この3月に立憲民主党の小西洋之議員が総務省の内部文書を公表し、以降放送法を巡って国会が騒然としました。第4条の「政治的公平性」の解釈をめぐり当時の首相官邸が圧力をかけたと読み取れる文書だったのがまず問題になり、さらに様々な騒動に広がりました。放送法、特に第4条をめぐる議論は、何年かおきに起きています。
一方、Advertimes読者にとっては、テレビ放送という最大の広告商品が危機にあることが気になるでしょう。これから先の業界を考える上で、放送法の考え方を知っておいたり、今後の放送制度がどうなるかなども把握しておくといいと思います。
そこで私のコラムの企画として、青山学院大学総合文化政策学部の内山隆教授にお話をお聞きしました。内山教授は日本と海外の文化制度に詳しく、また日本の制度の議論にも霞が関の会議に有識者として呼ばれたり、時にはその座長として議論を導いてきた方です。イデオロギーに偏らず産業論的に見ておられるので業界人や企業の宣伝部の方にとっても馴染む視点をお持ちです。放送のこれからにとって、大いに参考になるお話が聞けたので前後編に分けてまとめました。ぜひじっくり読んでください。
なぜ、たびたび起きる? 放送法4条の議論
境:まず、なぜ放送法4条がいつも紛糾の元になるのかをお聞きします。特に話題になるのは「政治的公平」。よく倫理規定だと言われますが、精神論的な条文と考えればいいのでしょうか。
内山:基本的にその考え方で、合っていると思います。日本の法律は、具体的な数字などをあまり盛り込まない作り方をします。理念を法律で謳っておいて具体は各所管省庁の政令省令に持っていく。フランスなんかは、もうはっきり法律の中に数字も出てきます。
ですから日本の放送法がああいう風に書かれているのはしょうがないと思うんです。
メディア論をやっている人たちの言い方になぞらえれば、新聞や放送のような言論機関は、権力の監視機関であると。その一方で政府が逆にその監視機関を規制するという、特殊な構造になっているんですよね。でも、新聞に関しての法律はないでしょう?
境:言われてみるとそうですね。
内山:戦前は新聞も法律で規制されていましたけど、戦後は権力からは独立した機関でなければいけないと規制はなくなった。でも、放送には規制が入った。もちろん建前上は公共の電波を使うからですが、どういう情報を伝えるかとなると、前述のような、精神論的な法律になりました。言論の民主化も当時のGHQの政策でした。
境:その放送法4条に関して2016年に問題になったのが、電波法と照らし合わせると、「4条を守らないと停波することもある」との高市発言でした。素人目で見ると、確かにその2つを照らし合わせたら停波できることになっちゃうとは思いました。
内山:いろんな解釈がありますね。だからこそ恣意性が発生しないように総務省は内部で解釈基準を持っており、その解釈基準を巡っても今回の論争の一端になりました。異なる例で、1994年にKBS京都の経営危機問題がありました。労使が対立し、たまたま放送免許も更新時期に当たっていて、更新して大丈夫なのかと言われた。この先、5年間安定的に経営できるかも免許更新の事実上のチェック項目。ダメじゃないかとの噂が出てきたらいきなり労使問題が収まったという結末だったのですが。
境:なるほど、更新できないと困りますからね。
内山:そんな風にその時々でいろんな要素を勘案して、停波も決まるかもしれないし、どうなるかわからない。 4条の政治的公平性を保たないと停波するというのは、可能性としてはあることになってしまいます。
境:解釈次第ということですね。
内山:4条で抽象的に書いてあるので、まさしく解釈次第。内部基準なので、圧力はかけやすいですよね。今回の騒動で問題にはなったけれど、 権力サイドとメディアサイドはお互いに距離感を保たなければいけないとは思います。あまりえげつなく、人の領分に入らない方が世の中的に安定しますね。
境:前に4条で揉めた時にテレビ局の現場にいる知人が、別に4条があるから公平性を守ってるんじゃない、ないならなくてもいいよなんて言ってました。
内山:その議論は時々ありますよね。むしろ現場サイドは自発的に、例えばBPOや民放連、個社の放送基準の方が現実的なので、そっちの方の順守が優先でしょうね。
境:選挙報道の時、各党何秒ずつ放映するか。しっかりと時間を測ってを守る、ということをのは本当にやるらしいです。
内山:それを自主的にやっているのはすごいです。フランスは独立委員会であるARCOM(昔のCSA)が、政治報道の放送時間を全部計測しているんです。
境:ええー!独立委員会が計測するんですか!
