【前回コラム】「3.5枚目俳優」へ、人生の転機と名優との出会い(勝地涼)【前編】
今回の登場人物紹介
※本記事は2023年5月7日放送分の内容をダイジェスト収録したものです。
演出家は、“百人百様”
澤本:勝地さんは、いろんな舞台に出ていらっしゃいますよね? 文芸調から、バラエティ色の強い面白いものまで。「劇団☆新感線」もそうだしね。
勝地:そうですね。僕はやっぱり、劇作家の岩松了さんにお世話になってますから。
中村:あ~! 岩松さんって、どんな感じなんですか? 原作だけじゃなく、演出もされているんですよね。
勝地:はい、そうなんです。今まで2本の岩松さんの演出作品に出たことがあって。デビュー時の蜷川(幸雄)さんの舞台の脚本が岩松さんだった、という特殊なケースです。岩松さんは飄々とした感じで「もう一回!」と言う人です。
中村:あはははは! 結局、言うんですね(笑)。
勝地:それはそれで怖いですよ(笑)。あと、岩松さんが他の演出家と違うのは、演出の意図について説明しないんですよ。で、役者側から聞くこともあまり良くないとされていて。
中村:ふう~ん! 「阿吽の呼吸」ですね。
勝地:それで、ちょっと不思議な世界を書かれるところもあるので、それこそ「自分は今、死んでるのか生きてるのか分からない」という微妙な作品もあるわけですよ。そこに対してある役者が「岩松さん、僕のこの役のこの場面は、どういう意味ですか?」みたいなことを聞いたら、岩松さんが「!?じゃあ君さ、全部説明したらうまくできるの?」と。それを聞いたみんなが凍り付いたという話があって……。「僕は、絶対に言わないでおこう」と。
一同:あはははは!
中村:それを目の前で見てたらね……(笑)。
勝地:そうなんです。でも、そういう面白さもちゃんとあって。もちろん、1から10まで物語を知っているからこそできる役づくりもあるんですが、舞台というのは生きているわけだから、この先何が起きるか、どういう気持ちになるか分からない時間の方が長いですよね? そういうことを岩松さんはおっしゃっているんだろうな、と思うので。
最終的には自分の中で1から10をこういう気持ちで、というのはつくりますが、その辺はふわっとしていてもいいんじゃないか、という。「人間って、そういうものじゃない?」ってことをよくおっしゃるんですよね。
澤本:なるほど。
勝地:悲しいときこそ、笑って振る舞ったりするじゃん?って。だから人間って普段から芝居してるじゃん、と言われて「あー、なるほど!」と。そういう表と裏みたいな部分をよくおっしゃっています。面白いですよね、いろんな演出家がいて。
中村:でも、そこまで何回もやり直しをさせられてたたき込まれていくと、いざ本番というときに「今までたたき込まれたものを、トレースして出さなきゃ」みたいなプレッシャーや緊張は起きないんですか?
勝地:それはあると思いますけど。でも、どの演出家も「すてきだな」と思うのは、役者が舞台に立った瞬間、「飼っているものを放つ」じゃないけど、感情が思いもよらない方へ向かってしまうことを許してくれるんですよ。で、終わった後に「今日のあの部分は良かったけど、もうちょっと抑えた方がいいかもね」みたいに微調整をしてくれるイメージですね。だからちょっと間違えただけでめちゃくちゃ怒られた、という経験はあんまりないです。
澤本:なるほどね〜。僕は前回、劇作家のケラリーノ・サンドロヴィッチさん演出の舞台『世界は笑う』(2022)を見にいったんですけど、ケラさんはどんな感じなんですか?
勝地:ケラさんは結構気を遣ってくれます。時々「ちょっと違うな」っていうときにスイッチが入るんですよね。そのフラストレーションを「どうやったら伝わるのかな?」という方向に持っていく方なので、こちらにそんなに厳しく当たることはないですね。
「今日、わざわざ呼んだけどゴメン! ほとんど稽古できなかったね」とか、そういうめちゃくちゃ気遣いの人なので。あの作品はむしろ、ゲラゲラ笑いながらつくった感じです。
澤本:たしかに、面白いですもんね。ケラさんは、僕らの世代でいうとバンドの「有頂天」で知られているから。
勝地:あー、そうですね!
澤本:ケラさんが「有頂天」で昔、『世界は笑う』っていう歌を歌っていましたよね?
