【前回はこちら】「hungry?」の舞台裏(前)~大貫卓也にはかなわない
「ふくらはぎの共感」でチームの結束は強固に
前回と今回は、栄えあるカンヌグランプリに選ばれた日清食品カップヌードル「hungry?」シリーズの制作秘話を紹介します。前回は、僕がCMディレクターとしてチームに加わり、大貫卓也さんらとの仕事が始まったところまででした。
あるロケの準備の日、大貫さんとこのシリーズのCMプランナーで同じく博報堂の石井昌彦さんが「ふくらはぎ」で盛り上がってます。お二人とも学生時代にラグビーをされていて、短パンから生えている脚の「ふくらはぎ」がすごく立派やったんです。
お! 「ふくらはぎ」やったら僕も負けへんで! 高校大学とワンダーフォーゲルで鍛えた僕の「ふくらはぎ」もダテやないで、と「ふくらはぎ」自慢に参戦しました。ラグビーのお二人には少し及びませんでしたが、3人ともなかなかな「ふくらはぎ」の持ち主や、ということを認め合いました。
この「ふくらはぎの共感」によって、石井昌彦さん含めてチームの絆が固まったと僕は思ってます。やっぱり若い頃はスポーツやっとくもんですね。
こうしてだんだん仲良くなってくると、最初僕がディレクターをやることを渋った理由もわかってきました。ヒゲや美女が理由ではなくって「デジタル」という言葉の持つビデオ映像的な冷たいトーン感を避けたかった、というのが真意だったんです。
でき上がりを見ていただくとわかると思いますが、デジタル映像でありながらデジタル感やビデオルックを極限まで抑え込んで、フィルムライクに仕上げています。このために編集上の工夫だけでなく、マンモスの足元に上がる砂煙の素材を撮って使用したり、火山の煙を撮影したり、様々な工夫をしています。あくまでアートディレクションとして「デジタルの中島」は違うのでは、と思っておられたんです。
「ええ感じやええ感じや!」カリフォルニアに響く関西弁
さて、ロケ現場である原始時代の大平原はロサンゼルスの北、車で3時間ほど行ったところ、干上がった湖の上でした。マンモスを追いかける原始人たちはロサンゼルスで集めてバスに乗って現地まで行ってもらいます。
スタッフと原始人たちは毎日毎日ロサンゼルスから往復するわけです。ロケでは大貫さんがモニターを見てフレーミング、原始人の大きさ、レイアウトを厳しくチェックして僕に指示を出します。
僕の主な仕事は原始人たちの演技、動きの指示です。ところが望遠系のレンズで離れたところから撮影していて指示がなかなか届かない。そこで制作進行の町田和幸くんに原始人に扮してもらい、原始人のみんなに「こいつがリーダーだ。みんな、こいつのスピードに合わせて進んでくれ!」とお願いしました。
町田くんはみんなから「リーダー! リーダー!」と奉られて、原始人たちの息が一つになっていきました。僕は遠くのカメラ横から尼崎出身の町田くんのトランシーバーに向かって関西弁で指示を出します。「町田、もう少しゆっくり、あ、もう少し早くやな。ええ感じやええ感じや!」。こうしてカリフォルニア州の大平原に関西弁が響き渡るなか、原始人たちの動きを撮影していきました。
原始人に並んで重要な役割を果たすのがマンモスです。先ほども言いましたが登場するこの絶滅哺乳類たち、デザインを決めるのは大貫さんです。大貫さんがありとあらゆる資料を紐解いて粘土で造形をしたものがベースになります。
ただ初回のマンモスの造形については大貫さんが決めるのではなくてストップモーションアニメーション、つまり「コマ撮り」のエキスパートにマンモスの造形、そして動き方を提案させました。
「普通は無理」な要望を通してしまう超能力
さてこの「コマ撮り」のエキスパート選びがまた大変でした。誰に頼んだらええのか。チームの出した結論は「日米マンモス対決」でした。日本を代表する「コマ撮り」のエキスパートとハリウッドで当時メキメキと頭角を表し始めてたアメリカの「コマ撮り」のエキスパートにそれぞれ発注し、マンモスの造形とコマ撮りアニメーションのテスト撮影を行ってもらい、その上がりを見比べて決める。国際試合です。
そんなこと、僕が提案したらプロデューサーにこう言われるはずです。「中島おまえ、大貫さんじゃないんだから」って。大貫さんには「普通無理やろ」という要望を通す超能力が備わってるんです。
さて、日米対決の結果は。相当癖は強いけど誰も見たことのない造形と動きを提案してきたハリウッドチームに軍配が上がりました。以後、シリーズのストップモーションアニメーションはハリウッド気鋭の「キヨドブラザーズ」が全作担当しています。
「hungry?」誕生の瞬間
