・創業108年の老舗出版社を「卒業」、10年目のスタートアップに「ジョイン」した
・50代半ばで出版社からベンチャーに転職した「ガソリンおじさん」の提供価値
・メディアから企業広報に転じて3カ月「取材される側」となり思うこと
・「編集者のスキルは事業会社で活きるのか?」という、問いへの答え
・スタートアップに飛び込んだ私は、60歳までに「100万人に1人」になれるか
・社員にとって最大の不幸は「企業理念に共感できない」会社に勤めること
・「破り捨てたいのに絶対に破れない馬券」というアイデアのカラクリ
・取材費で飲み食いしていた私が、会社帰りに日比谷図書館へ通う理由
かつて裁判で争った企業の広報とあわや遭遇
ダイヤモンド社を辞め、TBMに広報責任者として入社して約半年が経った。経済メディアの仕事を長くやってきたこともあり、企業広報の知り合いは多いが、その仕事内容については体系的に学んだわけではない。そこで、他企業の広報担当者と横のつながりを深めたいと考え、この春からある広報関連の団体に加入した。
先日、新規加入企業の広報責任者を集めた懇親会の案内が届いた。当初はリアル開催の予定だったが、新型コロナの感染者数が急増したこともあり、直前になってリモートに変更になった。
本来、直接顔を合わせないというのは、残念に感じるところだろうが、その決定に少しホッとしたことを白状しよう。というのも、同じ新入会のメンバーに、少々気まずい相手がいたのである。
その相手とは、「週刊ダイヤモンド」「ダイヤモンド・オンライン」で長きにわたり、その経営問題や幹部人事など多岐にわたる話題で厳しい記事を書き続けてきた企業の広報責任者である。
一連の記事の中では、訴訟に発展したものもあった。私のダイヤモンド・オンライン、週刊ダイヤモンドでの編集長在任時期を通じて約3年争い続け、結果的にはダイヤモンド側の勝訴に終わったが、相手にしてみれば憎き“敵”であろう。
同じ広報仲間として懇親を図る場とはいえ、私の前職を知れば良い思いはしないはずだ。もちろんこちらも気まずい。だが、リモート開催となったおかげで、個別に込み入った話をすることもなく、なごやかに終わることができた。
それにしても、である。書く側から書かれる側に立場が変わったことで、いろいろなことが見えてくるものだ。
もともと、ダイヤモンドは「何ものにも忖度しないこと」をモットーとしてきた。よく、メディアは広告を出してくれる大企業には忖度ばかりして悪いことを書かないとか、ろくに取材もしないで見当違いの批判ばかりするみたいなことを言われる。確かにそんなメディアもあるのかもしれないが、我々は全く違うと思っていた。
実際、編集記事と広告がバッティングした際、涙を呑んで掲載を取りやめるのはいつも広告の方だった。良い記事だろうが、ネガティブな記事だろうが、同じ号の編集記事と広告で同じ企業が登場することはない。
その意味では、広告担当者にはいつも申し訳ないという思いを抱いていた。何度も商談を重ね、やっとの思いで広告出稿にこぎつけたというのに、同じ号にその会社の記事が載るというだけで広告掲載を先延ばしされ、記事内容によっては怒ったクライアントが広告掲載を取りやめるという事態もしばしばあった。見込んでいた売上がパーになるわけで、担当した営業担当者から陰でどんな悪口を言われていたか、想像すると申し訳なさのあまり身がすくむ。
だが、だからといって売上の額に忖度して編集部が筆を曲げるようでは、読者の信頼を失い、結果としてメディアの価値を下げてしまう。経済誌として100年以上続く存在感を保っていられるのは、そんな文化が根づいているからだと思う。
「気に食わない相手を陥れたい」という不純なネタ元
ダイヤモンドは元々、株式投資情報から始まった雑誌なので、企業研究や業界研究を主要なコンテンツとしてきたし、日本の産業・企業の健全な発展に資するということを雑誌づくりの“憲法”に据えてきた。