勝地:たしかに、歌ってたみたいですね。
澤本:同じ名前の舞台だな、と思って。すごく面白かったですね。
勝地:それも『世界は笑う』で歌った“あの時代”をやりたかったらしいんですよね。
澤本:あれは、終戦直後だったっけ?
勝地:そうですね。昔の芸人がまだ泥臭く食っていたというか、むしろ芸人以外じゃ食っていけないような人間が集まってる、みたいな。そういう時代のことをやりたかったと。「それがやっとやれるんだよ!」と言われていたので、そういう話だけでもこっちはワクワクしちゃうじゃないですか。
澤本:はいはいはい。
勝地:だから、本当に楽しかったですね。
オーディションに落ちるも、母親の「花屋」でスカウト
澤本:そんな演劇やドラマで活躍されている勝地さんは、もともとはどういう人だったんですか?
勝地:少年時代ですか? 少年時代は、テレビっ子でしたね。ドラマを見るのがすごい好きで。特にドラマ『人間・失格-たとえばぼくが死んだら-』(1994年、TBS)とか『若葉のころ』(1996年、TBS)など脚本家の野島伸司さんの作品がすごく人気で、当時たくさん見ていました。
どちらもそうですが、当時KinKi Kidsさんがよくドラマに出られていて、それをすごく見ていましたね。『人間・失格』はたしかにちょっと暗いんだけど、なんかおしゃれで。エンディングの曲はサイモン&ガーファンクルの『冬の散歩道』だったんですが、当時小学生でもちろんそんなの知らないわけですよ。でもなんかすごいカッコよくて、そういう感じで世界に入っていきましたね。
澤本:うんうん。
勝地:まぁ、映画も好きでしたけど、どちらかというとテレビでしたね。ジャニーズ事務所のタレントさんがすごく好きで、歌番組もすごい好き。そういう「テレビに出る人たち」への憧れがずっとありましたね。
澤本:どういうきっかけで役者さんを始めたんですか?
勝地:そうですね。まずはジャニーズ事務所のオーディションを受けて、落ちました(笑)。
中村:落ちるんですね~!
勝地:普通に落ちましたね。書類審査は通ったんですけど、オーディション会場に行ったら僕は「井の中の蛙」だったというか。こんなにキラキラした男たちがいっぱいいるんだ!?っていう。そこには、クラスの代表とか学校の代表みたいな子たちがいて。
僕もその頃、小学6年生で身長が160センチ以上あったし、野球ではエースピッチャーで打順も4番で。その上、足も速かったから人気者だったわけですよ。だけど、もう全然違うんですよね。みんなキラキラ輝いていて。それを見た時思いましたね。「これは、受からないだろうな……」って。
澤本:その場でそう思ったんですか?
勝地:はい。で、「やる気のある子が一番前で踊るんだよ」っていううわさだったから、一番前で踊ったけど、その選択肢も正解じゃないだろうな、と。
一同:あはははは!
勝地:「アレ、これはなんだ?」っていう。あの時、挫折を味わったというか……。「落ちました」という連絡を聞いても「はいはい!」っていう感じがあったんですよね。
権八:それが小6の時ですか?
勝地:そうですね。小学校6年生ぐらいの時に、野球で都大会に出場したんです。それまではその辺の地域では本当に打たれなかったんですよ。でも1回戦で初球を「パコーン!」と打たれて。でも「いやいや、そんなわけがないから!」と。
一同:あはははは!
勝地:で、また次の打者に「パコーン!」と打たれて。もう、膝から崩れ落ちましたね。だから、僕が思ってた「世界」というのは、実はもっと全然広かったんだ!と(笑)。
中村:なるほど! そういう、野球の都大会とか全国大会みたいなことがジャニーズ事務所のオーディションでも起きた、と。
勝地:起きました。そこで「あー、もうダメだ!」「もうムリ!」と。そう思いながら地元に帰ったのをすごい覚えています。
一同:あはははは!
勝地:その後、僕の母がやっている花屋でロケがあって。その際に(今の事務所の先輩である)瀬戸朝香さんがいらして、今の事務所の方にスカウトされて芸能界に入ったという。
権八:すごい!
中村:そんなことがあるんですね?
勝地:そうなんですよ。ひょんなことから。その後、長く続けさせていただいて。
澤本:何気なく撮影を見ていたところに、何か光るものがあった、ということですか?
勝地:やっぱり、大人たちがチラチラ俺のことを見てたんですよ、確実に。
権八:あっはっはっは!
中村:あー、ヒソヒソしてたんだ?
勝地:「なんかかわいい子いない?」みたいな感じで、チラチラ見てんな~、っていうのは感じてましたけどね~!
