【開催決定】12月1日「伝説の授業採集」刊行イベント 申し込み受付中
「平行線マンガ」が生まれるまで
倉成:萩原さんの存在を僕が知ったのは、もう24年くらい前、大学院に在籍しながら宣伝会議のCMプランナー講座(黒須美彦クラス)に通っていた頃です。そのクラスで「萩原さんという天才プランナーがいる」って話を聞いて。それこそ僕にとっては伝説みたいな存在でした。その後、萩原さんは黒須さんと一緒に博報堂から独立して、シンガタに移って。シンガタにいる時に、1回仕事をしましたよね。
萩原:ケンタッキーのCMの仕事でしたよね。それが初めましてでしたね。
倉成:そうそう。ケンタッキーを食べたくなるようなシーンを小出しでつなげていく企画で。僕はいわゆるCM制作作業をしたのはそれが最後だったので、萩原さんにもずっと会わない期間があって。
−−そして、著者と挿絵の作者として再び出会ったんですね。
倉成:そうです。挿絵を誰に頼もうか?と話し合う中で、萩原さんの名前が挙がって。「それは面白いんじゃないですか!」とお願いして、OKもらえたという。
萩原:もちろん、大喜びで受けさせていただきました。
倉成:萩原さんにお願いすると、全くどういう形になるかわからないけど、そのコラボレーションは面白そうだと思って。
−−萩原さんは、急に「倉成さんの連載に挿絵をつけてください」と依頼が来て、どう思いましたか?
萩原:どんな話が書かれるか全然わからないけど、きっと頭がいいことを書くからヤバイぞ、とは思いました(笑)。最初の編集さんとの打ち合わせで、どんな内容が来るかもわからないし、なぞった絵を描いてもしょうがないし、絵でネタバレするのもよくないねと。それで、タイトルをもらって、それを頼りに考えようと思ったんですよね。
−−そして、萩原さんはCMコンテを描き慣れていらっしゃるので、4コマ漫画でどうでしょうと。
倉成:そんな知らないやりとりがあったんだ。
萩原:ネタがわからないから、毎回ドキドキしながら描いてました。
−−「平行線マンガ」って、誰が言い始めたんですか?
萩原:連載が始まって、私のSNSでお知らせをしたら、「内容に合ってるんだか合ってないんだか、平行線な感じがいいよね」と言ってくれた人がいて。倉成さんに伝えたら、そこを面白がってくれて。
倉成:どこまで行っても交わらない、みたいな(笑)。実際、あのマンガ、萩原さんどうやって考えてたんですか?
萩原:うーん、CMとそんなに考え方は変わらないと思います。でも、こういうのは自分がどこかで経験したものからしかアイデアは来ないですよね?だから、きっと身を削っていると思う(笑)。
倉成:ひも買って自殺するのかと思いきや、というネタがありましたが、あれは実体験じゃないですよね?(笑)
萩原:あの回だけ、実は書き直したんですよ。今日、ちょうどその時のボツネタも含めて持ってきたんですけど。最初描いてみて、違うなと思って、描き直してそばにいた娘にどっちがいい?と聞いて(笑)。
倉成:おお、これが原画なんですね。すごい。
−−CMだと言うべきことが決まっているけれど、このマンガはキーワードから膨らませるから、そこは違うような気が…。
倉成:CMはストーリーと商品が平行線にならないように、落としにかかりますからね。
萩原:なんと言うか、キーワードから考えるけど、キーワードに落とそうとしているから…。
倉成:キーワードが商品みたいな感じなんですか?
萩原:たぶん。そうです。
倉成:これまでも、そんな仕事があったんですか?
萩原:いやいや、ないですよ。でも、明光義塾の仕事でサボロー(編集部注:明光義塾のキャラクター。萩原さんがイラストを描いている)の本が出たときに、いくつかマンガを描いたことはあったから。作業的には近いかもしれない。
倉成:まあ、天才の頭のプロセスを聞いてもしょうがないから(笑)。
萩原:それ言われるのは本当に恥ずかしいんで、やめてください…!
倉成:僕はあの回が好きでしたね。「ハニー」。
萩原:花火の授業ですね。すごいです。あれ、受けたかったなあ。
倉成:そう。受けたかった授業がたくさんあるんです。萩原さんのマンガは、ひとり一人のキャラクターが、こんな単純な線で書いてあるのに性格がにじみ出てるのがすごい。
萩原:そうですか?みんな同じ顔じゃないですか?(笑)
倉成:同じ顔だったのかぁ。それにも気づかないくらい。あと、チューニングの話も好きです。わかりやすくて。
萩原:私は子どもの頃、チューニングが曲の始まりなのかなって勘違いしたことが何回かあって、その経験からです(笑)。
倉成:萩原さんは、どれがお気に入りなんですか?
