【前回はこちら】CMプランナー時代の到来、新しい才能との出会いに活路を見出す
「夢のADC賞」は狭き門
前回は、CMの世界におけるディレクター万能の時代から、CMプランナーやアートディレクターがディレクターとタッグを組んでいく時代に移っていったことを紹介しました。1990年代のことです。
その後、インターネットによるテレビ大変革の波に巻き込まれていくのですが、その話を進める前に、広告の歴史を語る上でやっぱりお話ししとかなあかんかな、って思ってる人がいます。広告業界が生んだ天才、大貫卓也さんです。
この人はすごい。すごい、っちゅう言葉では表現しきれへんほどすごいんです。今回と次回、2回分はこの話にお付き合いください。
CMプランナー・佐藤雅彦さんとコピーライター・佐々木宏さんのタッグで僕がディレクターをつとめさせていただいたフジテレビの’90フジテレビ春のキャンペーンCM「クリストファー・ロイド」のシリーズは様々なところで評判になりました。なかでも東京アートディレクターズクラブ(ADC)が主催しているADC賞の最高賞を頂戴した時は衝撃でした。
いっとき血迷ってグラフィックデザイナーの世界に踏み入れようとしてた僕にとってはほんまに「夢のADC賞」。あんまま就職してデザイナーになってたとしたら永久にご縁がなかった賞やったと思います。
そのADC賞ですが、ADC会員が対象の「会員賞」と会員以外の作品が対象の「一般のADC賞」の二つに分かれています。フジテレビはこの一般部門で受賞しました。が、もう一方の「会員賞」っちゅうのが大変なんです。
僕もそのあと何回か一般部門で受賞してADC会員にならせていただいたんですが、会員になるとわかるんです。「ADC会員賞なんか絶対取られへん!」。ポスター、ジェネラルグラフィック、パッケージ、環境デザイン、サイン・シンボル・ロゴタイプ、エディトリアル、そして映像作品。その全ジャンルのなかから会員賞はたった3枠。
無理ですわ。無理なんです。
しかも! この3枠、実質は2枠やったんです。ちゅうのはですね、3枠のうち1枠は「大貫卓也枠」やったんです。
いやいや別に大貫さんの作品を必ず一つは入れることになってる、っちゅうきまりがあったっちゅうことではありません。
入るんです。大貫さんのつくった作品が必ず。
厳しい審査を経て必ず会員賞に入るんです。正確な記録をたどるとわかると思うんですけど、10回近く連続して獲ってはるんちゃうか、と思います。ということからもわかるように、80年代半ばから90年代にかけて大貫卓也さんはすごいことになってた。
このすんごい大貫卓也さんとのある大仕事によって、CMディレクターとしての中島信也の土台ができ上がっていくことになります。その大仕事というのが、カンヌグランプリを受賞した日清食品カップヌードルの「hungry?」シリーズです。
「巨大マンモスの作り物で実写」はコスト高すぎで断念
日清食品のカップヌードルの広告。80年代終わりには、アートディレクターの巨匠、浅葉克己さんがアーノルド・シュワルツェネッガーにやかんを振り回させて「力こぶる」ちゅうすごいのをつくってた。大貫さんは当時博報堂のアートディレクターで、宮崎晋CDが率いるチームに所属していました。このチームがコンペで勝って、その次の広告を担当することになりました。
僕はこのチームにあとのほうで合流することになります。僕をアサインした東北新社の担当プロデューサー・堀井誠一郎(現・顧問)が当時僕にこう語ってくれました。
「『食欲百万年』ていう企画でさあ。原始時代の大平原が舞台で巨大なマンモスを原始人たちがひたすら追いかける、ってやつなんだ。でさ、大貫さんはこれを実写でやりたい、って言うんだよ。
実写だとするとね、ロケでアフリカのキリマンジャロあたりに行ってやることになる。ここで巨大マンモスの動く作り物をつくってそれを原始人が追いかける様子を撮影する。これを前提で見積もりが欲しいって言うから、計算して見積もりをつくったんだよな。
そしたら9億になるんだよ。それを出したらさあ、営業さんが言うんだよね『ちょっと高いな』。しょうがないから俺が大貫さんに『合成しかないですよ』って説得にかかった。『中島呼んでデジタルでやるしかないですよ』って言ったらさ、大貫さん、ものすごく渋るんだよね」
