講演はオンライン配信され、マーケティング部門だけでなくあらゆる部署から約500人が参加し、多くの質問が寄せられた。
ナレッジマネジメントは個人・組織の成長には不可欠
P&Gやダノン、資生堂などでマーケティングに携わる中で、組織の成長について考える機会に恵まれました。「組織が成長する」とは、どのような状態を指すのでしょうか。私は、「昨日できなかったことが明日できるようになる」と定義すると分かりやすいと考えています。
では、できなかったことが、なぜできるようになるのか。
ひとつは、昨日持っていなかった何らかの資源または手段が手に入るから。だから、私たちはそのことが直感的に感じられる新商品や新ジャンルが大好きです。
一方で我が身を振り返ると、経験を知識に変えることで成長してきたことが多いのではないかと思います。鉄棒の逆上がりを例にとると、できるようになったのは昨日より筋肉がついたからではなく、コツをつかんだから。あれほどドラスティックな変化でも、経験を知識に変えることで克服できることは少なくありません。
昨年1年間で何を学びましたか、という問いを発することがあります。1人で売上5億円を達成しました、と仮定します。それは素晴らしいことですが、去年の5億は、今年は役に立ちません。同時に、5億を達成するにあたって学んだことは、今年も来年も使える。その学びをうまくナレッジマネジメントできるようになると、個人としての成長も担保しやすい。組織にとっても、そこに5人メンバーがいるなら5人分の経験値があるはずですが、共有できなければ各自1人分の経験値にとどまります。
ナレッジマネジメントは非常に重要ですが、同時に経験・知識というものは共通言語で伝播していくので、5人がそれぞれ経験したことを共有するためには共通の言語の確立が必要です。「戦略」という言葉も、よく使われる割には意味が明確ではない言葉のひとつです。今日のテーマのひとつである「パーセプションフロー・モデル」についても、形式知化しておくと共有しやすい。それが、書籍『The Art of Marketing−マーケティングの技法』を書いた理由です。
消費者の未来の行動変容を示すパーセプションフロー・モデル
パーセプションフロー・モデルは、マーケティング活動の全体設計図です。日用雑貨や飲料、化粧品など、BtoC領域でもBtoB領域でも使われることがあります。なぜかというと人間が意思決定をしているという点で概ね同じだからです。
対応する課題に関しては、ビジネスやマーケティングに対する課題を幅広く網羅しています。消費者中心の経営にならないとか、活動が部分最適になっているなど、日常的に事業が抱える課題の原因は、実は全体像がないことによることが少なくありません。マーケティング諸活動の4P(Product,Price,Place,Promotion)全領域を俯瞰で眺め、最適化できるので、ROIも改善されます。
消費者のパーセプション(認識)の推移に着目しているため、消費者・顧客中心の経営の実現にもつながります。ビジネスのミーティングでは営業や財務、社内のさまざまな役割の人が集まると思いますが、ややもすると消費者の存在が置き去りにされてしまうかもしれません。パーセプションフロー・モデルのような全体設計図があれば、消費者視点を忘れにくくなるというは大きな効用かもしれません。
消費者を中心としたマーケティング活動の設計図といえば、カスタマージャーニーマップがよく知られています。何が違うのか。例外はあるものの多くのカスタマージャーニーマップは消費者の今の行動を是とし、そこに企業活動が近づくイメージです。対して、パーセプションフロー・モデルは未来の行動を描くので態度・行動変容を追求することにつながります。
試行と修正を繰り返し、正解に近づいていく
パーセプションフロー・モデルの利点のひとつに、活動の修正を可能にすることがあげられます。最初から大正解ということはめったにありませんが、何回やっても成功しない、ということも少ない。それは結果にもとづいて活動を修正できるから。修正さえちゃんとすれば成功に近づくでしょう。
パーセプションフロー・モデルを作成する際は、ブランドの定義を明確にしておくことが肝要です。ちょっと作ってみようと思うのが人の性ですが、ブランドがどのターゲットを設定し、何をベネフィットと定義しているのかが明確でないと描けません。
順番としては、目的を明確にし、戦略を明確にし、今、消費者が行っていることを描く。次いで消費者が思っていることを描いて、一旦飛び、欲しいと思ったとき、買おうと思ったときに気持ちを描き、次にもう一度買おうと思ったときの気持ちを描きます。
それぞれの段階で消費者がしそうな行動を描き、パーセプション変化をもたらす知覚刺激を埋めていきます。消費者が自発的にパーセプションを変化させるようなメッセージを出し、それに最適な媒体を選ぶと目指す変化を促しやすいでしょう。最後に全体像のバランスをうまくとって、調整が取れているのかどうかを確認し、過程を行ったり来たりしながら書いていきます。
