競技生活をもっと多くの人に見てほしい、そのために武井さんが思ってることはまさに自分たちに足りないところだし、僕たちも人生変えたい」っていう思いを伝えてくれたことが一番大きかったかもしれないですね。

僕のこれまでの芸能界での10年間は、マイナーだった僕をメジャーにする活動だったんです。僕のこの10年間のキャリアで得たつながりやコミュニティは、もしかしたら「スポーツの普及」にも活かせるんじゃないかなという思いもあって。「じゃあ一旦、自分だったらどういったことができるのかを試してみようかな」っていう、チャレンジ精神も途中から生まれてきて。「よし、やってやろうじゃないか」と。ただ、僕だけがやるわけじゃないので、「チームでみんなでできるならやっていきましょう」っていうことでしたね。

次ページ 「選手へ「僕がもしフェンシングのメインスポンサーだったら降りてる」」へ続く

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