【前回コラム】犬の演技は奥が深い!『南極物語』のトレーナーも登場(犬童一心・宮忠臣)【前編】
今回の登場人物紹介
※本記事は2022年8月21日放送分の内容をダイジェスト収録したものです。
声帯切除をしているから、「ハウ」
中村:改めまして、一昨日(8月19日)公開になったばかりの映画『ハウ』のお話をしたいと思います。これは、斉藤ひろしさんの小説が原作ですが、最初に読まれた時の監督の感想は、どんな感じだったんですか?
犬童:まず、小説とシナリオを同時に渡されたんですね。最初にシナリオから読んだのですが、やっぱり『ハウ』というタイトルが気になりましたよね。そしたら、声帯切除をされて「ハウ」っていうかすれ声しか出せない犬なんだ、という設定に一番すごさを感じて……。犬の映画やドラマって、今までにもすごくたくさんありますけど、基本的には犬が人間のために活躍するものが多いんですね。今回もそういうところはあるんですけど、その前に犬自身のキャラクターがものすごく複雑なんですよ。
澤本:うんうん。
犬童:普通は、人間の方がいろんな問題を抱えていて、健康な犬がそれを癒やす、みたいな感じなんですが、『ハウ』は犬自体がある種の「傷」を持っているという設定で。しかも、それを名前にしてあるというので、「すごいこと考えたな、斉藤さん……」と思いましたね。そして、本を読み終えてプロデューサーと斉藤さんに会いに行った時、「これは、“聖犬”の物語にしませんか?」と提案したんですね。それはある意味、「人間ではなし得ないこと」ができる存在として、はっきりさせようということなんですけど。僕が犬を撮ったり、猫を撮ったりしてきた理由の一つに、動物に対する憧れみたいなものがあるんですよね。「なんで、こんなに人を丸ごと信じられるんだろう?」とか、「なんでこんなに思いやれるんだろう?」という気持ちがあって。僕は最近、スマホでよく動画を見ちゃうんですよ。犬とか猫とか、ライオンとか。
一同:うんうん。
犬童:それらを見ている時、癒やされているのは確かなんだけれど、なんだか憧れみたいなものも感じているな、と。そういう感覚を“聖犬”としてはっきりさせて、「ハウ」というキャラクターにしませんか?と。そこから3人で脚本を直していったんです。あと、もうひとつお願いしたのは「声帯切除をした人」にあう話にしてほしい、ということでした。それを行った当人と、ハウが出会った時、“聖犬”としてのイノセントな部分が見えてくる構成で全体をつくれないだろうか?と思ったんです。
澤本:あのシーンは、まさにイノセントだよね、悪いやつをさ……。
権八:そうそう。そこには「赦し」みたいなものが、ひとつのテーマとしてありましたよね。そういう意味では、確かに聖なる感じがしますね。
犬童:ただ、犬の方からしたらそれが普通なんだと思うんですよね。「信じていること」が前提で関係が生まれているわけですから。それが、犬とか他の動物が持っているすごいところだな、と思いますね。そういった人との関係性自体が面白いという。
澤本:はいはいはい。
犬童:それって、なんだかいいものだな、というか……(笑)。いてくれて本当に良かったな、と。だから、こっちから見ている犬の世界と、犬側から見ている世界は同じではない。というのは、撮っている時も常にそういう感じなんですよね。
権八:ほ~!
18年前、山崎努さんから言われた「忘れられない一言」
犬童:犬だからといって、やっぱり擬人化はできないんですよ。昔、『死に花』(2004年公開)っていう作品を山崎努さんと撮っていたんですね。それで、僕が今度『いぬのえいが』っていうのを撮るんですよって山崎さんに言ったら、山崎さんがわざわざ犬の本を読んできてくれて。それでひと言、「散歩はな、犬にとっては散歩じゃねえぞ」って言われたんですよ。「あれは生きがいだぞ」って。
澤本:ふ~む……。
犬童:それを『いぬのえいが』には全然出ない山崎さんから言われて……(笑)。犬の側から見たら「生き甲斐」で、人から見たら「散歩」だって、それだけを言ってくれたんですね(笑)。
一同:(笑)。
犬童:でも、今でもその一言がずっと残っているんですよ。猫の映画やドラマを撮る時にも意識していたんですけど、要するに、視点が違うんだってことですよね。あとはやっぱり“生きるスピード”も違うんですよ。
中村:そこはどうなんですか、宮さん。
宮:あの~……。犬はですね。ステーキみたいにすごいごちそうをもらうより、毎日散歩に連れて行ってくれる人になつきますね。いかに外に連れて行ってもらって、一緒に遊んでもらって、言葉をかけてもらうか。それが、犬にとっての“うれしいこと”なんですよね。
中村:人間の子育てにも通じるところを感じますね。
澤本:そうそう。いいものをポーンとあげて、それっきり。ということじゃなくて。毎日ちゃんと接してこそ、ですね。
宮:「犬の十戒」にも、そんなくだりが書かれているじゃないですか。
澤本:はい。
宮:「わたしにはあなたしかいません」と。僕は、そこがすごく好きなんですね。犬にとっては飼い主しかいないわけですから。普段はどれだけ忙しくても、一声でいいから声をかけてもらいたい。一回でもいいから頭をなでてもらいたい。ごちそうなんていらないから、時間があったら外に連れて行ってください、と。それが犬にとって、一番じゃないですかね。
澤本:う~ん!
