読み解かれることを待っている巨大なテクスト
15年くらい前、まだクライアントの参加が珍しかった頃、P&Gチームが初参加で100人以上を派遣したことはよく知られている。グローバル企業としてのブランド力を高めるという目的のためにカンヌを使おうとしたのでしょう。
聞いた話だけれど、参加者全員早朝から受賞作を見てセミナーに参加し、夜はそれをもとに勉強会を毎日開いたという。この成果が実際のブランド・ワークに結実したのが、2012年、ロンドン・オリンピック・イヤーの「Thank You, Mom」。カンヌ初参加からかなりの時間を経て、決定的な水位までブランドを高めた。
その後、P&Gは、ジェンダーや人種差別など世界的なソーシャル・イシューを扱った優れた仕事を毎年生み出し、今では、世界で最もリスペクトされるグローバル・ブランドに進化している。
日本でも、ある企業が数年前カンヌに戦略的意識的に参加して、つまりテクストとして読み解いて、大きな果実を持ち帰ったことがあった。たしか2019年。その時、カンヌは、パーパスを我々インダストリーの重要なテーマに掲げていた。それを集中的に学習して日本に持ち帰って、自社のブランディングに新たな視点を与えることに成功したという。
受賞作であれ、セミナーであれ、ネットワーキングであれ、カンヌは、僕たちに読み解かれることを待っている巨大なテクストだ。
これからも存続する価値のあるフェスティバルかどうかを決めるのは、読み手の立ち向かい方しだいだと思う。
世界共通の大きな視座と個人のリアルな皮膚感覚
今年、セミナーは大きく方針と構造が変わった。
多すぎて玉石混交だった数を絞って、どれも記憶に残るものに、その場に立ち会う意味のあるものにしたいというカンヌの基本方針があり、いちばん大きなリュミエールでは1日3、4コマだけに厳選。他の会場でも数を絞って開催された。
これは、選びやすく見やすく、参加者にとってとてもいい改編だった。
今まで無駄なセミナーが多すぎました。
最終日の金曜朝、リュミエールでは、電通セミナーが行われた。
テーマは、“All Players Welcome”。今まで地球を運営するゲームに参加するプレイヤ―が、あまりにも限られていた。ほんらい全員が地球運営のプレイヤーとして参加すべき。いろんな人がいていいよねというレベルではなく、健常者だけでなく障がい者もただ存在しているだけでなく、よりよい地球運営のためのロールを持つプレイヤーとして。男性だけでなく女性も。白人だけでなくすべての人種も。マイノリティとされてきたすべての人たちをプレイヤーに。なぜなら、彼らは、今までメイン・プレイヤーとされてきた人たちが持ってない視点、アイデア、能力、感覚、体験を持っているから。彼らが地球で日々行われているこのゲームに参加してこそ、人類の可能性は拡張し、地球というグラウンドはもっとよくなる。というメッセージを最後に発信。
ALSのミュージシャンふたりによるライブ・パフォーマンスの素晴らしさと相まって、日本のセミナーで初めてスタンディング・オベイションを受けていた。
そういえば印象的な受賞作がもうひとつ。
Adidas「Liquid Billboard」
イスラム教徒の女性用水着のプロモーション。ドバイのビーチに自由にプールに飛び込めるビルボードを置いて、女性が飛び込む画を街中のでかいサイネージでライブでオンエアするというアイデア。
この思想はまさに、all players welcome。存在を認識されるだけでなく、じぶんの意思と行動を自由に決定して地球の運営に参加できる状態にある人たちをプレイヤーと呼ぶとすれば、ここで訴えようとしているのは、beにとどまらずplayを地球上の人たちすべてに可能にすべきだということ。思想とか風習とか権威とかステレオタイプなどが今までいかに人間の可能性を矮小化してきたかに思い至ることになる。
印象的だったセミナーをふたつ。
ひとつは、P&G Chief Brand OfficerのMarc Pritchard。
「The power of creativity for growth could be considered our industry’s most fundamental reason for being.」
Creativityというと一部の人たちだけのものと思いがちだけれど、それこそが、我々の産業の存在意義であり、成長のための能力だと規定した。世界を少しでも居心地のいい場所にすることと利益を上げることとは、まったく矛盾しない。むしろ、相互関係にある。ということを僕たちのインダストリーの共通認識にしようという呼びかけだった。そうでなければ、君たちクリエイティブがいる意味ないからねと。
ダントツ人気だったのは、ウクライナのクリエイティブ・パーソンたちによるセミナー。
途中からゼレンスキー大統領のリモート・スピーチに切り替わった。
「I call on creatives to join the fight for freedom」
自由のために闘うには、クリエイティブが必須だ、と言っているわけですね。
同時に彼は、今回の戦略は「世界のattentionを獲得することだ」と明言した。
