CMがみんなを幸せにする、魅力あふれる場であり続けるために

【前回はこちら】「売りたい気持ち満載」のCMであふれるようになったのはなぜか

「お茶の間」知ってますか?

前回は、インターネットが登場した1990年代後半以降、テレビCMを取り巻く環境が以前とは違う、難しいものになっている状況について、もやもやしていることお伝えしました。

カンヌライオンズでソーシャルグッドを追求した表現が注目されています。すごいことだと思っています。一方、テレビには売りに徹したCMであふれています。その事情もわかります。

CMは、そしてテレビはどうなっていくのか。

誰も見ない懐かしのメディア、テレビ。そんなこと言われたくない。テレビコマーシャルをなんとかしたい。お茶の間に……

そう言えばヤングのみなさん、「お茶の間」って知ってますか? 昔はね、この「お茶の間」に家族全員が集まってご飯食べたり、お茶飲んだりしてたんですよ。今で言うところのコミュニティスペースやね。

ほんでね、昭和30年代後半くらいからこの「お茶の間」の主役に「テレビ」っちゅう箱が君臨するようになるんです。家族全員がテレビの前に揃ってお楽しみの番組を見る。おもろいテレビコマーシャルをみんなで見る。この「お茶の間」の話題が翌朝には通ってる学校のクラスの話題になる。職場の話題になる。こうして「お茶の間」の話題が世間全般の話題になっていく。

つまりヤング諸君、昔はね「お茶の間」を制するものが社会を制したんやで。ちょっと大げさやけど。そやから僕らCMのつくり手は「お茶の間」制覇を目指してあの手この手のアイデアをひねり出してた、っちゅうわけやねん。

「お茶の間」の説明が長くなりました。

その「お茶の間」に幸せな時間を運びたい。お茶の間がどっかに行ってしまった今でもテレビコマーシャルをなんとかしたい!

という気持ちが募る時、僕はCMそのもののクオリティの問題やろか、とか、広告主の置かれている状況の問題やろか、とかいろいろ思いを巡らしていくなかで、テレビコマーシャルと一緒に発展してきた「放送」の問題に行き着きました。「放送」それも「民放(民間放送)」やね。

東京コピーライターズクラブ(TCC)60周年記念イベント「コピーライターズサミット」で、司会を務める筆者。右はモテクリエイター/実業家のゆうこすさん

民間放送の原点は「豊かな時間の提供」

太平洋戦争終結直後はGHQが「NHK独占・民放却下」という方針を打ち出してたらしい。1950年にようやく放送法によって民間放送の設置が認められて、1951年にまずはラジオの民間放送がスタート(CBCラジオ・MBSラジオ)。テレビの民間放送はその2年後の1953年8月に日本テレビが放送を開始。ここからやねんね。

ほんでね、僕が思うのはもともと民放っちゅうのは民間の手によって番組を編成し、しかも有料ではなくて誰もが無料で見られるようにしよう、という思いから生まれたもんやと思うんです。

自分たちで集めたニュースや天気予報などの情報を無料で提供し、人気スポーツ中継を無料で提供し、エンタテインメントを無料で提供する。それによってお茶の間の皆さんに豊かな時間を提供したい。民放があればみんなもっともっと幸せになれる。「みんなを放送の力でもっともっと幸せにしたい」という高い志から生み出されたもんやと思ってるんです。

この高い志に賛同する優良な企業たちが「よし、民放のある豊かな社会をつくっていくために一肌脱ごうやないか」と、自らがスポンサーとなってお金を出し、優良な番組を提供する。そのかわり番組を提供している自分たち企業の姿、自分たちが世の中に送り出している商品を、番組を見ていただいている皆様にご紹介したい。これがテレビコマーシャルの起こりやと思っているんです。

つまりテレビは「国民を幸せにするための情報インフラストラクチャー」としての使命を持って生まれ、テレビコマーシャルはその使命を果たすために名乗りを上げた企業の活動を視聴者に紹介し、企業と国民をつなぐ重要なコミュニケーションとしてスタートした、と思うんです。

これは僕の勝手な思い込み、ロマン、単なる浪漫酒場かもしれません。でも、良い番組を提供したい、って言うておきながら「買って買って!」だけのCMを流してたらお茶の間の皆さんに嫌われてしまうやんねえ。そこで自分たちの会社、商品のイメージが悪くなってしまわないようにCMの制作者たちは随分気を遣ってたんやと推測するんです。

嫌われないように自慢する「魔法」

「広告」は「自慢」です。でも自分の自慢ばっかりしてる人は尊敬されません。でもせっかく電波に乗るんやから「自慢」したい。でも自慢したら嫌われる。でもでも「自慢」したい。どないしたらええねん。

あるんです。

「自慢」しても嫌われへん「魔法」が。嫌われないように「自慢」する「魔法」が。この「魔法」のことを「アイデア」とか「クリエイティブ」と呼ぶんです。このコラムで僕が紹介してきた佐藤雅彦さんや大貫卓也さんは超一流の「魔法使い」なんです。広告制作者たちはこぞってこの「魔法」を小田桐昭師や藤井達朗師から学び、磨いていったんです。