内山:政権で3分の1、与党で3分の1、野党で3分の1という基準があって、政権と与党はニアイコールなので、野党の放送時間が3分の1を下回らないようにと、全部チェックが入ります。違反した局があったら公表されて、注意が行く。日本はそれを個社が自分で意識してやっているから自律性がありますよね。
境:別のところに監視されるより、自分たちでやっている方がマシなのかもしれないです。
内山:日本の場合、政府が直接関与するより、自分たちで自主規制をかける方向で長年もやってきています。BPOもそういう発想でできました。
境:4条について、もうひとつよくある議論として、アメリカでは80年代にフェアネスドクトリンを外したから好き勝手なメディアが乱立し、それがトランプ政権に繋がったと言われたりします。論拠がちょっと薄いなって気もしますが。
内山:総務省の公共放送WG(ワーキンググループ)で、NHKさんが盛んに言うのは、「我々はレファレンスポイントを提供している」と。言論空間の中の一番、中立的なところ、客観性のあるところを提供していく。それを基に右寄りで騒ぐ人もいるかもしれないし、左寄りで騒ぐ人もいるかもしれない。自分たちに強い影響力があると考えるのなら、どちらかに寄ってはいけないと思います。
(客観的な中立は物理的にありえないので)自分たちなりにこれが中庸だとちゃんと意識して放送するのは重要です。党派性や立ち位置を明確にして、自分たちの放送をやればいいとの意見は、あるとは思うのですが、マイナーメディアだったらいいけれどいわゆる総合編成を義務付けられているメディアに対しては、行き過ぎかなと思います。
放送も通信も関係なく適応される欧米の「プレミアム・ビデオ」の概念
境:現状の放送局のスタンスからすると、やっぱり4条があって政治的公平性を目指す理念的なものがあることで、バランスは取れるということですかね。
内山:最近の議論で言うと情報空間の健全性の話も出てきていて、 その点でも偏った報道は望ましくない状況になりつつある。放送や新聞はそういう意味では健全性に貢献せねばならない。極右極左のような姿勢を取ることはマスメディアにとっては望ましくないでしょう。
境:YouTubeではまま見かけますね。極右だな、このチャンネルは、というのを。
内山:アメリカの広告のメジャメントの問題でVAB(Video Advertising Bureau)がプレミアム・ビデオの概念を持ち出しています。万人に対して安心、安全なコンテンツ、価値の高いコンテンツを提供している場に広告を出すようにした方がクライアントにとってもいい。そうしたコンテンツがプレミアム・ビデオです。
YouTuberの世界はいろんな思想が入り混じっているので、文字通り、右か左か、高尚か低俗かわからないようなコンテンツに広告を出して、広告主のイメージがどうなるか。プレミアム・ビデオをもっと評価しなきゃいけないという議論が出始めています。
境:なるほど。YouTubeがやっているように、インプレッションだけで勝負するのはよろしくないという話ですね。日本でも、JICDAQという組織が広告の安全・安心をチェックしていますが、そのうちデジタル広告の取引の問題だけでなく、広告体験の品質にまで立ち入らなければならないのかもしれないですね。
政府とメディアの関係にもちょっと触れておきたいなと思います。日本は総務省が放送局を管轄していますが、アメリカにはFCC、イギリスにはOfcomがありヨーロッパ全般ではそういう独立行政機関がある。日本だけ特殊なのでしょうか。
内山:EUは基本的に放送に対しては独立委員会方式を求めていて、OfcomやARCOMなどが存在するのは当たり前になっています。日本はそれができなかった。一番チャンスだったのは、98年の橋本行革で郵政省が総務省になる時でしたが、日本には独立委員会が向かないとの言い方を“中の人たち”はよくします。
境:総務省の方がバランスよく監督してくれるとの意味ですかね。
内山:いまひとつ核心が見えないですが、かなり属人的なことを言ってるのかもしれません。けれどシミュレーションすると、日本で独立委員会作るとなったら、今のBPOはどうするのか。放送の現場の人からするとBPOはかなり意識しなければならない相手です。いい意味で歯止めになり、タガがかかっている状態にはなっています。
独立委員会ができるとしたら、今度はその健全性も厳しく問われる話になるでしょう。そこに入るメンバーの人選であったりも含めて。だから、ものすごく運営が難しくなると思うんです。OfcomにしてもFCCにしても常にチェアマンをどうするかの問題はあります。アメリカは当然大統領と、その時の共和党、あるいは民主党の政権に左右されますし、だから独立委員会と言いながらなかなか独立でもない。今もNHKの会長が選ばれる時に、いろんな人がいろんなことを言いますけど、同じような話になる可能性は高いでしょう。それにBPOよりもっと厳しくなるかもしれません。
境:より一層、窮屈になりかねないわけですね。差別的だとかの厳しい指摘がんどん出てくる可能性が高いということですね。
内山:日本って、相対的にコンプライアンス順守な国じゃないですか。そう考えると、独立委員会がガッチガチにルールを執行する可能性があると思うんですよ。少なくともどういう組織にするのか、どういう風に管理する人を選ぶのか。ちゃんと考えないといけない。
境:でも、さっきのプレミアム・ビデオの考え方と重ねた時に、 多少厳しくなるのも仕方ないのでは、とも思いますが。ヨーロッパは公共放送の概念が日本の2元体制じゃなくて、放送局はみんな公共性があり、BBCの受信料も民放のITVなどにも一部提供されている。放送局イコール公共性の概念がヨーロッパは強くOfcomなどの制度とも結びついている。すると、日本もこれからテレビとネットの融合みたいなこと考えた時に、独立行政機関の可能性は出てくるのかなという気がするのですが。
内山:2つの選択肢があると思っています。これからどうしても放送事業者はネットに出てかなきゃいけない。ヨーロッパは放送局のネット事業もPSM(Public Service Media)※
という形にしている。イギリスはさらに、NetflixやAmazonもPSMの範疇の中に入れる考えのようです。つまり影響力の強いネット配信サービスは、もはや放送に準ずる規制をかけるべきというのが、ヨーロッパ。日本もそれに倣うのがひとつ目の考え方です。
もうひとつの考え方は、放送とネットの境界線をしっかり分けて放送は従来通りに、ネットはもっと自由にして余計な規制はかけなくていいとの考え方。そういう2つがあって、日本の民放127社、そしてNHKでの合意は取れてないですね。
境:合意は到底、取れそうにない?
内山:NHKは明確に前者でいきたいはずですが、特に民放側が大変だと思います。
境:個人的にはさっき出たPSMの概念がメディアの進歩した姿、テレビとネットが融合した時代の形だと思います。一方で民放がひとつの意見にまとまることは決してないとも最近感じています。日本はさっき先生がおっしゃった2つのうちの後者の方じゃないと、無理な気はしますね。