権八:わっはっはっは!
中村:ちょっとホントのところはどうだったのか、聞いてみたいですけどね……(笑)。でもまあ、そうなんでしょう。「なんか、撮影現場に紛れ込んでるイケメンがいる」と?
勝地:そうなんですよ。
権八:それが何歳の頃?
勝地:13歳です。
中村:じゃあ、その後は二つ返事で「やってみます!」と?
勝地:そうですね。でも、父親はちょっと複雑な気持ちだったみたいです。芸能界って大変だろうし、自分で「やりたい」と言ってやれる仕事じゃないので。「毎日仕事がある場所に行くわけじゃないから、仕事をもらわなきゃ成立しない。ゼロからイチをつくるわけじゃないから、大変だぞ」と。だから「とにかく人に可愛がられろよ」ということだけは言われましたけど。でも、ちょっと険しい顔をしてましたね。
中村:とはいえ、船出を後押ししてくれたわけですね?
勝地:そうですね。
「ケラリーノ・サンドロヴィッチ監督」と聞いてハリウッド進出だと思っていた
中村:その後は、結構いい感じに進んでいたわけですか?
勝地:自分で言うのもなんですけど、本当にオーディションに落ちなかったんですよ。
一同:ええ!?
勝地:いや、もちろん落ちたこともありましたけど。結構いろんなものを勝ち取っていけたんですね。
権八:これは、珍しいパターンですね。ここに来るゲストの方々は大体「落ちまくりました」というパターンなんだけど。
中村:そうそう。下積み時代からのし上がる「成功譚(たん)」を聞きたいんだけど、落ちなかったんだね?(笑)。
勝地:そうなんですよ。オーディションに落ちないもんだから、どんどん調子に乗ってくるんですよ!(笑)。
一同:あはははは!
勝地:大人をナメてるわけじゃないけど、他の子たちが「〇〇事務所から来ました、〇〇です!よろしくお願いします!」とかすごい元気よくあいさつしてるところに、ちょっと斜に構えて「あ……フォスターから来ました。勝地涼です……」みたいなことをわざとやって。
中村:あっはっは!
勝地:それで「あの子はなん!?」みたいにザワつくと「よしよし、興味持ってるぞ!」みたいな(笑)。まぁ、その時点でバカなんですけど、そんな感じでしたよね。
権八:おもしろい!
中村:でも、そういう戦略もある程度は当たったりして?
勝地:そうですね。それこそケラさんとの初めての仕事の時も、初の映画監督作品『1980』(2003年公開、ケラリーノ・サンドロヴィッチ監督)のオーディションから始まって。その時も、オーディションに来た人たちはみんなケラさんのことを知っていて受けていたと思うんですが、俺は事務所の人から「ケラリーノ・サンドロヴィッチ」という名前を聞いた時に「ん、なんすか? リウッドっす!?」みたいな感じで(笑)。
一同:(笑)。
勝地:知らなかったんです。で、オーディション会場に入ったら、とりあえずケラさんだと名乗ってる金髪の人はいる。ただ、絶対日本人だろ!っていう(笑)。でも、よく分かってない感じは出さないようにしとこ、みたいな。そこからのスタートでした(笑)。
権八:めちゃくちゃ面白い(笑)。
勝地:でも、ありがたいことにいろんな人に拾ってもらったというのが自分の芸能人生なんだな、と本当に思っていますね。
中村:テレビドラマにも早めに出られたりして。その時はもう「やったぞ!」みたいになって、周りからもチヤホヤされたりと?
勝地:そうですね。やっぱり、地元の友達とかはチヤホヤしてくれましたね。
中村:それって、どんな学園生活なんですか?
勝地:そこでまた一つ「井の中の蛙」が出てくるんですけど……。
中村:「選ばれし芸能人」たちが入れる高校(堀越高等学校)にいたんですよね(笑)。
勝地:それこそ、俳優だからといって皆が入れるわけじゃないし。生徒同士で「今、何の仕事やってんの?」みたいなときに、みんな民放の連ドラの名前を出してくるんですよ。その時、僕は舞台方面に行き始めていたので「舞台」と。すると「え、舞台……!?」みたいな。「蜷川さん」と言っても「ん、蜷川さん……!?」みたいな感じだったわけですよ。「クソー!!」と思ったのをよく覚えてますけど、そういう高校生活でした。
澤本:すごい。特別な学校だね、やっぱり。
勝地:不思議な学校でしたね。で、みんなキラキラしてるから、どんどん尖っていったんですよ。「別に……」みたいな (笑)。
中村:あはははは!