みんなに喜んでもらって幸せになってもらうために民放はええ番組をつくる。これを支えたのがスポンサー企業。スポンサー企業は番組制作の費用をまかなうかわりに自分たちの紹介や自分たちがつくった商品のお知らせをテレビコマーシャルという形で番組に載せる。そこで番組を見てくれる生活者と企業がつながっていく。ここで下手をうつとせっかくの番組をダメにするばかりか企業としてみんなから信用されなかったり嫌われたりしてしまう。

コマーシャル制作者たちはこのことにとても敏感になり、スポンサー企業さんがみんなから嫌われないように、みんなから好かれるように、と、コマーシャルが単に押し売りにならないように一生懸命工夫を凝らし、アイデアを見つけ、そのアイデアをかたちにする表現の技術を磨き上げてコミュニケーションをつくっていったんです。

番組を提供する企業の顔となるテレビコマーシャル。「みんなをしあわせにする番組の提供」というテレビの社会的使命感が土壌となってテレビ黎明期から昭和へ至る中で、数々の名作CMが生み出されていったんや、と僕は考えるんです。

テレビは重要な「広告媒体」ではあるが……

こうしてみんなに情報や娯楽を提供していった「民間放送」はNHKとともにまたたく間に「お茶の間」の主役の座を獲得する成長を見せました。やがて国民のほぼ全員がテレビを見ている、という状況となっていった時、「これは広告媒体として売れる」と発想するのは自然なことやったと思います。

番組の提供(タイム)とは別に「スポット」と呼ばれる、番組と番組の間の時間を利用してCMを流すスペース。この「スポット」が爆発的に売れたのは当然といえば当然のことやったと思います。ただこの「スポット」がテレビの重要な収益源となることによってテレビは「みんなを幸せにする大切な情報インフラ」という側面だけやなく「広告媒体」としての価値を持つようになってきたんやないか、と僕は分析するんです。

ほぼ国民の全員がテレビを見ていた時代は、「スポット」の枠を求めて長蛇の列ができていました。でも今、「僕テレビなんか見ない」「うちテレビないよ」という人がヤングを中心に増えてきた。「広告媒体」としてのテレビである以上、これは「広告媒体としての価値が低下してきた」という現象として捉えられます。

「情報インフラ」としてではなく「広告媒体」としての価値を左右するのは「視聴率」です。広告主さんたちに広告枠をお買い上げいただくために「視聴率」を上げなくてはならない。

これは「情報インフラ」ではなく「広告媒体」として存在しているテレビにとって当然の宿命です。国民を幸せにする優良で価値のある番組を提供したところで「数字」が伴わないとスポンサーになっていただけない。

このような状況を受けてテレビの番組はとにかく視聴率を取りにいくことを至上命令としてつくられるようになったんやないか、と僕はにらんでるんです。それと「広告媒体」である以上、CMはその「広告効果」を求められる。つまり「効くCM」。近年、以前よりストレートな、モノを売る、コトを知らしめる、強引とも見えるようなCMが多く見られるようになったのは、もとを正せば、このテレビ、ラジオというものがいつの間にか「国民の幸福に寄与する大切な情報インフラ」というよりむしろ「広告媒体」としての位置付けになってしまったことも一つの大きな要因やったんやないか、と考えるわけです。

「行動」の前に「好き」になってもらわんと

広告は「買っていただく」とか「覚えていただく」とか「使っていただく」とか「来ていただく」など生活者をなんらかの行動へ導いていくことを目標として、それが「広告効果」と呼ばれるものなんやと思います。

そのために必死で調査をし、知恵を絞って戦略を立て、計画を立てて実行していく。その「広告」という壮大なプロジェクトの中で、CMの目的は「人々をなんらかの行動へと直接導く」という以前にまず、見る人に「好き」になってもらわんとあかんのちゃうか、と僕は考えてます。CMで扱う商品やサービスを「好き」になってもらえるかどうか。その結果としてその商品を送り出している企業を「好き」になってもらえるかどうか。

「好き」になる、ということは心をちょっと「+」方向に動かす、ということやと思います。「♡+」。見る人の「♡」をちょっと「+」に動かすためにはCMの表現が魅力的である必要があります。

CMの魅力とは何か? それは見てくださる人たちへのプレゼントになっているかどうか、です。

今もCMディレクターとして現場を駆け回る

「きれいやなあ!」「カッコええなあ!」「おもろいやん!」「新しい!」「感動するわ!」「なるほど!」「納得!」というプレゼント。なにをプレゼントできるか、それが「アイデア」です。そんな、みんなの「♡」をちょっとでも「+」に動かすようなCMがあふれてたらテレビの魅力も高まると思います。