自由のために闘うという定義があり、そのためのいちばん重要な能力がcreativityであり、
その戦略は、敵より軍事的に強くなることではなく、まったく別の戦い方、つまり、世界の人たちからの支持を獲得することと設定したと。
ずいぶん上等なクリエイティブ・ディレクションだ。
『ホモサピエンス全史』などの著者ユヴァリ・ノア・ハラリは、「物語的にはすでにウクライナが勝利している」と、早い時点で書いている。
このスピーチから感じたのは、世界共通の大きな視座から考える態度が、今、要求されているということ。ここを踏まえないと、もはやcreative person足りえない。世界はこのようになっており、個別にはこのようなイシューを抱えており、そのイシューはグローバルにつながっており、というあたりをまずごろっと共有できてないと厳しいみたいだ。ソーシャルな視点と具体的なアクションが、ブランディングの本質になってきているということだろう。
この原理は、コロナ以前も以後も変わらない。ただ、コロナを経て変化したことがあるとすれば、「よく生きていくためにたいせつなことは何か」と「おおよそこういう世界に創り変えるといいのではないか」という視座が、企業のパーパスに要求されるようになったことだ。それに対する答えのないパーパスは不成立だと思われる。
少しずつ日本のアワードが減少してきているのも、表現技術というよりも、このあたりに原因があるのかもしれない。
60年以上のカンヌの歴史を見ても、戦争とパンデミックを同時に抱えている時期は初めてだ。
数学者 アラン・チューリンクが暗号解読の仕事からコンピューティングのアイデアを得たように、第一次世界大戦で兵士の感染症治療にあたった体験から、アレクサンダー・フレミングがペニシリンを発見したように、戦争と疫病は人類に大きな変革と発見をもたらすことは歴史が証明している。
その時、僕たちの職業は何ができるのか。Creativityという能力は何ができるのか。
Creativityこそが何か新しい光のようなものを生み出すことができるというのは、ほんとうなのか。
ゼレンスキーのスピーチと上位入賞したいくつかの優れた仕事を通して、カンヌ2022が投げかけたのは、そういうインダストリーの可能性と方向性、さらには使命感のようなことだった。
手口はずいぶん多様で参考になるものが今年も多かった。メタバースものはまだこれから(ハイネケンが、今できることはほとんどないという視点からビールの新商品のプロモーションを組み立てていて、これだけはよかった。来年いくつか傑作が生まれるでしょう)。
多様な手法を勉強するのも有意義だけれど、今最優先で重要なのは、僕たちが、この仕事をどういう仕事にしていきたいか、
僕たちは誰なのか、という視点だと思う。
インダストリー的には、ピンチ兼チャンスという局面にいるのだなと。
世界全体で立ち向かわざるを得ない大きな何かを共有すること。ただそれだけではリアリティのあるアイデアにはなかなか到達しなくて。じぶんがふだん感じているとても私的な違和感や意識や意志や気が付いたことなどのリアルな皮膚感覚から立ち上げてやがて大きな何かに到達するというルートが、説得力のある仕事につながると思う。
世界がむつかしくなればなるほど、creativityが決定的な能力になる。
はずなんだけれど。
古川裕也
クリエイター・オブ・ザ・イヤー、カンヌライオンズ45回、D&AD、OneShow、アドフェスト・グランプリ、広告電通賞(テレビ、ベストキャンペーン賞)、ACCグランプリ、ギャラクシー賞グランプリ、メディア芸術祭など内外の広告賞を400以上受賞。2020年D&AD President’s Awardをアジア人で初めて受賞。2013年カンヌライオンズチタニウム・アンド・インテグレーテッド部門、2005年、2014年フィルム部門、クリオ審査委員長、ACC審査委員長など、国内外の審査員多数。D&AD President Lectureなど、国内外の講演多数。日本人で初めてD&ADアドヴァイザリー・ボードに就任。2022年に古川裕也事務所を設立。
これまでの主な仕事に、九州新幹線全線開業「祝!九州」、ポカリスエット「ガチダンス」シリーズ/「Neo合唱」/「でも君が見えた」、GINZASIX・ローンチキャンペーン、森ビルブランド・ムービー「Designing the Future」、リクルート「すべての人生がすばらしい」、グリコ「Smile!Glico」キャンペーン、民放連「人類はオリンピックを発明した」、KIRINサッカー日本代表応援キャンペーン「香川真司・応援する者」、宝島社「死ぬときぐらい好きにさせてよ」「嘘つきは、戦争の始まり。」「最後は勝つ。上がダメでも市民で勝つ。」「君たちは腹が立たないのか。」「暴力は、失敗する。」、Asics「ぜんぶ、カラダなんだ」、日本経済新聞社「NIKKEI UNSTEREOTYPE ACTION」、Sayonara国立イベントなど。著書に『すべての仕事はクリエイティブディレクションである』(https://amzn.to/3zmu8gW)。2022年もカンヌライオンズ・ゴールド、シルバー、ブロンズを受賞した。