ロサンゼルスに2週間くらい滞在してコマ撮りと大平原での原始人のロケを並行して進めていた日々ですが、あの名コピー「hungry?」が生まれたのは実は原始人のロケの現場近くやったんです。
ロケの帰り、ロケバスの中で大貫さんがロゴのスケッチらしきことをしているのを僕は見つけました。あの「食欲百万年」のシリーズ、当初は「おなかのすいている人はいませんか?」という前田知巳さんのコピーがタグラインとして置かれていました。
大貫さんは「コカ・コーラの『Yes Coke Yes』みたいなシンプルな英語でやりたいんだよね」と手元のスケッチに「Are you hungry?」というタイポグラフィのスケッチを書いておられました。僕はなるほど、カッコええなあ、確かに。と思いましたがCMのキレを考えるとちょっと長いかな、と思い「hungryクエスチョンマーク」でええんとちゃいます? と大貫さんに提案したんです。
なかなか僕の提案を受け入れてくれるような方ではないんですが、この時は「そうだね!」と僕の提案を認めてくれたんです。
でも今考えると大貫さんが「Are you hungry?」にしたい、って思ってなかったら世界中の人に認められるようなCMになってへんかったんちゃうか、と思います。英語で行きたい、って思ったんはもしかしたらロケで行き来してた合衆国西海岸の風の影響かもしれません。
帰国したらオムニバス・ジャパンに入って、映像の構築に入ります。今やったらほぼほぼコンピュータ・グラフィックでつくれるような絵やと思いますが、当時はまだCGにはリアルと見分けがつかないほどの表現力はありませんでした。ので、実写素材を組み上げるためにオムニバス・ジャパンのデジタル技術が活用されたわけです。
オムニバスのビジュアル・アーキテクト佐藤仁さんのすごわざによって、デジタルらしからぬフィルムルックなデジタル映像が完成してくると、今度は音づくりです。最初、日清食品さんは音楽の開発を希望されていました。
そこで前田さんのコピーである「♪おなかのすいてる人はいませんか?」という曲をアメリカで録音してつくりました。
でも却下。なんちゅう贅沢。
その代わり臨場感あふれる効果音と原始人たちの声をたたせて独特の音世界をつくりました。
そして決め手は「hungry?」の声。これは動物に近い人に叫んでもらいたい、と思いました。動物といえばアニマル、あ、吠えるアニマルおる! とプロ野球・阪急ブレーブス(当時)の吠えるピッチャー、アニマル・レスリー(その当時よしもとに入って福本豊さんが命名した「阿仁丸」という芸名で活躍してました)を僕は提案しました。
これがハマりました。アニマルの「hungry?」がなかったら世界の賞に近づけなかったかもしれません。それくらいアニマルの一声はこのCMの大きな力になりました。
僕と年齢がタメ、ちゅうこともあってほんまに仲良くさせてもらったんですが、残念ながらアニマルさん、2013年に亡くなっています。でも世界に響き渡った「hungry?」の一声は永久に消えないと思います。
カンヌ受賞の重みを後々になって実感
こうして日清食品カップヌードル「hungry?」シリーズはでき上がっていきました。最初のオンエアが1991年12月、シリーズは94年まで続きました。
このCMがカンヌ国際広告祭(当時)のグランプリを頂戴した、という知らせは、当のシリーズの新作をロサンゼルスで撮影している最中に届きました。
僕たちは歓喜してビールかけをやったか、というと全然そんなことはなく、新作の撮影に集中していました。翌年もカンヌの金賞をいただいたんですが、この時もやっぱりロサンゼルスで新シリーズを撮影してました。
後になってこの賞の持つ価値の大きさに気づいた、っちゅうのが本当のところです。当時、日本最大の広告賞「ACC賞」では佐々木宏さんチームによる矢沢永吉さんのサントリー「BOSS」がグランプリで、「hungry?」はスポット大賞でした。マンモスも永ちゃんには勝てない、とちょっと消沈してたのも事実です。
でもなあ……制作者としてカンヌの壇上に立ったら最高の気分やったやろなあ、って今クリエイターたちがカンヌの壇上でフィーバーしてるのを見るにつけ思ってしまうのは正直な気持ちです。
とはいえ、この大貫卓也さんとの大仕事で僕のCMディレクターとしての評判は相当高まったことは間違いありません。大貫さんのスゴさの片鱗、伝わりましたでしょうか?
ともかくも大貫さんが僕とこの大仕事をご一緒してくださったことによって、僕は一人前のディレクターとして認められるようになったんです。仕事を出してくださった宮崎晋CD、石井昌彦さん、大貫卓也さんに今でもめちゃめちゃ感謝してます。
(次回は12月12日掲載)