民放の原点に帰って、みんなを幸せにするための情報インフラとしてのテレビをもう一度構築でけへんやろか。そこにみんなの「♡」をちょっとだけでも「+」に動かす魅力的なCMが集結するようになればテレビはもっともっと素敵な世界になるんとちゃうか、という夢を監督はみているんです。

オンデマンドで自分の見たいものだけを見ることができるネットの世界。自分の好きなものだけを揃えて生きていくことができる世界。テレビはそうやない。自分とは関係のないものも流れてくる。

子供の頃、サントリーの「若さだよヤマちゃん!」というCMを見て、へええ、ビールっていう飲み物があるんや、と大人の世界を勝手に流れてきていたCMから垣間見てた。資生堂の素敵なCMに出会って、お化粧という世界を垣間見てた。「この木なんの木気になる木♪」を見てたくさんの会社があるんやなあ、と社会の一端を垣間見てた。つまり、自分は特に必要としていない、自分とは縁のない世界にテレビCMで出会えていたんです。

CMはみんなと幸せになれる素晴らしい仕事

テレビCMを通じて世の中には僕とは直接関係のない人々も生きていて、僕とは直接関係のない品物もいっぱいあって、僕とは直接関係のない人たち、ものたちを含めて世界は形成されているんや、ということを感じていたんです。テレビは自分とは直接関係のない他者、自分とは違う考え方を知る場でもあったんです。

今回、アドタイに寄せさせていただいた文章、破綻してるところもたくさんあったとは思いますが、これを書くにあたってこれまでの自分の無意識に思ってた部分を意識化することができ、あらためて色々考えました。この連載は、僕個人においてもこれからのCM監督としての人生を考える上でとっても良い機会やったなあ、って感じてます。

民放を「みんなを幸せにするたいせつな情報インフラ」とふたたび定義し直して、そんなインフラを支える企業のCMは「みんなと企業がつながっていくためのたいせつなコミュニケーションの時間」とふたたびとらえ直すことができれば「みんなに好きになってもらえるCMをつくっていくこと」が、僕たちがみんなと幸せになっていくことにつながるんや、と思えるようになります。

そうやねん。「CMをつくる仕事は世の中のためになるみんなと幸せになれるとっても価値のある仕事やねんで」ということをCMづくりに携わる広告主さん、広告会社さん、クリエイターさん、そして大好きな現場のスタッフたちと、この僕の心に、ほんでテレビというCMにとっての檜舞台を用意してくださる放送局の皆様、さらには番組と同じようにCMを楽しんでくださる視聴者の皆様に向けて、そーっと、でも、強―く語りかけて、このコラムの結びにしたいと思います。

文中、実名でお名前を出させていただいた皆様はじめいろいろご迷惑をおかけしましたが最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

監督はね、ずっとCMの夢を見続けていますねん。

演出コンテに銘を書き入れる監督。現場入りの際に必ず行う「儀式」

※連載「監督はCMの夢をみる」は今回で終了です。ご愛読ありがとうございました。

なかじましんや(CMディレクター)
なかじましんや(CMディレクター)

1959年福岡県生まれ。1982年武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン学科卒業後、東北新社入社。83年CMディレクターとしてデビュー。主な仕事に、日清食品カップヌードル、ホンダステップワゴン、サントリーDAKARA/燃焼系アミノ式/伊右衛門、リクルートAirPAY/AirWORK、積水ハウス 企業CMなど。「カンヌ国際広告祭(現カンヌライオンズ)」グランプリ、「米IBA」最高賞など受賞多数。一方で東北新社の取締役、専務、副社長、社長を歴任したのち、2022年6月に退任。現職は顧問/エグゼクティブ・クリエイティブ・ディレクター。東北新社のクリエイティブユニット「OND°(オンド)」を窓口に、CMディレクターとして活躍中。現在は東北新社グループ以外の制作会社の案件も受けられる体制を整えている。後進の育成にも力を入れており、宣伝会議のコピーライター養成講座やCMプランニング講座等で講師を務めている。東京ADC会員、武蔵野美術大学客員教授。

なかじましんや(CMディレクター)

1959年福岡県生まれ。1982年武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン学科卒業後、東北新社入社。83年CMディレクターとしてデビュー。主な仕事に、日清食品カップヌードル、ホンダステップワゴン、サントリーDAKARA/燃焼系アミノ式/伊右衛門、リクルートAirPAY/AirWORK、積水ハウス 企業CMなど。「カンヌ国際広告祭(現カンヌライオンズ)」グランプリ、「米IBA」最高賞など受賞多数。一方で東北新社の取締役、専務、副社長、社長を歴任したのち、2022年6月に退任。現職は顧問/エグゼクティブ・クリエイティブ・ディレクター。東北新社のクリエイティブユニット「OND°(オンド)」を窓口に、CMディレクターとして活躍中。現在は東北新社グループ以外の制作会社の案件も受けられる体制を整えている。後進の育成にも力を入れており、宣伝会議のコピーライター養成講座やCMプランニング講座等で講師を務めている。東京ADC会員、武蔵野美術大学客員教授。

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