勝地:「へえ~、いろいろ出てんだね。うぃっす、うぃっす」みたいな感じで(笑)。スカして「知らねえよ!」みたいなテンションでいたんですね。
権八:なんでそうなっちゃうんだろうね?(笑)。
勝地:やっぱり、自分の中で分かっているのは「ジャニーズには入れなかった」とか「思ってた場所には選ばれなかった自分」というのがあって。学校にはそうじゃない先輩たちがいる中で「この人にあって俺にはないものって、何だ?」みたいにすごく思っちゃった時期があって……。10代の頃はそういう感情があって、周りに対してすごいライバル心がありました。
ターニングポイントになった「バラエティ号泣事件」
中村:そういう勝地さんにとって、ターニングポイントになった作品はいくつもあると思うんですが。特に覚えているものはありますか?
勝地:古田新太さんに言ってもらった「お前、三枚目だから」という言葉もそうですし(※前篇参照)、いろんなタイミングがあったんですよね……。20代の悩んでいた時期に三枚目方向の「前髪クネ男」があったわけですけど、そういうものを求められることへのジレンマもいろいろありました。だから逆に、バラエティに出るときはクールにしておいた方が「役だからやってる」と思われるんじゃないか、とか。そういういろんな思いが渦巻いていた時期がありました。
澤本:うん。
勝地:ターニングポイントという意味では、他でよく話す内容とは違っていて申し訳ないんですけど……。僕、上地雄輔くんと仲良くさせてもらっていて。映画の番宣に出た時に、妻夫木聡くんと池松壮亮と僕と彼とで京都で飯を食べていたんですね。その時に上地くんが「ちょっとみんなに話がある」と言い出して。
澤本:ほう。
勝地:「今回の映画の番宣は、“役者然”とした出方をせずに、頑張ってもらいたいと思ってる。聡にも壮亮にも、勝地にも」と。「俺は普段こんなこと言わないけど、本当は役者で売れたかった。かつては野球選手を目指していた“役者で売れたかった人間”が、ひょんなことからバラエティで売れた。ありがたいことに、俺はそこでいろいろと学ばせてもらった」と。
「バラエティの気持ちも、役者の気持ちも分かるからこそ思うんだけど、ここはやっぱりしっかりと番組をつくりにいこう。芸人さんはドラマの現場で一生懸命頑張っているのに、バラエティに来る役者は『番宣だから』という感じであまり喋らないことが良しとされてる。でも、俺はそれは良くないと思うんだ。だから、この現場は頑張ろう!」みたいに言ってくれて。その言葉がすごく沁みたんですよ。
澤本:ほ~!
勝地:で、次の日の番宣で「くりぃむしちゅー」の上田(晋也)さんと有田(哲平)さんから、すごいむちゃぶりみたいなのをされて。ゲームに勝たないとご飯を食べられないという内容で、ずっと食べられなかったんですね。カメラが回ってる状態で有田さんと上田さんから「カメラはいったん止めてるから、気にせずご飯を食べていいよ」っていうフリが来たんですよ。それを聞いて「ここだ!」って僕は思ったわけですよ。
権八:あはははは!
勝地:上地くんをパッと見たら「ここだぜ?」っていう顔をしていて(笑)。で、妻夫木くんと池松くんを見たら、どうしていいか分からない顔になっていて。そこで「よーし、俺、行きます!」と。どうせ上地くんも食べてくれるからいいや、と思ってパッと食べたんですよ。そしたら、上地くんは「ここは勝地を一人で立たせた方がいい」と判断して、あえて食べなかったわけです。それで矢面に立った僕が、上田さんと有田さんから「何のためにゲームやってんの? おかしいだろ!」みたいに言われて。
一同:(笑)。
勝地:普通だったら「いやいやいや!」とかやらなきゃいけないんだけど、僕はそこで号泣したんですよ。
一同:あはははは!
勝地:何を返していいのか分からなくなっちゃって……(笑)。そしたら、上田さんと有田さんが爆笑してくれて。「泣くなよ!」と(笑)。後になって新幹線で帰る時、上地くんに「俺はあれで良かったのか?」と聞いたら「勝地、“泣く”が大正解だ!」と。
一同:あはははは!
