・創業108年の老舗出版社を「卒業」、10年目のスタートアップに「ジョイン」した
・50代半ばで出版社からベンチャーに転職した「ガソリンおじさん」の提供価値
・メディアから企業広報に転じて3カ月「取材される側」となり思うこと
・「編集者のスキルは事業会社で活きるのか?」という、問いへの答え
・スタートアップに飛び込んだ私は、60歳までに「100万人に1人」になれるか
会社のお金で飲み食いしていたかつての自分
TBMに入社して、つくづく反省させられたことがある。出版社時代、いかに自分は会社のお金を我が物顔で使ってきたかということだ。そのひとつが、飲食を伴う取材費である。
『週刊ダイヤモンド』編集部では、記者たるもの、同僚と飲みに行って上司の愚痴を言う時間があれば、社外の人と飲んで見聞を広げ、あわよくばネタをとってくるのが仕事だと教わってきた。企業幹部から話を聞き出す際、昼間に会社の表玄関から訪ねて広報担当者が同席する場でインタビューするだけでなく、その幹部と親しくなって酒の席に誘い(もちろん広報抜きで)、口を滑らかにさせて裏話を聞き出すようになって一人前の記者であるという文化がしっかりと根付いていた。
私は元々が酒飲みではないので、酒の席で取材することに熱心な方ではなかったし、何より酔うとせっかくのネタを忘れてしまいがちだったのだが、スクープを頻繁に取ってくる記者は概ね、会食の場をうまく使っていたものだ。
実際、夜の会食は必要経費として認められ、上司から特段の制限がかけられることはなかった。事前に上司に申し出ることもない。事後承諾ばかりだった。領収書を添えて取材費として申請すれば、必ず精算してもらえた。
また、こちらが席を設けることもあれば、取材先である企業側から誘われることも多い。編集長時代は、大手企業のトップとの懇親の場が頻繁にセットされたものだ。お互いに良好な関係を築く手段として、会食は日常茶飯事だった。
だが今振り返ると、あれってお互いに会社のお金で飲み食いしていたわけで、自分の財布が傷まなかったからできたことだったのだと思う。
ところが、である。TBMでは、飲食を伴う接待は、するのもされるのも原則禁止なのだ。上場を目指す企業として、取引先とのあいだで不正な利益誘導が疑われるような不明朗な関係があってはならないので、「李下に冠を正さず」が徹底されている。もちろん親睦のための会食は許されるが、事前に届け出をし、予算と目的を文書で残さなければならない。当然、不要と目されれば受理されない。
会食に限らず、支出に関しては1円から事前稟議が必要で、3社以上からの相見積もりが不可欠だ。そして事前に申請した金額をわずかでも超えようものなら、監査役から厳しい指摘が入る。
「会社の金という感覚ではなく『もし自分の財布から出すとしたら』と常に考えてほしい」と、CEOの山﨑敦義は事あるごとに社員に呼びかけている。ユニコーン企業だなどともてはやされてはいるが、バンバン利益が出ているわけではない。研究開発型の素材メーカーであり、いまだ先行投資の段階にある。株主から預かった大事な資金は、工場や研究所に無駄なく投じていくべきステージなのだ。
というわけでTBMは、金の使い方に関してはとんでもなくシビアな会社なのである。
某IT企業が残していったイケてるオフィス
これまで、数多のスタートアップを取材してきたが、あえて無駄と見えるところに金をかけることが、ひとつのステータスになっているような風潮を感じていた。やけに装飾に凝っていて遊び心に満ちたオフィス、飲み物や食事がタダだったりするのは序の口で、気をてらった手当や福利厚生で話題性を競っている……みたいな。まあ、アイデアの新奇性や知的労働の効率性を追求するIT系のスタートアップの場合、そういうところにお金をかけるというのは一理あるのかもしれない。
しかし、TBMはIT系ではなくメーカーだからか、そんな浮ついたことに金をかける文化が驚くほどない。
いや、日比谷にある本社オフィスに訪れた人の中には、「そうでもないんじゃない? 結構今どきのカッコいいオフィスだったよ」と感じた人もいるかもしれない。
確かに私も入社当初はそんな印象を持った。イケてるIT企業などがよく、社員の健康面や仕事の生産性向上を図るといった目的でスタンディングデスクを導入しているが、私のデスクも昇降機能を備えた最新式だ。擦りガラスで囲まれた会議室にはおしゃれな什器やソファが揃っている。月イチの全社集会が行われたり、記者発表なども開いたりできるホールには、大スクリーンや最新の音響設備が整えられ、いかにもスタートアップっぽい雰囲気が漂っている。
だが実は、これらは全て、以前この場所を使っていた某IT企業が残していったものだという。現在のビルには私が入社する前、2021年8月30日に移転してきたのだが、あらゆる什器は新品同様のまま、前の住人からタダで譲り受けたものらしい。ありがたい話だが、ずいぶん豪気な会社だ。よっぽど儲かっていたのだろう。ちなみに、件のIT企業の親会社には知り合いが多くいて、先日久しぶりに会った幹部にこの話をしたところ、「それは由々しき問題だな」と言っていた。余計なことをしたかな。
それは措くとして、とにかくわが社はお金の使い方に厳しい。もっとも、ここまでくると清々しい。これまで、日本電産やキーエンスなど、1円からの稟議書に象徴されるようなコスト意識の高い企業を取材するたび、「掛け声だけでなく全社で徹底するから強いんだな」と感心したものだが、自分もそんな現場に放り込まれて戸惑いはするものの、頼もしさを感じる。