萩原:一つだけキーワードから考えてないのがあって、これは気に入ってます。
倉成:トーンがね、笑わせるのばっかりじゃなくて、しんみり系とか、日常のささやか系とか、色々あって。そこのバランスもよくて。
萩原さんが受けた「伝説の授業」は?
倉成:萩原さんが受けた「伝説の授業」って何かありますか。
萩原:私は特別な授業も受けた記憶も、誰かすごい先生に導かれた記憶もなくて、自分は「伝説の授業」には縁がないぞ、と思っていたんですよ。自分で気づいてきたし自分で考えてきたし…ってちょっと偉そうなことを思って生きてきたんですけど、この本を読んで「あ、違ってた」と気づきました。
そういう風に仕向けられてたんだ、って。自分で気づいて考えるように仕向けるような環境に置いてもらった。そういう教育を受けてきたんだ、と思いました。
倉成:へぇ!具体的にはどういうことですか?
萩原:高校がドイツのインターナショナルスクールで、大学は美大に行っているんです。インターだといろんな国の人がいて「ザ・多様性」な環境だし、美大は「人と違うことが、いいことだ」という価値観だから。知らない間にそういう環境から影響を受けてきたんだなって。
倉成:萩原さん、高校がドイツだったんですか?
萩原:そうなんです。
倉成:何か面白い授業なかったですか、ドイツ。
萩原:私、語学がすごい苦手なんですよ。だから半分くらい言ってることがわからない中で暮らしてて。授業の内容も、こういうことをやってるんじゃないかなあ、みたいな想像で生きてきたんで。だから想像力は鍛えられたかもしれない(笑)。
倉成:美大は武蔵美でしたっけ。
萩原:そうです。視覚伝達デザイン学科で。
倉成:そこからグラフィックではなく、CMの道に進んだんですね。
萩原:博報堂にはデザイナーで入って、ポスター作る気満々だったんですけど。たまたま配属が黒須チームで、CMの仕事がたくさん来るチームだったから、グラフィックもやっていたけどだんだんCMの分量が増えてきて。で、シンガタに移った時に、佐々木(宏)さんに「もう(名刺の肩書きは)CMプランナーでいいだろ?」って(笑)。
倉成:萩原さんって、CMのプランニング最初からできたんでしょう?何か教えられたことってあったんですか。
萩原:私のCMコンテはもともとすごい細かかったんです。「もう、演出コンテじゃないんだからさ!」と黒須さんに注意されるくらい。2枚、3枚に渡って書いていたんですけど、「企画コンテは1枚にまとめなさい」と言われて、まとめられるようになりました。
倉成:そのくらいですか、教えられたことは?(笑)
――このシンプルな4コママンガも、その延長線上にあるということですね。
萩原:どうですかね。いま思うと、昔企画コンテを細かく書いていたのは、「正面を向いていたこの人が、ちょっとしたらこっちを見る」みたいな間(ま)が、自分にとって大事だったからだと思います。ここでこのくらいの間を取って次にいく、みたいのを細かく書いていたんですけど、企画として必要ないから省きましょうねと教えられて。でも、元々そういうことを考えるのは好きで、今でも自分の中で大事にしてます。描かなくても、心の中ではちゃんとこの間がある、という感じで。
倉成:萩原さんの企画はCMでも何でも、間がデザインされていますよね。ちなみに美大に行ったのはなぜですか?
萩原:中学生の頃から何か物をつくる人にはなりたくて。ドイツの高校から帰って大学に入るときに、美大には帰国子女枠もないし、実技もあるから無理かなと思ったんですけど、先生に「やってみないとわからない」と言われて。それで予備校に通って、チャレンジしたんです。
最初はほんとひどくて。予備校のデッサンの授業でみんながわっと描きだす中、「みんなと同じように描くなんてつまらない。好きなように描くのが絵だろう」と石膏像の顔だけを紙いっぱいに、ゴリゴリ濃い鉛筆で描いたり。それを予備校の先生に無言で消されて、腹が立ってしばらくその先生を無視していたり(笑)。そのくらい何もわからない状態からはじめて…よく受かりましたね。
倉成:パンクだったんですね。大学ではずっとグラフィックを作ってたんですか?