勝地:「“違う違う、待ってくださいよ!”は、丸。“泣く”は、二重丸だ」と言われた時に「そっかー!」と思って。そこからバラエティで頑張るようになったのが、その後の役者人生において「何事にも全力でいく」きっかけの一つになりましたね。
澤本:すごい良い話だね
勝地:すみません、もうちょっと「この監督との出会いが」みたいなエピソードだったら良かったんですけど……(笑)。
権八:わっはっはっは!
勝地:「バラエティ号泣事件」でした。
中村:おもしろいですねえ~!
勝地:やっぱり、うまくできない時期だったんですよね。その番宣の時に、今度は妻夫木くんと「男気じゃんけん」(『とんねるずのみなさんのおかげでした』内企画、フジテレビ)に出ることになったんですよ。その時、メジャーリーグ時代の田中将大選手が凱旋帰国していて。僕はテレビっ子だから分かるんです。妻夫木聡が優勝するか、“マー君”が優勝するか。それが完璧なエンディングなわけです。
澤本:はいはい。
勝地:で、最後に何があったかといえば……俺が、優勝したんですよ……。
一同:ははははは!
勝地:その日は、その場では泣かずに、家に帰って泣きました。
一同:(笑)。
勝地:「勝地じゃないんだよ、ここは! 勝地が優勝していいのは、もっと主役をやってから!もう~!!」っていうのがいろいろあって。
一同:あはははは!
勝地:「もう、うまいこといかないな!」っていうのがありつつ(笑)、いろいろ勉強するうちに「バラエティも面白い」って思うようになった感じですね。
澤本:むちゃ面白いね!
勝地:悔しかったですね~(笑)。
中村:そうですよね。バラエティはバラエティで、全く別のプレッシャーというか緊張感がありますよね?
勝地:そうですね。
澤本:若い頃は割とキャラをつくっていった方なんですか?
勝地:「役者ってちょっと謎に満ちてる方がいいんじゃないかな?」と思っちゃってたんですよね。なんなら今でも「もうちょっと抑えた方がいいのかな……?」とよぎる瞬間があるんですけど。でも、そうすると自分らしくないな、と思うんです。やっぱり、長くやるにはなるべく自分らしくいて、役者と勝地涼という人間が乖離しない方がいいんじゃないかな、と思うようになってきましたね。
でも、また50代になってよく分かんない「うーん、そうだねぇ……」とか渋く言うようなキャラクターになってるかもしれないので(笑)、自分のことが分からないんですけどね!(笑)
いつかは「野田秀樹」作品に出てみたい
権八:今、おいくつですか?
勝地:今年37になります。
権八:それこそ、「今度は自分で演出したい」という思いが出てくる頃じゃないですか?
勝地:そうですね、これは夢でもあるんですけど、もう一度人生をやり直すとしたら、10代で役者を始めずに、大学で演出の勉強をした上で演出家になりたい、みたいなことを思ったりはします。いま現在、蜷川幸雄さんの思いを受け継いでる人たちがいっぱいいるので。岩松さんがいて、その思いを継いでる森(新太郎)さんがいて。演出家にはすごい人たちがいっぱいいるので、正直自分にはやれないなと思いますね。
澤本:でも今おっしゃっていた演出家の流れって、全部舞台じゃないですか? やるんだったら舞台演出の方がいいんですか?
勝地:そうですね。ただ、なんだろうな……。もちろん映像もすごく好きなので、やってみたい気持ちはあるんですけど。映像の方は「カット割」とかを考えなきゃいけないので、もっとそういう勉強をしなきゃできないというか……。
例えば、2人の役者が話しているときに、アップなのか引きなのか、僕には判断できないと思うんです。なのでやるなら舞台かな、と思ったりはしますけど。でも舞台の美術や音楽をこうしたい、みたいなこだわりはそんなになくて、単に芝居が好きだから芝居をつくりたい、というの気持ちです。でも、演出家ってやっぱり難しいだろうな、というのはありますね。
澤本:「この演出家の舞台に出たい」というのはありますか?
勝地:「いつかやってみたい」で言うと、野田秀樹さんですね。僕が地元でよく行くお寿司屋さんに、野田さんがよくいらっしゃっていて。そこで顔合わせをして、勝地涼という存在をめちゃくちゃ伝えまくってようやく名前を覚えてもらいました(笑)。その後ワークショップには参加させてもらったけど、まだ作品には呼ばれていないので、「いつかは」と思っています。
中村:はい。名残惜しいことに、そろそろお別れの時間が近づいております。改めまして、今夜のゲストは俳優の勝地涼さんでした! ありがとうございました〜!
勝地:ありがとうございました!
(拍手)
〈END〉