たかが雑誌が何を偉そうに……と思われるかもしれないが、投資家保護のためにも必要な機能である。ある企業で不健全な経営が行われていたり、株主に知らされていない実態があったりするならば、それを伝える重要な役割を担っていると自覚してきた。
そんなメディアだったから、取材申し込みの時点で、面倒くさいところを突かれると察知したのか、取材を拒否されることもままあった。しかし、だからといって取材をやめるわけではなく、匿名で取材に応じてくれる社員に接触したり、取引先や辞めた社員まで訪ねてみたりと、何が何でも話を聞き出すのが仕事である。
ときには“招かれざる客”として他人の庭にずかずか入り込むからには、「世間からの見られ方」も気にする。自分たちだけが安全地帯にいて、よその会社の粗探しをするというのはカッコ悪いと思っていた。なので、取り上げるテーマによっては自社の問題も扱った。それこそが「フェアな報道姿勢」だと信じていたからである。
たとえば、「ステマ広告」を扱った特集で社内調査を実施し、自社でも「広告」表記のない広告記事が3本あったことを告白したし、ドライバー不足やコスト増で「物流危機」が取り沙汰された際には、出版流通が抱える問題や自社が直面している課題まで書いたため、販売部門と険悪なムードになったこともある。
現編集長の山口圭介は副編集長時代に「経済ニュースを疑え!」という特集を担当し、大手経済新聞と企業広報の好ましからぬ関係を暴いて物議を醸したが、同時にダイヤモンド編集部内で渦巻いていた編集方針に対する疑問も赤裸々に書いた。乱暴者である。当時の編集長の心労たるや、同情を禁じえない。
まあ振り返れば編集長の仕事とは、社外のみならず社内からも含めた、さまざまな声を受け止めて、ときには堰(せ)き止めて、現場が伸び伸びと仕事ができるようにすることでもあった。
一方で、“タブーのない雑誌”を標榜していると、いろんな人がネタを持って寄ってきたものだ。他紙誌に載っていないスクープ情報もあり、つい飛びつきそうになるが、そういう時こそ慎重にならなければならない。
純粋に「不正を告発したい」というケースもあるが、「気に食わない相手を陥れたい」という裏の目的が見え隠れすることもあるからだ。
自分自身の経験でも、あるベンチャー企業の広報から「既得権を持つ大手企業からいかに横暴な邪魔をされたか」というネタ提供があった。事細かなエピソードを含め、取材先まで紹介されたのだが、裏取りのために別ルートでも取材を進めてみると、そのベンチャー企業も結構な“やんちゃ”をしていることがわかった。記事では、互いの言い分と客観的な事実を並べ、「どっちもどっち」という結論になった。
ネタ元のベンチャー広報からは「元々のネタを提供したのはこっちなのに、自分たちも悪者のように書かれた。とんだ裏切りだ」と罵られたが、こちらは取材した事実を虚心坦懐に書いたまでで、メディアを利用しようという下心を持ったのはそっちの勝手だ。
とはいえ、個別に情報提供を受けたら、ネタ元の筋書き通りに書いてしまうメディアがあるのも事実だろう。他紙誌の記事を読んでいても、「ああ、これは書かされたな」と感じるものもしばしばある。独自ネタとして差し出され、反面取材をせずに乗っかってしまったのだろう。しかし、ネタ元の言いなりでなく、双方の言い分を聞いて、フェアに判断するのがメディアの務めだと思う。
「挑戦者」に対する既存勢力からの抵抗
なぜこんな話をしているかというと、そういう観点でTBMやLIMEXの過去報道を見ると、本当にごく一部ではあるが、「裏」を感じる記事があるからだ。
というのも、新しいことをやろうとすると、それに反対する勢力が必ず存在する。「挑戦者」に対する既存勢力からの抵抗というのは、どんな時代にもあるものだ。LIMEXは紙とプラスチックを代替する新素材である。ということは、既存の市場を守りたい側からすると、気に食わない存在である可能性が高い。
中には、メディアに働きかけて、そしてメディア側もそれを代弁するかのように批判的な論陣を張ることがある。いわゆる“ためにする記事”というのが、ときに存在するのである。
(次回につづく)