2022年3月11日、岩手日報に11年前のテレビ欄が掲載された。
それは3月11日、東日本大震災の日のテレビ面。震災が起こった午後2時46分に青いラインが引かれている。そして、テレビ欄の下には、こんな言葉が綴られている。
これは、2011年3月11日の岩手日報テレビ欄。
午後2時46分までは、普段どおりの日常でした。
11年前のあの日、わたしたちが知ったのは
人は今日、何が起こるか知ることはできない
ということ。
だから今日3月11日、大切な人と話してください。
震災から6年、被災県である岩手県では、県民の震災に対する風化が急速に進んでいた。風化をくいとめ、悲劇や防災を伝えていくために、岩手日報では2017年3月11日から広告を開始。毎年同日に、テレビCM90秒と新聞広告30〜60段を掲載している。前述したテレビ欄は、今年の3月11日広告の一つである。
「震災の日の広告をするにあたっては、あの日を思い出して感傷に浸るだけや、悲しさを押し付けるだけではなく、あの地震から何を学ぶのか、あの地震の教訓を残すためにどんなアクションを設定できるか、に取り組んできました」と、岩手日報の柏山弦氏とクリエイティブディレクター 河西智彦氏。
その成果の一つが、「3月11日県民の日制定」プロジェクトだ。関東大震災が起きた9月1日のように、3月11日を公式の日にできれば10年後も100年後もメディアが悲劇や教訓を報道し続けてくれる。そこで4年間の広告を通じて多くの人から署名を集め、2021年2月に岩手県は「東日本大震災津波を語り継ぐ日条例」を制定。3月11日を「東日本大震災津波を語り継ぐ日」と定めた。
「震災から10年が経ち、世の中的には区切りがついてしまったと感じています。ただ、岩手県の行方不明者はまだ1000人以上、復興も途中です。どんどん風化していく人々の気持ちと被災地をつなぐために、新しいアクションを設定できればと思いました」(河西氏)
そのアクションを伝えるために、岩手日報が企画したのが2011年3月11日の岩手日報テレビ欄を使った広告だ。
「3月11日の新聞朝刊は、日付は3月11日ですが普通の朝刊です。つまり、人は今日何が起こるか知ることができないことの証明にもなります。そして、あの日の朝を思い出してもらうトリガーにもなります」(柏山氏)
もう一つのアクションとして開始したのは、身元不明の遺体を家族のもとに帰すべく、県警の活動をメディアとしてサポートすること。今年の新聞広告は、この問題をテーマに制作されている。
DNAが採取できない、歯型の照合ができないなどの理由で、47体の遺体がいまなお家に帰ることができない状況にある。身元不明の遺体が家族のもとに帰る手段は、行方不明者の家族からの連絡ではなく、「顔見知りかも」や「知り合いかもしれない」など「他人からの情報」に託されているのが現状だ。しかし、近年は風化が進んでいることから、身元不明者の似顔絵と特徴を掲載した県警サイトへのアクセス数や行方不明者を探す相談会への参加人数も減っている。そこで、岩手日報紙面でこうしたご遺体が家に帰れるよう、県警サイトへのアクセスを県民に訴える新聞広告とテレビCMを制作した。
「この広告がきっかけで1件でも多く情報が寄せられ、ひとりでも多く、1日でも早く、待っているご家族のもとに帰れることを祈っています。もちろん、このアクションが実を結ぶには時間がかかると思います。しかし、県民の日制定も長い道のりでした。一歩一歩続けていければと思います」と、柏山氏と河西氏は話している。
スタッフリスト
- 企画制作
- 博報堂+博報堂メディアパートナーズ+博報堂プロダクツ
- CPR
- 柏山弦、中村吉孝、高橋清基
- CD+C
- 河西智彦
- AD
- 横尾美杉
- 撮影
- 百々新
- 撮影アシスタント
- 佐藤匠