中村:ドッグトレーナーの宮さんなりの「育て術」とか、「しつけ術」みたいなものは、あるんですか?
宮:いや~、別に……。これっていうのはないですけど。ただ、簡単に言えば根気よく、ですかね。根気よく犬の気持ちになって、相手の立場に立って。人間の立場で「なんでこんなことができないんだ!」ではなく、犬は人間の言葉を理解するまでに時間がかかることを理解してあげる。例えば、子犬が「座れ」と言われても、何を言われているのかわかりませんよね。だから、「座れ」が座ることを意味していることに気づくまで、根気よく何回も何回もやる。つまり、我慢をするということですよね。それから、1回叱ったら10回褒めてやる。それぐらい、犬は褒めると喜びますよね。
澤本:なるほど……。
中村:人間と同じだ。
澤本:犬って、人間の言葉をある程度は理解しているんですかね?
宮:言葉というより、人間のいろんな点を見て総合的に理解しているような気がしますね。例えば目の動きだったり、口の動きだったり。だから、僕が渋い顔をしている時は、「これは、おやじの機嫌が悪いな……」とか、すべて読み取ってきますから。
澤本:じゃあ、宮さんがちょっと機嫌が悪いと、それなりの対応をしているんですかね?
宮:やっぱり、飛びついてくる時の勢いが違いますよね(笑)。
一同:へえ~!
『ハウ』には、社会問題がちりばめられている
権八:さっき、犬童監督もおっしゃっていましたけど。犬から見た世界と、人間から見た世界は違うんだと。こういう言い方もあれですけど、『ハウ』には社会派というか、今の世の中の社会的な問題が随所にちりばめられていますよね。
中村:そうですね。今の世相や事件を反映したような……。
犬童:斉藤さんのシナリオでは、最初に青森に行ってしまって、そこから横浜まで旅をしていくんですね。途中で福島を撮った時、福島の原発の事故を忘れたふりをするのか、しないのか問題というのがあって……(笑)。でも、忘れたふりをするわけにもいかないよな、ということで帰還困難区域の女の子の話を入れたんですね。機会があったらできるだけ福島の話をしていかないと、みんな忘れちゃうよな、というのがあって。あとは、僕がロケハンをしていると地方はシャッター商店街だらけで、街道沿いを行くとチェーン店だらけ。そういう状況を、この20~30年ずっと見せ続けられているんですよ。
一同:うんうんうん。
犬童:どこもシャッター商店街がどんどん増えていくんだけど、それが現実の日本なので。自然とああなっちゃうってことなんですよね。
権八:うーん……。
犬童:シャッター商店街とショッピングモールのチェーン店が街道沿いにある。それが地方の姿なんですね。だからハウが旅をしていくと、目にするものがそういったものになるわけですよ。もっと楽しい感じにできないかな、という気持ちがないわけじゃないんですけど、いま日本を旅すると、こうなっちゃうよなと。
権八:今の日本を撮るとこうなる、というのは、結構重たい言葉ですね……。
澤本:実際にそうだわ。
権八:いま、監督がおっしゃっているのを聞いて、「なるほど、そういうことか」と思ったことがあって。途中で石田ゆり子さんのナレーションが入るじゃないですか?所々でハウの気持ちを代弁していたりして。あれは、最初からそうしようと思っていたんですか?
犬童:最初は、ナレーションは予定していませんでしたね。
権八:そうですよね(笑)。
犬童:内容を“聖犬”にしようと考えた時に、ナレーションが入ることで、ある種「絵本」のようなフォーマットになるんじゃないかと思ったんですよね。ナレーションを入れることで、現実の持つ空気感をマイルドにしていると言えば、そうなりますね。
権八:はいはい。
犬童:しかも、そこは山崎努さんじゃなくて石田ゆり子さんに頼んで、ということですね(笑)。
一同:ははははは!
権八:あの声が時々入ることで、全体が寓話(ぐうわ)的になるといいますか。
犬童:そうですね。「寓話にしていこう」という思いはありましたね。
権八:本当にそういう意味でも、夏休みのお子さんたちにぜひ見てほしいな、という感じがしました。