常に問われる「日本でなぜアップルのようなイノベーション企業が生まれなかったのか?」
現在、アップルやグーグルのようなテクノロジー企業の業績が良いことは周知の事実です。近年のジャーナリズムでは、これらのグローバル企業が米国のシリコンバレー発であるためか、自然とビジネスの成功の要因の多くが米国の西海岸の組織文化や人材などにあるのではないか、という論点が目立ちます。
この事象を考えるとき、「それでは、なぜ日本からはアップルのような企業が生まれなかったのか?」という疑問につながります。日本は80年代において一時期米国を凌駕するような経済的発展を遂げており、その原動力のひとつは日本流のテクノロジーや製造に関するイノベーションであったからなおさらです。
21世紀以降のインターネットによる情報経済革命を予測できなかったことも結果してはあるでしょう。その一方で、米国で生まれたようなイノベーションを日本で起こすことができなかった要因について、さまざまな仮説が「失敗の原因」として語られてきました。
その「失敗の原因」のひとつがイノベーションを生み出すような人材の多様性と流動性です。米国がイノベーションを生み出したのは移民を受け入れるような社会の多様性と、ひとつの企業に留まらない人材の流動性にあると言うのです。実際、アップルの故・スティーブ・ジョブズ氏も父親はシリア移民、母親はドイツ系の移民でした。グーグルのCEOサティア・ナデラ氏とマイクロソフトのCEOスンダー・ピチャイ氏はインド出身です。
人材の流動性が高まれば、日本も米国のようになれるのか?
それでは日本のイノベーションの「失敗の原因」は、人材の多様性や流動性にあるのでしょうか?
このような安易な「失敗の原因」に異論を唱えるのが、経営学者の清水洋氏です。清水氏は著書の『野生化するイノベーション』(新潮社2019年刊)において、確かに世界的に見てもイノベーションは米国から生まれるケースが最も多いこと、また、特に日本は転職経験も国際比較で低いという事実は指摘しています。これらの事実が日本において既存ビジネスを破壊するようなイノベーションを生み出しにくい土壌につながっているという仮説があるのも否めないでしょう。
しかしながら、清水氏が自らの研究結果で主張するのは、イノベーションを生み出すような研究者を「出し抜き競争」するような人材流動が盛んになると、技術が未熟な段階で人が移動する傾向が高くなることです。そして引き抜いた企業が人材の成果を短期的に求めるようになることで、結果的に全体としては社会的なインパクトが大きいイノベーションを生み出しにくくなると言うのです。
「米国がそんな短期的な成果だけを求めているなら、今の米国出身のグローバル企業が生み出している社会的なインパクトはどう説明するのか?」という反論も聞こえてきそうです。それに対して清水氏は、インターネットのようなイノベーションは、民間企業のみで生まれたものではなく、アメリカの国防高等研究計画局(DARPA)の研究費の存在が大きかったからだと指摘します。だからこそ、単に日本政府が民間の人材流動性を高める施策をするだけでは、かえって優秀な人材が流出するだけでなく、イノベーションの芽が小さくなってしまう懸念があるということです。
DARPAとはもともと戦時中に研究者であるヴァネヴァー・ブッシュ氏がフランクリン・D・ルーズベルト大統領に直接進言して新設した科学技術を兵器に活用するアメリカ国防研究委員会(NDRC)が元になっています。ブッシュの氏の功績は、科学技術研究によるイノベーションがビジネスや社会にどう活用されるか、という国家的な取り組みの原型になっており、当時まったく連携が取れていなかった研究者と軍の橋渡しをすることで第二次世界大戦において米国に勝利をもたらしたレーダー技術の開発をもたらしました。
このように米国には、国家が科学技術開発をリードしてきた実績があるのです。(このブッシュのイノベーションの方法については、サフィ・バーコールの『ルーンショット』(日経BPマーケティング2020年刊)に詳しく書かれています)
失敗の型にみられる組織的バイアス
「失敗の原因」を考える際に、前回のコラムで紹介したバイアスのような問題があります。オランダのマーストリヒト大学のビジネス・経済学部のポール・ルイ・イスケ教授がその著書『失敗の殿堂』(東洋経済新聞社2021年刊)のなかで組織的な失敗を16のストーリーで説明したものがあります。
そのなかでも組織的なバイアスが作用していると思われるものが4つあります。組織的なバイアスが作用する失敗とは、外的な条件ではなく、自分たちの中にある要因によってもたらあれるものです。さきほどの日本の組織に人材流動性がないことが原因というのは、「深く刻まれた渓谷」のような組織に染みついた行動パターンが生み出すバイアスということになります。
その4つの失敗の要因は以下の通りです。
① 熊の毛皮(成功が確定する前に結論を急ぎ過ぎる)
② 捨てられないガラクタ(やめる術がわからない)
③ 深く刻まれた渓谷(染みついた思考・行動パターンから抜け出せない)
④ 右脳の功罪(合理的根拠のない直感的判断をしてしまう)
イスケ教授はこのような失敗の型を分類するだけでなく、「失敗の原因」に影響する要素として同じくオランダの異文化マネジメントに関わる組織心理学の研究の第一人者であるヘールト・ホフステード氏の「ホフステードの6次元」をもとに区別に失敗のタイプが異なることを考察しています。