ひとつ注意点があります。知覚刺激によって消費者のパーセプションが変化するようすを描く際、こちらの都合の良いストーリーをつくりがちですが、消費者が自発的に変わるようにしないといけません。
例えば、「私のシャツは何色ですか」と聞けば皆さん自発的に私を見ると思います。これを「私の方を見てください」と言い換えても今は見てもらえると思いますが、市場ではこうしたメッセージは通用しません。言葉は丁寧ですが命令に過ぎないからです。
先ほども言いましたが、最初から成功しないかもしれませんが、描いて修正してというのを何ラウンドかやればきっと正解にたどり着きます。そのための道具として使ってもらえればと思います。
「戦略がなくてもいいビジネス」は存在しない
ここからは質疑応答の時間を設けます。(全国の社員の皆さんから質問を募りました)
Q:素材事業のBtoBビジネスを担当しています。顧客が満足しているかどうかを調査する良い方法を教えてください。
音部:もっとも簡単かつ近道なのは、顧客に「聞く」ことです。満足しているかは答えられないと言われたら、それは不満足ということ。満足しているなら、なぜ、どこに、と問いを重ねる。面と向かっては言いにくい場合もあるので、そのときは他部門などから顧客満足調査という形で聞く方法もあります。アンケートを送ってもらうのもありかと思います。
Q:既存顧客からの売上が大半を占めており、事業のマーケティング戦略を再考したいと考えております。何から始めるべきか教えてください。
音部:まずお勧めしたいのは、2025年、あるいは2030年に何が起きていれば成功なのかを明確にすることです。
近未来の成功の姿を描いたときに、今の延長線上にそれが成立しているのであれば、おそらく今のままで良いのではないかと思います。理想像は現状の延長線上になさそうと感じるのであれば、手を打った方がいいと思います。
ひとつは市場創造をやり直すこと。いい商品の定義を変えようという結論になるのであれば、マーケティング戦略を描きましょう。どう描くのかについては本書『The Art of Marketing−マーケティングの技法』を読むことをお勧めします。戦略が合っているかが気になるのであれば、後ろの方にコラムがあるので、そこにあるブランド戦略の説明がヒントになるのではないでしょうか。
対象顧客を絞り込むのは合理的な判断
Q:マーケティングとは既存市場の再創造というお話もありましたが、言い換えれば今までの正論を否定することになると思います。その文脈では、過去の成功を引きずっている人を説得する必要があると思いますが、どんなことに気をつけるといいでしょうか。
音部:興味深い質問ですね。市場の再創造は今までの正論を否定しているのでしょうか。むしろ、新しい価値を提案しているのだと思います。否定よりは新しい価値の提案である方が受け入れやすいのではなかろうかと思います。
過去の成功を引きずっている人を説得するにはどうしたらいいでしょうか。
我々の活動が実績を生み出したんだ、つまり我々が売った、と思いがちですが、その間には消費者がいます。うまく売ったから売れたのではなく、消費者が買ってくれたから売れたのです。つまり、過去の成功を消費者の立場で解釈しておくと、仮に成功を引きずったとしても、過去の亡霊に囚われずに済むのではないかと思います。
Q:新規事業の市場開拓に関して、顧客を最初から絞る方法について何かアドバイスや経験談を教えてださい。
音部:懇意にしていただいている偉大な先輩方に「なぜあなたは百発百中くらいにイノベーションを成功させているのですか」と聞いたことがあります。すると「そんなわけないだろう。みんなには知られていないかもしれないけれど、小さい実験をたくさんやって、うまくいったものだけを全国展開しているんだ」とお答えいただきました。
新規事業というのは全部とは言わないまでも、基本的にほとんどが失敗します。なので、失敗前提でありながら小さい実験をする、何がしかのベータ版やエリアを限定するなどして試してみるというプロセスを経て、好きになってくれそうな人がいるかどうかが見えてくる。その人たちに向けてつくる、売ることから始めるのがいいと思います。
往々にして私たちは狭めることをすごく恐れがちです。真っ当なマーケティング戦略を持ったブランドチーム、マーケターほど絞り込むのが苦手です。
そんな時に、私はよくこのように問います。仮に1万人のターゲット消費者がいるときに、10万人に話しかけるのと100万人に話しかけるのとどっちがいいですか、という問題です。すると、ほとんどの人が100万人と答えます。なぜなら人数が多くて安心感があるから。
気持ちは非常にわかるのですが、重要なポイントは、与えられている予算は1万人を獲得するためのものでしかない、ということ。100万人を狙おうと思うと、10万人と比較して、1人当たりにかけられる予算が1/10になってしまいます。つまりできることがものすごく限定されてしまう。これは恐ろしいことではないでしょうか。
