「ブランドはメーカー(送り手)がつくるものではなく、コンシューマー(受け手)の頭の中につくられるもの。」と、よく耳にします。この定義は、ブランディングの難しさ、送り手の思い通りにならないもどかしさの一面を捉えています。もちろん、第1話でお伝えしたようにブランディングの目的は、売る前に「好き」をつくることです。
ある日、ブランドを感じる出来事がありました。会社帰りに配偶者から「牛乳買ってきて」とのメッセージが入り、「バターも切れてる」と追いメール。さらに、「バターはトラピストね」と銘柄指定がありました。彼女にとって牛乳はプロダクトで、バターはブランドなのだ!生活者からの指名はブランドの証し。価格以上の何らかの付加価値がありそうです。もはや「暖簾」と同じく資産項目としてBS表に計上すべきかもしれません。実生活の中での扱いが明らかに違っているのですから。
視点を広告に戻します。クライアントから「この広告でわが社のブランディングを」、あるいは「このブランド広告でぜひ賞を」という言葉を聞くことがあります。しかし、広告でブランドはつくれません。サポーターはプレイヤーを盛り上げることはできますが、どう頑張ってもプレイヤーにはなれません。広告というコミュニケーションは、あくまでサポート役です。但し、プロダクトというプレイヤーを上手くサポートすれば、プロダクトの価値を上げることができます。これがブランディングに成功したプロダクトで、カリスマ的プレイヤーと同じ存在です。とはいえ、広告をブランディングができる魔法のように扱うのは危険です。プロダクトをブランディングするとき、広告にはその役割を担えるポテンシャルがある、というだけです。
一体、ブランドとは何でしょうか?プロダクトにオーラを纏わせ人びとを夢中にさせる、その本性を探ってみましょう。
【大人 → 時間、自由】 【子供 → 友達、謎・未知】
【女性 → 美、キャリア】 【男性 → 地位、冒険】
【田舎 → 情報、喧騒】 【都会 → 自然、癒し】
左の言葉を受けて矢印の先が示しているのは、手に入れたいものや取り戻したいものの例です(時代・国家・生活環境によって大きく異なります)。人は、無いものや失くしたものを欲しがります。それが、「憧れ」という欲求を生み出し、ブランドをつくる原動力になります。しかも、一時的な憧れだけでブランドはつくれず、長い時間をかけて培われる「信頼」が不可欠です。つまり、「憧れ + 信頼 =ブランド」。プロダクトに憧れと信頼という2大要素が加わって、ようやくブランドへと成長するのです。
トラピストバターで検証してみます。修道院を意味するネーミングが手作りのピュアで素朴な味わいを印象付け、パッケージに刷られた煉瓦造りの建物が確かな伝統と品質を裏付けています。こうした広告表現によって付加されたものが配偶者の求めるバターの理想(憧れ)にピタリとマッチし、長年の愛用によって信頼できるブランドとなったわけです。まさに油の塊ならぬ、憧れの塊ですね。
さて、ブランドの正体が分かったとしても、ブランドがつくれるとは限りません。健全なブランドは、メーカー(送り手)と生活者(受け手)のマリッジ状態をキープしています。しかも、ベテラン夫婦のように幾久しい歳月を共にしています。広告がブランディングに貢献するためには、この継続性が重要です。1つの広告ではマンネリは解消できず、フォーマットやトンマナをキープするだけでは物足りません。ブランドをつくるには、「らしくてフレッシュ」なコミュニケーションを続ける必要があります。らしい顔をキープしながら、フレッシュな一面を次々に見せていく。この積み重ねでしかブランドはつくれない(マリッジ状態は続かない)と、断言できます。
しかし現実は、そこにチャレンジすることなく敗退しています。競合(ライバル)の横ヤリや炎上騒ぎが、その要因になることはまずありません。送り手であるクライアントとエージェンシーが、自ら継続を放棄しているケースがほとんどです。3大理由があります。①「飽き」るから。必ず送り手が受け手より先に飽きてしまいます。②「広告の天敵はマンネリ」という常套句に従うから。③「新しいもの好き」という本能には抗えず・・・。自ら手放しているにも拘らず、変更こそチャレンジ精神の表れ、勇気ある決断として語られることが何と多いことでしょう。
では、変更の誘惑に負けず本気でブランディングを目指す場合、「らしい」ことはブランド・キャラクターを理解すれば実践できそうですが、「フレッシュ」を維持するにはどうすればいいのでしょうか? 例えば、各ファネルやメディア毎に投下する素材を変えることも、ブランドの一面ずつをフレッシュに見せる工夫だと思います。
仮に今、【高級SUV】のブランディングを考えてみます。ターゲットは、高収入パワーカップル。彼女に振り向いてほしいなら、ホワイトレザーシートやイルミネーションライト等、インテリアに集中する。彼を狙うなら、新型パワートレインや押し出しの強いフロントグリルにフォーカスする。それらをファネル毎にターゲットが接するメディアに集中投下して、興味喚起を最大限に引き出します。同じプロダクトであっても、彼女はエレガントなハイブランドを想起し、彼はスポーティな印象を持つことになります(ステレオタイプかもしれませんが)。どのパーツを好きになっても、どんな側面がクルマのインプレッションを決定してもいいと思います。ブランドが持つ多面性をフレッシュな表情でアピールする最適な手法かもしれません。
無論、そうではない見方もあります。本来、ブランドはいくつもの表情を持つことができないし、持つべきではない。象の鼻を触っても象の全貌は把握できないという考えです。購買ファネルの各層にアプローチしたり、複数のCMを同時にオンエアすることは、ターゲット毎に鼻や耳だけを触らせる行為と同じであるという理屈です。一つひとつの異なる素材によって様々な表情が集積されて、やがて生活者の頭の中に多面的な顔を持つブランドが形成されることを期待しても、なかなか思惑通りにはなりません。どれだけ表情をつくったとしても元の顔は1つ、ということでしょうか。
現実の世界でも、俳優やアーティストがマルチな顔や才能を発揮しても、同時には定着し難いものです。喜劇役者と悲劇の主人公、画家と彫刻家、ピアニストと声楽家……2つ以上の顔を同時に持つキャラクターは、確かに多くありません。ピッチャーとバッターを両立できる選手は100年に1人の逸材です。同じように考えると、軽自動車と大型高級車、機能性ウェアとハイファッション、クロノグラフと宝飾時計、即席麺と無添加食品という2つの顔を同時に持つブランドは、なかなか成立し難いですね。ブランドのフレッシュな印象をキープするためマルチな表情を持つことが有効だと信じたいのですが、それを1つのブランドに育てるのは、至難の技。まるでキュビズムの画面構成を考えるよう。何度も言う通り、ブランドは送り手の意図を汲んでくれないからです。売上げの近道となる最新サービスだからといって気軽に手を出すと、ブランディングには遠回りの可能性があります。まずは、キメ顔で勝負した方がいいかもしれませんね。
今回のまとめ:ブランドとは、憧れの塊。
次回は、インパクトの捉え方についてお話します。