「モータースポーツの監督」の仕事内容は?
中村:そして、先日行われたスーパーGT第5戦、鈴鹿GT300クラスで片山さんが監督を務めるグッドスマイルレーシング&チーム右京が、5年ぶりの優勝!おめでとうございます!
片山:ありがとうございます。もう、長いトンネルで。3回チャンピオンを獲って、その後、何回か勝てそうだったんですけど……。なかなか性能調整やレギュレーションやらで勝てなくて。鈴鹿の前の富士の時も、ぶっちぎりでトップを走っていたんですよ。で、ゴールのちょっと前でパンクしちゃって負けちゃったり。もう、努力をしてもホントにそういうことってあるんだな~、と思って。少しすねてしゃがみこんで、地面に「の」の字を書いたりして。
一同:(笑)。
片山:そしたら、この前勝ったので。今は、何を言われても機嫌がいいです。
澤本:あはははは!でもよかった。おめでとうございます!
片山:ありがとうございます。
中村:レースでは、レーサーが目立つのでなかなか見えてきませんけど、モータースポーツの監督というのはどんなことをしていらっしゃるんですか?
片山:監督にも種類があって。たとえば、レースの作戦を全体的に考えるとか。燃料が減ってくると、当然加速が良くなったり、ブレーキも利いてくるという「フューエルエフェクト」という現象があって。タイヤというのは、グリップダウン(すり減ってグリップ力が落ちる)してくると、デグラデーションといってタイムが落ちてくるんですね。
だから、「もうピットに入ってもいいよ」といったことを瞬時に判断したり、ドライバーに周りの状況を説明したりという、「レースストラテジスト」みたいな役割ですね。
そういう部分の監督もありますけど、今、僕はどちらかというとみんなに迷惑をかけているので。何かあったら、「どうもすみませんでした!」って謝る役目の監督です(笑)。
一同:(笑)。
F1レーサーを目指したきっかけ
澤本:右京さんといえば、最初にどうしてもF1が出てきてしまうんですけど。F1のレーサーになろうと思ったのって、ホントに衝動なんですか?
片山:まあ、F1ドライバーになろうというよりも、最初は自分の体を使う冒険家になりたいと思っていたんですね。その最初のツールとして手に入れたのが、川に捨てられていた自転車で。それをサンドペーパーかけたり、塗装したりして直して。最初に相模湖に行ってから富士五湖を一周したりしましたね。小学校5年生ぐらいになったら、フェリーで松阪に行って、東海道をひとりで走ってくるような自転車少年で。そういう冒険をしていたんですね。
おやじの影響で、ずっと山の英才教育を受けてきたのでロッククライミングをやっていたんですね。それが、高校一年生の時に原付の免許を取って。昔のオートバイって、チャンバーとかバックステップを付けると、ギリギリ時速100キロを超えたんですよ。サーキットとかでね。
中村:ええ~!!
片山:高校一年生の夏休みに中型免許を取って、富士スピードウェイも走るようになって。時速200キロを超えた瞬間、本当に心臓がせり上がるような感覚を覚えたんですね。その時に、もうよくわからないけど取り憑かれちゃって。「おれはとにかく、世界で一番になる!」って。バカですよね(笑)。
澤本:凄い……(笑)。
片山:でも、そんな簡単にレーサーになれるわけじゃないし、高校3年生の進路指導で「いや、F1ドライバーになるからいいですよ」って言ったんだけど、まだ中嶋悟さんもF1マシンに乗っていないし、第二期のホンダにも行ってない頃だったので。その上、入門クラスでも今のお金にしたら年間5000万円ぐらいかかるから……。
中村:へえ~!
片山:でも、サーキットに行くお金もないからサーキットに住んじゃえばいいや、と思って。サーキットに住んで、メカニックになって。そうすると交通費はいらないし、技術を教えてもらって給料ももらえる、という一石三鳥で。
権八:サーキットって、住めるんですか?(笑)
片山:正確に言うと、サーキットの前にある、レーシングガレージですね。
権八:あ~……。え~?!(笑)
初めてのサーキットで「コースレコード」に肉薄する
中村:で、筑波サーキットですよね?
片山:はい。それでも全然お金が足りないから、捨てられていたタイヤを拾って。自分でも練習用に使うけど、それをバランサーにかけて、きれいにして販売したり。エンジンもフラッシングといってオーバーホールの時にエンジン内部も洗うんですね。そういうものをコッソリ販売したり。
澤本:コッソリ……(笑)。
片山:そうやってお小遣い稼ぎをしないと。オートバイをもらったりしても、今みたいにネットオークションがあるわけじゃないから知り合いに買ってもらったり。とにかく、勝たないとチャンピオンカーである自分の車が売れないんですよ。そうやって稼いで、すぐに入門用のレーシングカーを買いましたね。
向き不向きで言ったら、僕はホントに向いていて。他のどんなスポーツをやっても全然ダメだったのに、車の運転だけは初日から「練習してきただろ?」って言われるくらいでしたね。サーキットを初めて走った時、コースレコードのコンマ1秒落ちを出しました。
澤本:凄い、ですね……(笑)。
片山:で、レースに出たらポールポジションを取って、優勝して。その年に全勝優勝してチャンピオンを獲ったんですけど「そんなの田舎だからだよ」って言われて。それで、鈴鹿サーキットに行ったら、やっぱり全勝優勝してチャンピオンを獲って、という。
権八:あはははは!
中村:なんでしょう、働いているうちにコース取りとか、ブレーキングポイントとかを学習されたんですかね。
片山:もちろん。コースで走ろうにも、走行券を買うお金がないんですよ。ローンでレーシングカーを買っているから、毎月の支払いの後は一万円しか残らなくて。サーキットを20分走ると、5700円ぐらいの走行券代がかかる。その残金でガソリンを買って。つまり月に一回、20分しか走れないわけだから、一周一周が真剣でしたね。
で、レースに出ると、ライバルはみんなお金持ってるわけじゃないですか?だから、ぼくは絶対に負けないぞ!と。
権八:あはははは!
片山:エンジンがオーバーヒートして、ストレートが遅くなったら、蛇行してでも抜かせないようにして。それで、毎回競技長とかレースの主催者に呼ばれましたね。「いいか、お前みたいなやつがいると、レースが開催できなくなるんだ」と。随分怒られましたね……。
中村:ははははは!
片山:いわゆる、鼻つまみ者でしたね〜。
中村:凄いなあ~。
権八:それは、20代前半ぐらいですか?
片山:10代の終わりですね。
中村:さっきのって、ふつうの走行会とかの話ですよね?
片山:そうですね。19ぐらいでレースデビューして、とにかく「絶対に負けない!」というか「絶対に勝つ!」しか考えていませんでしたね。でも、根性だけで才能がなくて……。F1にも行かせてもらったけど、セナとかシューマッハとかプロストとか、やっぱり世界チャンピオンというのは違うな、と思いましたね。世界で2番目とか3番目はたまに争ったりしたけど。やっぱり、努力だけではない、というところもね。