『なぜ教科書通りのマーケティングはうまくいかないのか 電通戦略プランナーが教える現場のプランニング論』2024年3月5日発売、好評発売中
日々広告のプランニングに取り組んでおられるクライアントのマーケティング担当者の皆さま、広告会社の戦略プランナーやクリエイターの皆さま、はじめまして。電通の広告プランナー、北村陽一郎と申します。
現在は大阪でプランナーとして仕事をするかたわら、社内で少人数制プランニング塾「北村塾」を主宰しています。マーケティング理論を実際の広告プランニングの場でどう活かせばいいのか、何に注意を払わなくてはならないか。若手プランナーたちの現場の課題感を聞きながら、対話を通じて理解を深める場になっています。
将棋の世界では、「定跡は知らなければならないが、定跡通りに指しては勝てない」と言われますが、マーケティングもそのようなところがあると思っています。このコラムでは「なぜ教科書通りのプランニングはうまくいかないのか」というテーマで、よく知られた有名なマーケティング・フレームを現場の仕事で使う際、どんなケースでは有効で、どんなケースではうまくいかないのかをお話ししていきたいと思います。
広告プランニングは生活者を対象にするものです。その生活者は刻々と変化していくので、アキレスが亀に追いつかないように、広告プランニングが完成形を迎えるということはないだろうと思われます。それでも、現場の努力や先人の方々の取りまとめられた知見のおかげで、だいぶわかってきたことはあります。
現場で特に感じるのは、マーケティング(特に広告の領域)は「ハッタリに弱い」ということです。ハッタリという言葉が悪ければ、「言い切られると弱い」。聞いたことのある理論やフレーム、専門用語で「必ずこれでうまくいく」と言い切られると、半信半疑であっても流されていってしまうことはよくあります。ほぼいつでも当てはまることは何で、状況に応じて使い分けが必要なのは何なのかという部分があまり認識されないまま、「聞いたことのある」言葉だけがたまっていく、そう感じています。
「パーチェスファネル」「カスタマージャーニー」「重回帰分析」あたりが危険な言葉の筆頭です。そのあたりの言葉が出ると、なんとなく安心感が漂い、ふわっと話が進んでいくことが多いです。しっかりやってくれそうだし、社内決裁を通す資料も作れそうだ。しかし実際に動かしてみると、たいていは「うまくいかない」ということになります。
コンペの罪
「聞いたことのある理論による言い切り」が生じるのは多くの場合、コンペにおいてです。コンペが本当に有効なのかという議論はこれまでも多数なされており、特に広告会社側のエネルギーのロスやモチベーションの部分で懐疑的に語られることが多いと思いますが、私が考えるコンペの最も大きな罪はこの「言い切り」を多く生んでしまうことです。
広告会社の中の評価として、コンペで勝つか負けるかは非常に重要視されています(勝ったときの嬉しさより、負けたときの肩身の狭さがつらすぎるので、どうしても負けたくないというのが広告会社の人間の考えることです)。さらに何年か前から、コンペのプレゼンは「1人ですべて語りきるのが良い」という風潮があります。人には得手と不得手があり、専門的で造詣が深い部分とそうでない部分があるのは当然のことですが、話す側の「負けたくない」、しかし「そこまで専門的でない」ことで生まれる「言い切り」を、聞く側もうまく咀嚼できないでいる現状があります。丁寧な相互理解を欠く背景が、このあたりにあります。
こうした「言い切り」に流されるのを避けるには、「聞いたことのある理論」をもう一歩踏み込んで、整理し、理解することが必要です。本当に議論が必要なところでしっかり止めて議論を起こすということが、そもそもの設定を間違えたゆえにそれ以降の細かい積み上げが無意味になってしまう…という大きなロスの回避につながっていくと考えています。
間違いのもとは、本当は原理原則的ではないことをそのように見てしまうこと
これまで先人の方々が発表されてきたことの中には、普遍的な知見も多くあります。それらはメディア接触行動や検索行動など、現代の生活者がいかに変化したとしても、別次元の原理原則的なこととして使っていくことができます。
一方、いわゆるマーケティング・フレームの中には、本来は万能でないにもかかわらず原理原則的なものと扱われ、頻繁に使われるがうまくいかないものがかなり多くあります。「ファネル」を使うべき案件もあれば使うべきでない案件もあるのは当然のことですが、どういうときに使うべきではないのかという議論はほとんど行われていません。有用だという総論と、使ってうまくいったという成功談があるだけです。
マーケティング・フレームとは、モデル化の試みに過ぎない
それぞれの時代ごとに新たなフレームが生まれてきました。新しいものが出てくる際によく感じるのは、「今までのものはもう古いので、使用禁止です。これからはこの新フレームを使っておけばいいのです」という、押し出しの強さです。「こういう考え方もあるでしょうか、どうでしょうか」というような、奥ゆかしい新フレームというのはほとんどお目にかかりません。いかなる商品カテゴリー、そのカテゴリー内でのいかなるブランドの立ち位置であっても同じフレームが有効であると言わんばかりの風潮には、いささか閉口してしまいます。
マーケティング・フレームというのは要するに「ヒトがモノを買うときの行動をモデル化する」ということをしているわけですが、そもそもヒトもモノもそれぞれが多様なので、その掛け算である「ヒトがモノを買うときの行動」というのは必然的に、きわめて多様にならざるを得ません。私がドラッグストアで胃腸薬を買うときの行動と、高校生の娘が友達とスタバで何か飲み物を買うときの行動は、いろいろな面で異なっているでしょう。
そうした多様な行動をなんとかわかりやすくシンプルに括って「モデル化」しようと試みているというのがマーケティング・フレームです。なるべくシンプルにしたいのはやまやまですが、元がこれだけ多様なので、できるだけ頑張ってはみました、というようなものにしかなり得ないのではないかと考えています。
マーケティング・フレームは検証されない
PDCAもそうしたマーケティング・フレームの一つであるわけですが、これらのフレームそのものは、実はほとんど検証されるということがありません。一つのフレームが戦略策定に採用され、それが有効に働いたのかそうでないのかを見極めるのにはある程度の期間が必要であるにもかかわらず、多くの場合、また別の新しいフレームを採用することになったから(なぜなら新しい担当者になったから)というような、フレーム自体の有用性の評価とは別なところで採択が行われています。
プロ野球チームの監督も、評価をするには何年かその監督に預けてみるということが必要でしょう。押し出しの強い誰かが売り込みに来るたびに監督交代していたのでは、強くならないのは明らかです。採り入れるときに、このフレームは何年かを預けてみる価値があるのか、そもそも自社のカテゴリーやブランドにフィットしているのかについてもっと考えを巡らせ、預けるならば腹をくくるという姿勢が必要であろうと思います。
リアルな現場で、何を灯台とするか
リアルな現場で、何に気をつけなければならないか。各フレームの向き・不向きとは何か。原理原則的なことと、ケースに応じて使うべきことは何か。過度な一般化に陥らずに、先人の知恵をうまく灯台として活用しながら現代の複雑なマーケティング課題に向き合うための考え方について、まとめていきたいと思います。
(次回記事は6月26日公開予定です)