【前回はこちら】広告業界への就職を決めた同級生の一言と「空白の1日事件」
「何やってるんだね。君はディレクターになるんだよ!」
そんなこんなで東北新社に入れてもらった僕は、給料が安すぎて暮らせませんでした。そのことを親に言うと、自分のせいで博報堂を辞退させてしまったという思いがあったんやと思います。仕送りをくれました。
電通に入った中山昌士くんや、資生堂に入った小林豊くんの初任給が12万円。僕は8万円。僕は4万円の仕送りを給料に足してなんとか生活を維持していました。でも仕事はめっちゃ楽しかったんです。
最初についた仕事が制作進行の見習いでした。映画の世界からやってきた荒っぽいスタッフたちにまみれて大声を出して先輩の声を復唱して走り回るのがまあ、楽しかった。当時は日活や大映のスタジオも地面は土です。1日走り回ってると靴はドロドロになります。「デザインよりCMや!」。その頃僕が知ってたデザインっちゅうのは武蔵美時代の作業のことです。マックもない頃のデザインというのは禅僧の修行のように清らかで繊細なものでした。
まず手をきれいに洗う。定規や道具をきれいに拭きあげる。写真植字に打たれた文字を一枚一枚切り抜き、二層に剥がしてペーパーセメントを塗ってピンセットでレイアウトして「版下」というものを作る。もう神経質の塊のような世界でした。そこからの解放感たるや! 大声を上げて走り回る撮影現場の世界。最高でした。
僕は現場を仕切るプロダクションマネージャー、そしていつかはプロデューサー!という志を立てて日々元気に走り回っていました。
ところがです。そんな現場の僕を、面接をしてくださったあの博報堂のクリエイティブディレクターの方が目撃します。
「中島くん何やってるんだね。君をプロダクションマネージャーにするために東北新社に入れたんじゃないんだよ!君はディレクターになるんだよ!」
え!?!?ディレクター?!?!ディレクターっちゅうのは演出です。「監督」とも言われます。東北新社には「企画演出部」という世にも恐ろしい部があってそこに行けっちゅう話です。どんだけ恐ろしいかというと、そこには殴る蹴るの「鬼」がいる、と。
いやです。行きたくありません。僕は仏様のような当時の上長やったプロデューサーに「企画演出には行きたくありません。お願いですからここで修行を続けさせてください!」と懇願するのですが、それも虚しく「中島ちゃんごめんね、会社の方針だから逆らえないんだよ」と言われ僕は恐怖の部署に放り込まれることになってしまいました。
デビュー作は松下電器のミュージカルCM
「秀樹、感激!」を作った二瓶紀六師匠に半年。「あんた松下さん?」を作った内池望博師匠に半年師事。鬼はいたのか? 幸い上手にご機嫌を伺うのが得意やった僕の前には鬼は現れませんでした。その後河内義忠というコワモテのプロデューサーの元で企画の手伝いなどをやっていたら河内さんに随分気に入られました。
そんなある日「なかじま、お前演出デビューさせてやる」とあるCMで演出で起用してくれる、という夢のような話が舞い込みました。しかしその話が決まりそうになった時、会議室の扉を開けて「ふむふむ、これはなかじまくんの仕事ではないな」という銀行員のようなおじさんが僕のデビューを阻止してきました。当時のCM本部長であった今井篤士さんです。これを聞いた河内プロデューサーは本部長の命令に苦虫を噛み潰したような顔はしましたが、あっさり僕の演出デビューは幻となってしまいました。
その夏、こんどこそほんとの演出デビュー作が用意されました。幻のデビュー作となった作品は美大出身の僕にぴったりのおしゃれでグラフィカルな企画でした。でも真のデビュー作の方はなんと「ミュージカルもの」。ミュージカル?ロック少年やった僕には全くの異文化の世界でした。エグゼクティブプロデューサーはあの「銀行員」今井本部長。
「なかじまくんのデビュー作はこれだ」
う〜んミュージカルですかあ……。クライアントはあの松下電器(現・パナソニック)。広告会社は父のいる大阪博報堂でした。CDは父と同郷の岩崎富士男さん。CMプランナーは垂水佐敏さんという鼻息の荒いおっさんでした。商品は「600種揃ったナショナルの換気扇」。単品ではなくいろんな換気扇を音楽に合わせて紹介して行く60秒の企画。
「ゴッホの自画像が『ゴッホ!』と咳き込むんや」
中身は当時10代半ばの藤吉久美子さんがボクサーの格好でにっくき「煙」とボクシングで戦っていく。しかもミュージカルですからダンスのステップを踏みながら。その「煙」の表現なんですけど垂水さんの絵コンテではいわゆる「雲形の物体」が描かれています。子供に煙を書かせたらこうなる、っちゅうような形態です。
でも煙にはそんな雲形の実体なんかあれへん。ボクシンググローブで戦えるような代物ではないんです。煙、どないすんねん? さらに垂水さん「しんや、この企画このままやってもなんもおもろないぞ。これ入れろ」とアイデアを出します。煙が階段を登って行こうとする。ボクサー藤吉久美子さんが追いかける。階段の壁には額に入ったゴッホの自画像「この絵の前に煙がさしかかった時ゴッホの自画像が『ゴッホ!』と咳き込むんや。どや、おもろいやろ」「ゴッホ……ですか」「おもろいやろ。これ入れんとなんもおもろないぞこのCM」
そんなこんなでなかじましんやのCM演出家デビュー作ではゴッホの自画像が「ゴッホ」って言ってます。現場に僕はスーツで出かけました。いつも着てるTシャツとかやったら監督に見えへんのです。スタジオはTBS緑山スタジオ。いやいやいや大変な思いをして「ゴッホ」は完成いたしました。この一本が怒涛の評判を呼び、これを皮切りに次々に演出の仕事が舞い込んでくる、ということは全然ありませんでした。
(次回は10月24日掲載)