話は戻るが、夜の会食の機会がなくなったことも意外と不自由さは感じていない。前述したように、そもそも酒をあまり飲まないので、誘われれば断らないが、自分から誘うことはあまりなかった。おそらく歴代の編集長の中でも会食の経費の総額は極端に少ない方だったと思う。会社の経費で酒を飲むということに特に魅力を覚えていなかったため、今の環境を特に辛いと感じることはない。
今回の転職で唯一の誤算は「読書環境」
ただ、出版社時代、自分がどれだけ恵まれていたかを感じざるを得ないことがひとつある。「読書環境」である。
私の周りには常軌を逸した本読みが山ほどいるので、自らを読書家と名乗るなんて恥ずかしくてできないが、元々は本や雑誌が好きだから出版社に入った人間である。中にいたときは当たり前すぎて気付いていなかったが、本好きにとって実に恵まれた環境だったことを、今更ながら思い出す。
まず、“自社本”は容易に手に入った。経済・経営に関する書籍はもちろんのこと、海外出張やプライベートの海外旅行の際にも『地球の歩き方』をゲットしてから行ったものだ(同シリーズは2021年11月に学研プラスに事業譲渡してしまったが)。娘の就活に際しても就活関連の自社本を何冊も持ち帰った。
また編集部には、書評欄向けに新刊本が山ほど届く。おかげで話題の本はほぼ編集部内で入手することができた。主要週刊誌なども部内で定期購読していたので、読み放題である。
さらに、雑誌の企画に関連する参考図書は、基本的に経費で購入することができる。すでに決まった企画、構想中の企画……どの本がどんな役に立つかなんて誰かがチェックしているわけでもない。極端に言えば、読みたい本はなんでも会社のお金で買えるわけだ。おかげでどの編集部員のデスクも本で溢れかえっていた。定期的に誰かが身の周りの本を片付けては、部屋の角っこの「いらない本置き場」に処分していく。そこには面白そうな本がいくらでも転がっているので、パトロールがひとつの楽しみでもあった。
振り返れば、本好きにはまさに天国のようなところだった。残念ながら今の会社にはそんな文化も環境もない。今回の転職で「誤算」があるとしたら、真っ先に挙げるのはそこかもしれない。
つまり私の読書生活は、その多くが自分の給料以外に支えられていたという事実に気付き、愕然としたのである。これまで会社の経費で購入していた本を、今後は全て自腹で買うとなると結構な金額になるだろう。
もちろん、当時はあくまで雑誌企画の資料として読んでいたわけで、現在の仕事にそこまで大量の情報収集が必要なわけではない。とはいえ、本は読みたい。
読みたいのなら自分で払うというのが筋であることはわかっている。しかし、今回の転職で年収は約3割減になっているのだ。収入面では迷惑をかけている家族の手前、本代を増やしてほしいというのも憚られる。
「情報の速さ」より「教養の深さ」を追求するステージ
そんな日々を過ごす中、あることに気が付いた。わがオフィスは日比谷にあるのだ。すぐ近く、日比谷公園内に日比谷図書文化館(旧日比谷図書館)があるではないか。
記者・編集者時代から、図書館にはよく通っていた。新刊図書ばかりが並ぶ書店ではなかなか手に入らない資料性の高い古書は、図書館で閲覧するしかなかったからだ。ダイヤモンド社の近くにある渋谷区立図書館には、「ご自由にお持ち帰りください」と書かれた除籍本コーナーをランチタイムに覗きに行ったものだし、ゆっくり調べものをするときは広尾まで足を延ばして、有栖川宮記念公園を抜けた先の都立中央図書館を訪ねるのが定番だった。
明治・大正の古い資料や新聞記事などの調べものには国立国会図書館によく行った。2007年に改装されて快適になった九段下の千代田区立図書館はリモートオフィス代わりによく使っていた。週刊誌から学術雑誌まで1万8000タイトルもの雑誌とバックナンバーを擁する都立多摩図書館は、1日いても飽きない。
ただし、かつての私にとって図書館とはあくまで書店で手に入らない資料を探す場所であって、日々の読書欲を満たすための場所ではなかった。
しかし、背に腹は代えられない。私は日比谷図書文化館にお世話になることにした。すると、これが思いの外楽しいのである。広報やブランディングについてのビジネス書、紙やプラスチック、資源循環に関する仕事周りの書籍はもちろん、初めて目にするような興味深い本に続々と出会える。
考えてみれば、もともと神保町の古本屋を巡ったり、ブックオフなどの中古本チェーンを覗いたりすることも好きなのだ。新刊中心の書店ではもはや見かけなくなった昔のベストセラーや、ついつい読み逃していた古典と出会えるからだ。同じ体験が、当然ながら図書館でもできる。
先週は、名画泥棒とアートテロリズム、絵画修復に関するノンフィクションを集中的に読んだ。一方、話題の新刊やベストセラーは、とんでもない順番待ちができているのですぐには読めない。たとえば2022年の本屋大賞を受賞した『同志少女よ、敵を撃て』(早川書房)は196人待ち、東野圭吾の最新作『白鳥とコウモリ』(幻冬舎)は128人待ちといった具合だ。
まあ、今の自分は「情報の速さ」より「教養の深さ」を追求する人生のステージにいるのだと割り切り、新刊は追わないようにしよう。きっと3年も経てばそういう話題の本も順番が回ってくるだろう(予約はしていないが)。
なにより嬉しいのは、夜10時まで開館しているというところ。今夜も私は、会社帰りに館内をフラフラしながら新たな出会いを探している。