「美人を連れてきたヒゲ」との気まずい初顔合わせ
その時ピンと来たんです。当時の大貫さん、僕のこと嫌いやった、って。当時僕は「フジテレビ・ロイドさん」でADC賞の最高賞を獲って調子に乗っていました。そのほかにも、思い当たることがふたつありました。
ひとつは僕がヒゲを生やしてたこと。大貫さん、当時ヒゲ生やしてクリエイターぶってる人間が大嫌いやった、って後々教えてくれました。そんなこと知らんと僕、ヒゲ。それともうひとつ、どうしようもないエピソードがあります。
その頃僕がいくつかの仕事でお世話になっていた東北新社の黒木邦彦さんというプロデューサーがおられました。この黒木P、CMのプロデュースのほかに高円寺のガード下でバーを経営しておられました。
ある日、そのお店に博報堂の宮崎CDと気鋭のアートディレクター大貫卓也さんをお招きしておもてなしするから中島も来い、と。でその時に黒木さんにひとつ頼まれごとをしました。「おもてなし要員としてコンパニオンに来てもらうことになってるから信也ちゃん高円寺駅で彼女をピックアップして来てほしいんだよね」。了解しました、と僕は高円寺駅からその方をお店にお連れする係を仰せつかったんです。
無事彼女と落ちあうことができ、とっても美しい女性を連れて黒木さんのお店へ。扉を開けると、宮崎CDと並んで大貫卓也さんが。大貫さんからすると「中島信也だ。めちゃめちゃ美人を連れて来やがった。しかもヒゲ」。大貫さんとの初顔合わせはこのようにものすごく気まずいものでした。
「僕のこと嫌いや」。そう確信していましたが、僕は呼ばれるがままカップヌードルチームに合流します。高円寺の気まずい出会い以来の大貫さんとのご対面。そんときの僕の気持ちはなんや対抗心を抱いてました。なんの対抗心かというと、大貫さん多摩美のグラフィックデザイン学科の出身。僕武蔵美の視覚伝達出身。武蔵美としては多摩美に負けるわけにはいかん。
うわあ、今思えば実にしょーもない対抗意識。書いてて汗出ます。でもそんな対抗心もその後の30分くらいで木っ端微塵に粉砕されます。
初のミーティングであっさり白旗を上げる
まず大貫さん、机の上に企画のキービジュアルを広げました。原始時代の大平原です。そこに原始人の群れ。そしてマンモスを配置する。あの原始人シリーズには巨大生物がたくさん登場しますが、あれ達、恐竜やと思ってる人もおられるんとちゃいますか? まあ、マンモスは象の仲間として、その他の巨大生物たち、僕も恐竜の仲間やと思ってました。でもあれ達はみんな「哺乳類」なんです。「絶滅哺乳類」。恐竜でも怪獣でもないんですね。
あ、話がそれました。
そこに配置するマンモスの大きさを決めるために大貫さん、若くてシュッとしてる制作進行の今井弘秋くんに「コピー取ってきて」と一枚のマンモスの絵を渡します。その時です。大貫さん、今井くんに向かって
「大きさ、拡大縮小して100段階で取ってほしいんだよね」
来ました。先制パンチです。大貫さんがどれだけビジュアルにこだわっているのか、僕たちCM屋とは別格のこだわりがある、ということを僕は見せつけられたように感じました。
勘のいい僕は、この時点であっさり白旗を上げることにしました。
いやあ、思い返してもほんまに素直な青年ですわ、僕。しかしほんまに、これはあかん。大貫さんに対抗しようと思ったら子供に戻ってやり直さなあかん。そんなんかなわんわ。マンモスの大きさを決めるのに100通りから選ぶ執念。白旗ですわ。
この白旗が正しかったことは、2017年にグラフィック社から刊行された大貫卓也全仕事集「Advertising is」を見れば一目瞭然です。一つの作品にかけるこだわり、試行錯誤の数量が常軌を逸脱してるんです。うそやと思ったらその本見てみてください。やばいです。
こうしてどことなくギクシャクした関係でスタートした日清食品カップヌードルの仕事ですが、合衆国はカリフォルニア州のロケ地を短パンで走り回っているうちに僕たちは急に仲良くなれました。
が、大貫さんのすごさはここからが本番なのです。
(次回は12月5日掲載)