萩原:ポスターを作りたくて入ったんですけど、やり始めたら1枚の平面というのが少し物足りなくなってきて。ページをめくる変化があるエディトリアルとか、立体パッケージで開けていくと何か表情が変わるとか、そっちの方に興味が出てきて、最後の方は平面は全くやっていなかったです。
倉成:なるほど〜。そこからもう「間」が出現し始めていたんですね。
常人離れした「想像グセ」のゆくえ
−−先ほどドイツの学校で、言葉がわからなくて授業の内容も想像することが多かったという話がありました。そこからお話の空想や想像が得意になったのかな、と。
萩原:あ、想像はかなり得意です。ドラマのワンシーンを見て、勝手にこの人たちは今からこういうところに行って何をするとか、全然関係ない話を作ってます(笑)。電車の中で見かけた人とかでも、しょっちゅうやってます。
倉成:それは趣味なんですか?
萩原:趣味ですね(笑)。数日置いてさらに「続編」を考えたり…。
倉成:その蓄積がこのマンガのキャラクターになってますよ、絶対。萩原さんがすれ違って空想のドラマに登場した人たちなんじゃないかなあ。こういう人いるよね、というのがすごく抽象化されているから。いや、一つ謎が解けました。
それって、自分で自分に「伝説の授業」をしてるようなものじゃないですか?だって、そんなことやっている人他にいないですもん(笑)。ずっとやり続けて筋力がついてるんですよ。
…その「想像」って、どうやるんです?
萩原:えっ?
倉成:例えばこの本に出てくる人がいるじゃないですか。この人、どうです?
萩原:外国人の方ですね。
倉成:そうですね。
萩原:うーん。この人は今日家に帰ったら、スープを作るんですけど。あ、重めのスープですね。トマト味のとか。で、マッシュルームが入ってます。
倉成:えー面白い。ちなみにこの方は、世界的巨匠建築家のレム・コールハースです。
萩原:すみません(笑)。
倉成:じゃあ、こっちの人は?
萩原:この人は、あからさまに退屈してますね。きっと向かいに座っている人が嫌いなんですね。心の中でいつも悪態をついている感じの人です。だからトラブルも起きやすいです。
倉成:なるほどぉ。そりゃ、萩原さん、面白いCMができますね。
−−そういうものも含めて、実体験がたくさん詰まったマンガなんだということがよくわかりました。女性の微妙なおかしみや哀しみの心理が表現されているものも、私は好きでした。
萩原:ふふ。ありがとうございます。こっちのマンガは、完全な実体験ですね。我が家の実話です。
倉成:萩原家の話だったんだ。今どき、こういうハゲおやじ、いないですよね(笑)?
萩原:もうね、基本昭和なんですよ。お母さんはモジャモジャのおばさんで、お父さんはハゲおやじで。
−−それで新聞の四コママンガ的なイメージもあるんですね。
倉成:新聞の四コママンガを毎日書いてくれって言われたら、どうします?
萩原:黒須さんにも「早くそういう方に移ったら?」って言われます(笑)。
倉成:新聞の四コマ、萩原さんに話が来ないかな。この連載から。
萩原:ふふふ。
−−その展開、イイですね(笑)。お2人とも、どうもありがとうございました!
倉成英俊(くらなり・ひでとし)
1975年佐賀県生まれ。小学校の時の将来の夢は「発明家」。東京大学機械工学科卒、同大学院中退。2000年電通入社。クリエーティブ局に配属、多数の広告を企画制作。その最中に、プロダクトを自主制作し多数発表。2007年バルセロナのプロダクトデザイナーMarti Guxieのスタジオに勤務。帰国後、広告のスキルを超拡大応用し、各社新規事業部の新プロジェクト創出支援や、APEC JAPAN 2010や東京モーターショー2011、IMF/ 世界銀行総会2012日本開催の総合プロデュース、佐賀県有田焼創業400年事業など、さまざまなジャンルのプロジェクトをリードする。2014年より、電通社員でありながら個人活動(B面)を持つ社員56人と「電通Bチーム」を組織、社会を変えるこれまでと違うオルタナティブな方法やプロジェクトを社会に提供。2015年には、答えのないクリエーティブな教育プログラムを提供する「電通アクティブラーニングこんなのどうだろう研究所」をスタート。2020年7月1日Creative Project Baseを起業。Marti Guxieにより日本人初のex-designerに認定。
萩原ゆか(はぎわら・ゆか)
1972年生まれ。武蔵野美術大学卒業。1996年博報堂にデザイナー入社するも、ポスターよりCMばかり作る。2003年シンガタへ。明光義塾の仕事でサボローやYDKのキャラクターを生み、たくさん描く。シンガタ解散後、肩書きに「イラストレーター」を追加。現在、フリーでCMプランナー/イラストレーターやってます。
刊行イベント開催のお知らせ
12月1日文喫 六本木にて、倉成英俊さんと幅允孝さんのトークイベントを行います。奮ってご参加ください。アーカイブ配信もあります。詳細はこちら。