ハイブランドがコミュニティを立ち上げる「Discord」とは
メタバース時代の〇〇、Web3.0時代の〇〇。頻出用語すぎてつい懐疑的な目で見てしまうが、そんな悠長なことも言ってられない。タイトルにあるように、初回のテーマはDiscordについて。「ゲーマー向けのチャットアプリでしょ?」で済ませてしまうには惜しいサービスでありながら、セットで語られる文脈 (ex. ゲーム・VR Chat・NFT) が多すぎて情報が錯乱してしまいがちなのも事実。自分のためにも、一度しっかり整理しておきたい。
本題に入る前に、Discordとは……について少しだけおさらい。いまから7年ほど前の2015年にアメリカで生まれたチャットサービスで、高品質な音声チャットがゲーム中のユーザー間交流を加速させた。ある国内大学の新入生向けアンケートが「男子の53.5%がDiscordを利用している」という驚きの統計データを叩き出していたが、ここ数年で国内の利用率が急上昇しているのはたしかみたいだ。
Discordの現状を伝えるためにも、まずはブランド企業のDiscord活用事例から見ていこうと思う。アメリカのビューティーブランド、NARS Cosmeticsが #NARSissists (NARSファンの通称) にDiscordサーバーへの参加をお願いしたのは、たしか去年の今頃のこと。
ブランドとファンとの会話の場として、そしてファン同士が美容のTIPS・悩みを共有する場として密度の高いブランドコミュニティを生み出すことに成功している。これは、adidasでいうところのadidas Originals(注1)、GUCCIでいうところのGucci Vault(注2)に近い。Samsungが今年の6月にDiscordサーバーを立ち上げると17万近くの参加者が集まり、人気ラッパーのtohjiはファンが見ることのできる公開のDiscordサーバーで楽曲を作り上げた。大きなニュースにはならないものの、水面下では多くの試みがなされている。
この文章を書きながら、ひさびさにアパレル&キャップブランド NEW ERAのDiscordサーバーにログインをしてみた。参加人数はあまり多くないものの、#share-your-collection #fits-for-glory など様々なチャンネルがあり、熱狂的なファンがお気に入りのキャップの写真を次々とアップしている。昔のmixiグループを思わせるなにかがあった、と言うと語弊が生まれるかもしれないが、共通の趣味を持つ人間同士が年齢・ステータス関係なく自由に交流している様にどこか懐かしさと心地よさを感じた。
「誰も部外者とならない世界」をつくる
以上からわかるように、ゲーミングにとどまらないプラットフォームになりつつあるのは大前提として、Discordが細分化されたコミュニティサービスとして立派に機能していることがわかる。もちろん、NFT配布などの要素を含んでいるケースも多いが、NFTがメインとしてあるというよりも、コミュニティ参加のモチベーションを持続するために経済的な概念を機能させている、といった捉え方のほうが実は正しいのかもしれない。大規模なフォーカスグループと言ってしまうと無機質的だが、ブランドファンの声を聞き・ときには新しいアプローチで関係値作りを試み・それに対しての適切なフィードバックをもらう、それができているのはすごいことだ。
とはいえ、似たようなことは本来Slackでもできる。専用のファンクラブサイトを作れば可能だし、なんならLINEのオープンチャットでもいい。なぜいまになってDiscordというプラットフォームがその担い手になっているのか。正直自分のなかにその絶対的な解を見出せているわけではないが、広告をつくっていくうえでこの問いに向き合う必要性はすごく感じている。ということで、ここから先は仮説とも言い難いただの書き殴りのメモだと思って読んでもらえるとありがたい。
小説家の平野啓一郎さんが提唱している「分人主義」(注3)という考え方がある。一部引用すると、一人の人間は「分けられない individual」存在ではなく、複数に「分けられる dividual」存在である、と。職場にいる自分と家族と一緒にいる自分の人格が異なるように「自分とはいくつもの人格の集合体である」と規定する考え方だ。この考え方自体、もちろんいまにはじまったことではない。しかし、アバターをまとって別人になれてしまうメタバース的概念の登場で、この「分人主義」は圧倒的な加速・進化を遂げているように思える。
雑な例えをひとつ挟むと、これは小説『ハリー・ポッター』シリーズに登場するヴォルデモート卿にも例えられる。彼は自分の魂を引き裂いて6つの分霊箱を生み出した。分霊箱は少し前までのぼくらでいう「裏垢」だ。映画中だと、その分霊箱は石だったり、蛇だったり、日記だったり。しかし、テクノロジーの発達で、その分霊箱がアバターの身体を持つことを許されはじめた。つまり、石は石以上になれるし (いまでいうとVTuberになれる)、ぼくらのSNSも「裏垢」にとどまる必要がない。表裏だったものが表表’表’’表’’’になりつつあるのだ。
そうなったときに、大きな「個人」に紐づいていたコミュニティの形が歪みを見せてくるのは当たり前な動きなのかもしれない。一度挨拶しただけの人からFacebookの友達申請がきた。名前だけ知っている人から携帯電話でLINEの友達追加がきた。これを不快に思うのも実は分人化のひとつの予兆だったのかも。個人を正々堂々と分解することが可能になったいま、自分をひとつの完全体としてしか受け入れてくれないプラットフォームではなく、パーソナリティが使い分けられる分散型のコミュニティプラットフォームが求められるのは自然な流れのように思える。
みたいなことをつらつらと考えていくと、フォロー・フォロワーの概念もなく、コミュニティ単位で人格を思いっきり変えることがよしとされているDiscordは、とことんメタバースネイティブなプラットフォームだ。“A place where no one is an outsider(誰も部外者とならない世界)” というDiscordが去年発信したメッセージにすべてが詰まっている。今後、熱狂的なファンを抱えるブランドとDiscordの相性がますますよくなり、あらゆるジャンルの熱量がここに集まってくることは間違いないと考えてもいいだろう。
最後に少しだけ広告の話に戻ると、短期的に見ればクラスタ施策のアプローチが、中長期的に見ればブランドファンの作り方がいま変わろうとしている。広告の作り手にとって、Twitterを追っておけば大丈夫という時代が過ぎようとしていることに多少なりとも胃を痛めつつ、さまざまな熱量の行方を注視していきたい2022年下半期だ。