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前回はブランド認知率についてお話ししました。今回のテーマは「ブランドエクイティ」です。そもそもブランドとはどういったものか。ブランドエクイティ(エクイティ=資産価値)の基本となるデービッド・A・アーカーの「5つの要素」は実務を進めるうえで、どのように理解すればいいのか。では、始めましょう。
『黒牢城』の《寅申》
米澤穂信さんの『黒牢城』という小説があります。織田信長に反逆した荒木村重と、それを説得に来た黒田官兵衛による歴史推理ものでたいへん面白い作品です。この中に、《寅申(とらさる)》という名前の茶壷が出てきます。「この壺ひとつで城が買えるとまで言われる」名器《寅申》が、物語の中で非常に重要な役割を果たします。一方、村重は家中の者に茶をふるまった際に使われていた茶碗について「さればこの茶碗も名物にござろうや」と聞かれ、「それは備前で焼かれたただの茶碗じゃ」と答えています。名器となる茶壷と、ただの茶碗があるわけです。
もともと武士の社会には鎌倉時代から、「御恩と奉公」というシステムがありました。戦功を立てると土地がもらえるGive&Takeの関係です。これが鎌倉中期以降、元寇などがわかりやすい例ですが、恩賞となる新たな土地がなくなったためにうまくいかなくなります。織田信長は勢力拡大の過程で部下のモチベーションを高めるため、このことについて考えていたと思います。ずっと土地が恩賞では足りなくなる。そこでどうするか。
当時窮乏していた足利将軍は、唐物という中国からきた茶道具を売って糊口を凌いでいました。小さくかつ貴重という茶道具の特性に、信長は恩賞としての可能性を感じたのでしょう。しかし唐物はそれほど数もなく、入手にコストがかかります。それなら、原価が安く自由に作れて(新たに作ったものを今焼と言います)価値があるものを作ればよい。価値を出すためにはその道の有名人を仕立て、「有名人お墨付きの茶道具」とすればよい。信長が千利休などに投資し権威が出るようにプロデュースしたのには、そうした狙いがあったであろうという歴史研究があります。
実際に、信長の後期の恩賞はほとんどが茶道具です。職人を雇い、現代であれば数万円の原価でいくつか作らせたうちの一部が、「千利休のお墨付き」という意味が加わることで「城が買える」ような何億円もの価値を生む。原価が同じでも、意味が加わることで価格が高くなる。信長は、ブランドというものの構造を理解していたと思われます。
「御恩と奉公」に代わる信長の恩賞システムを、「御茶湯御政道(おんちゃのゆごせいどう)」と言います。シルクロードで運ばれてきたり皇族から下賜されたなど、単独で貴重というものはそれまでにもありましたが、ブランドの構造を理解し、価値のあるものを新たに生み出して活用したのは、この信長の茶道具が日本史上で初めてなのではないかと思います。
ブランドエクイティの5つの要素
受講生からの質問:
クライアントから、「ブランドエクイティを使ってプランニングを成功させている事例を教えてほしい」と言われました。そもそもブランドエクイティって、どういうものなのでしょうか?
デービッド・A・アーカーの「ブランドエクイティの5つの要素」というものがあります。「ブランド認知」「知覚品質」「ブランド連想」「ロイヤリティ」「独占的技術」の5つです。このうち「独占的技術」は少し違うものなので、はじめの4つの構造について考えていきます。
第3回で、「好き」というのは何より強いという話をしました。4つの要素の中では「ロイヤリティ」にあたります。他の要素と並んでいると、どれも同じくらい重要なのかとつい思ってしまいますが、「ロイヤリティ」はこの中でも別格で、最も強く、かつ最も得るのが難しいです。結局のところ、ここへの道筋をどうつけるかという話になります。
「強いブランドほど、みんな少しずつ違う理由で好き」ということを考えれば、「ブランド連想」が多く、強いほど、「ロイヤリティ」への道筋が多く、太くなると考えることができます。「ブランド認知」「知覚品質」はどうでしょうか。重要でないわけではもちろんありませんが、私の感覚としては、必要以上にこの2つが重視されすぎているように思います。
なぜ「知覚品質」が重視されすぎるのか
「ブランド認知」については前回まで話をしてきましたので、「知覚品質」がなぜ重視されすぎてしまうのかという話をします。
クライアントと話をしている中でよく出てくるのが、「今年は昨年と比べてこの部分の品質が上がった」というものです(だからそれを伝えれば売れるはずですよね、と続きます)。クライアントはその商品について詳しく知っています。言い方を変えると、生活者と比べて知りすぎています。そうすると往々にして、生活者が自ブランドについて実はあまり知らないという認識が薄くなる、ということが起こります。生活者の自ブランドに対する認識の深さを深い方向に見誤ることが、より細かい「知覚品質」を伝えようとしすぎてしまう背景にあると考えられます。
「ブランド連想」で一本道のルートを作ろうとしてはいけない
「ブランド認知率」や「知覚品質」に傾注しすぎるのではなく、自ブランドに望ましい「ブランド連想」を育てることで、最も重要な「ロイヤリティ」に繋げていくということを考える必要があります。その際についやってしまうのが、一本道のルートを作ろうとしてしまうことです。自ブランドがずっと大切にしてきたことを守り、育てていくことは重要なのですが、「ブランド連想」が自然に増えていくことを拒絶したり、見て見ぬふりをすることは良くありません。
森永製菓の「inゼリー」はスポーツをする際の栄養補給と忙しい朝の朝食がわりという2つの柱で成長してきましたが、実はそれ以外にも体調不良時、受験応援、母校への差し入れなどさまざまな「ブランド連想」を育成していました。コロナ禍で出社が控えられるようになり「忙しい朝の朝食がわり」という需要が消え、外出が憚られて「スポーツ時の栄養補給」で購入されることも少なくなった中、以前から育てていた2つの柱以外の飲用シーンを掘り起こすことで、「inゼリー」は早期の回復を達成しています。
環境の変化や強い競合の登場など、ブランドを取り巻く環境は大きく動いていきます。『ジキル博士とハイド氏』で知られるロバート・ルイス・スティーヴンソンは、「人生のサドルにゆるく腰掛けよ」という言葉を残しました。「ブランド連想」を育てていく際もこのようなスタンスで、柔軟に対応していくことが大切なのではないかと考えています。
今回は、そもそもブランドとはどういったものか、アーカーの「5つの要素」をどのように理解すればいいのかについて、お話ししました。次回は、具体的に「ブランドエクイティ」をKPIに設定していく際のポイントについて、お話しします。
(次回は7月20日公開予定です)