バイロン・シャープ教授のダブルジョパディの法則は「統計的思考」
このカーネマンの「統計的思考」をいち早くマーケティングに取り入れた論者がいます。それはアレンバーグ・バス研究所の『ブランディングの科学』の著者バイロン・シャープ教授、そして『確率思考のマーケティング』の著者でありコンサルタントの森岡毅氏です。
バイロン・シャープ教授が「外部の視点」を提供したことは、従来の彼の主張する「ダブルジョパディの法則」のように、統計的な視点による市場の情報に基づいていることで明らかです。彼は、従来のブランドにおけるロイヤルティ信奉など因果論的な思考法に対して、統計的に見出される「基準率」と、「参照点」を持って批判したといえます。
ダブルジョパディの法則とは、ブランドにとって重要とみなされる市場の大きさと購入頻度の高さとの関係で、基準率から考えると市場シェアの大きいブランドは相対的に購入頻度が高く、小さいシェアのブランドは市場シェアだけでなく購入頻度も小さいという事実を示すものです。このような視点は、同じカテゴリーの大量のデータを統計的に捉えてはじめて理解できることです。因果論的思考では、小さいブランドが購入頻度の高いロイヤルユーザーを増やすことで市場シェアを上げるという戦略が容易に思いつきますが、実際にはそのようなロイヤルユーザーのみを増やすことは「統計的思考」では起こり得ない、ということになります。
森岡毅氏は、カーネマンが想定するそのものずばりの統計学を使って、統計的に導き出したブランドの選択確率である「プリファレンス」という変数を上げることに意味があるのであって、マーケターが過度にターゲティングやポジショニングにこだわり過ぎるあまりに、市場での購入確率を下げることに注意を促しています。これも森岡氏によって導入された「外部の視点」です。
ふたりに共通する特徴は、統計的な思考によって、従来のマーケターが陥りやすい因果論的思考から離れており、結果的にマーケティング論者によって主張が異なるような「ノイズ」が少ないことと言えます。しかし、システム1ではなく、より専門的な知識が必要な統計学的な見方によって、彼らの主張を理解するには意志的な知的努力が必要です。つまり一見すると「難しい」考えであるといえます。
消費者調査に関する「ノイズ」でいえば、バイロン・シャープ教授は、同じ消費者にブランド選考に関する調査をした後に、再度同じ質問を追跡調査する事例で、同じブランドの評価でも好き嫌いが変化したり、次回購入意向があっても実際の購買行動が変わることを示しています。これはカーネマンでいう同じ個人でも回答が異なる「パターンノイズ」に相当します。言い方を変えれば、マーケティングでとらえているブランド評価や購買行動は、統計的には確率的なものであり、それはランダムではなくある確率的なパターンによって出現するといえるのです。
バイロン・シャープ教授が「市場におけるブランドの資産」と主張する「メンタルアベイラビリティ」とは、カーネマンの用語でいえば、心理的バイアスのひとつである「アベイラビリティ(利用可能性)ヒューリスティック」を統計的に示したものです。購買の際にそのブランドが思い付くかどうかは一見、偶然的でしかも実際の購買行動との因果関係が希薄に感じられますが、統計的な確率で見ると、実際の市場シェアと相関関係が認められ、予測も可能であるということを示しているのです。
ただ、カーネマンの主張に従えば、このような心理的指標であるメンタルアベイラビリティよりも、購買場所がどれだけ多いかといった配荷率や、購買地点における目につきやすさ、棚のシェア、購買しやすさというバイロン・シャープの用語の「フィジカルアベイラビリティ」のほうが、おそらくより客観的に計測可能で、売上との相関関係が高くなるのではないかと想像できます。
いずれにせよ、マーケターが目指す実際の消費者の行動の変化に関わる変数を見つけ出すために、因果論的な思考法ではなく、より外部の視点である「統計的思考」を用いて、市場を捉えることは重要です。バイロン・シャープ教授が主張するように、これらの統計的な確率の出現は一般的な法則であって、これを逸脱した現象はほぼ皆無であるからこそ、それをないものと扱うようなノイズを排除することが必要なのです。
クリエイティブ表現の「機械的判断」と「構造化」
マーケティングの世界は科学とともに「アート(芸術)」が関わると言われるように、システム2による遅い思考よりも、直観的なシステム1が重要視されている領域でもあります。しかしながら、マーケティングがビジネスの目的を達成するための方法である限り、それを達成するための知的なものさしによる計測という判断は必ず必要になります。それが特にクリエイティブのような広告制作の領域においては、知的な計測ではなく、クリエイターによる臨床的判断や、因果論的な思考法がまだまだ主流なことは否めません。
デジタルマーケティングの隆盛によって、従来に比べてクリエイティブの効果の検証が安価になったおかげで、いわゆるABテストのような形で、どのクリエイティブが広告接触者のクリックやコンバージョンを増やすのか、という検証は頻繁に行われるようになりました。なかには様々なバージョンのクリエイティブのテストを繰り返すことでAIがクリエイティブの要素をもとに効果検証しながら機械学習し、効果を向上するようなツールも増えてきました。
これらの機械的なアルゴリズムによる広告は、前回のコラムでも指摘した通り、人間がやるよりも、ノイズが減らせることで、予測精度を高くすることができると言えます。しかしながら、この点も前回コラムで指摘した通り世の中にはいくら情報量が多くても、AIが学習できない「知り得ない情報」がある場合は、人間よりはマシだったとしても、完璧には程遠いということはあり得ます。
この場合には、広告クリエイティブのような表現のバリエーションそのものを、ただ比較してテストするだけでなく、より消費者が広告クリエイティブをどう認知し、認識し、受容し、それを評価して、行動につながるかという判断を分解して構造化してとらえることで、それぞれを計測することが必要になります。