対象を広げれば広げるほど、何となく安心ですが、分母を大きくした分だけ薄くなってしまう。そういう恐怖心を直感的に持てると、自ずと絞る方向に向かっていくと思います。
顧客もその先の消費者も満足させられるのが理想
Q:BtoBビジネス開発におけるスケールの段階で、顧客の先にある消費者の支持がフックになるケースがあります。このケースでのパーセプションフロー・モデルの「ターゲット消費者」は顧客企業で設計しても良いのでしょうか。
音部:素晴らしい質問ですね。この質問はBtoB固有のものに見えますが、BtoCでも聞かれる問題です。
例えば、大人用紙オムツは介護者と被介護者の双方が顧客といえます。この商品では介護者向けに働きかければいいのか、または被介護者向けに話をすればいいのか。一般解としては購買の意思決定者を想定します。大人用紙オムツなら介護する人の方を見るでしょう。
BtoBビジネスでも顧客を見てパーセプションフロー・モデルをつくります。重要なのは、紙オムツの例でいうと、被介護者が不満足なのに、介護者だけが満足という状況は、健全ではないとうことです。両方が満足しなきゃいけないので、いずれはその先にいる消費者がどう満足するかを考えないといけなくなります。
被介護者が介護者に「ありがとう」と言ってくれたとか、満足したと言ってもらえることが重要な知覚刺激になる、これは非常に強力な刺激になるので、ターゲットの先にいる消費者がどう思ってくれるかはやはり考えておいた方がいいのです。
ただ、フルスケールでパーセプションフロー・モデルを描くほど、いろんな段階が成立します。顧客の先の消費者のことも考えないといけませんが、まずはダイレクトな顧客、そしてその先の消費者がどこかで何かを言ってくれるということを知覚刺激として描く構造ができると効率的、効果的になるのではないでしょうか。
Q:選挙活動などでは、いまだに名前の連呼型の認知・周知活動が主である印象です。パーセプションフロー・モデルを選挙活動に適用することは可能でしょうか。パーセプションフロー・モデルが適さない活動分野や市場があるのであれば教えてください。
音部:ご指摘のとおり、選挙は連呼型の活動が多そうです。実態としてそれが有効なのか、私にはよくわかりません。なぜなら、ほかの方法を採用しているのを見ないからです。
「人間の認識に影響することを目的とした活動」という意味では、マーケティングや販売はもちろん、教育、採用、選挙や政策の実行、国際関係の調整、道にゴミを捨てないよう啓蒙するなど、多様な領域が含まれます。人や社会との関係は、その多くが「人間の認識に影響することを目的としている」ように見えます。やみくもに活動するのではなく、活動の設計図を描くのがパーセプションフロー・モデルなので多様な領域に適用できるだろうと思います。
新しい価値の創造は、消費者を理解することから
Q:マーケティング戦略がなくてもよいビジネスがあるとすれば、その事例を教えてください。
音部:興味深い質問をありがとうございます。「目的」があいまいなまま進めているビジネスと、「資源」が無限にある状況下では戦略は不要です。そもそも、戦略の定義は「目的達成のための資源利用の指針」であるだろうと考えています。
達成したい目的があり、投下できる資源が有限であるなら、戦略を持っていた方が効果を出しやすく、効率もいいです。ということで「戦略がなくてもいいビジネス」という事例は、私は知りません。
Q:時代とともに価値創造をしていく必要があると認識しました。しかし、時代を読む力、視点といったものはどう育めばいいのでしょうか。
音部:時代が変化して消費者がついていくというよりは、消費者が変化して時代が移り変わるのだと思います。やはりまずは消費者をよく理解することが大事です。
特に、自分たちのユーザーを理解し続けることは有益です。大事なことに、人間は自分が欲しいモノをあまり正確に知らないことが多いようです。来年欲しいモノなどわからない。そこで、消費者に対してマーケター側が新しい提案をし続ける必要があります。
たくさんの失敗が予想されますから「失敗を責めるのはやめよう」といった道徳論や精神論だけではなく、物理的・構造的・財務的に、失敗を許容できる仕組みを用意することが有効です。
メーカーやサービスなど、様々な業種・業態で使われているマーケティング活動の全体設計図「パーセプションフロー・モデル」の考え方から使い方、つくり方、検証の仕方までを詳細にわたって解説。「パーセプションフロー・モデル」を効果的に活用することで、「個々の施策がバラバラで有機的に連携していない」「チームの意識統一ができていない」といった、部分最適が引き起こす事態から抜け出すことができます。
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