執筆:渡邉 寧(わたなべ・やすし)
ホフステード・インサイツ・ジャパン代表取締役。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修了後、ソニーに入社。7年にわたり国内/海外マーケティング(イギリス駐在含む)に従事後、ボストン・コンサルティング・グループに入社。メーカー、公共サービス、金融など、幅広い業界のプロジェクトに4年間従事。その後独立し、組織開発での企業支援を行う傍ら、ホフステード・インサイツ・ジャパンの経営に携わり、現在、京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程で、文化とこころの問題について研究している。
EV普及とそれに伴う充電スタンド不足、そしてルノーの挑戦
EV充電スタンドの不足が世界各地で問題となっています。世界的な電気自動車(EV)の普及が進む一方で、それに対応したEV充電スタンドが足りず、特に地方に遠出する際にバッテリー不足で立往生しないかどうかはドライバーにとって気になるところです。ルノーのプロジェクト「Renault-Plug-Inn」は、この問題に対する解決策として示され、2023年のクリエイティブストラテジー部門のグランプリを受賞しました。
ルノーが試みたのは、一般ユーザーが保有している家庭用EV充電スタンドのシェアをアプリを通じて可能にする仕掛けです。フランスにおいて、自宅のEV充電設備を貸したいユーザーとEVを運転するドライバーをアプリを通じて結びつけ、双方にとってメリットがあるウェブインフラを用意しました。このプロジェクトは社会問題に対する実効性ある取り組みとして評価され、ブランプリの受賞に至りました。
充電スタンド不足は世界的な問題。同様の取り組みはフランス外でも見られる
ただ、今回のルノーの「Renault-Plug-Inn」の取り組みは、アプリの仕組みとしては、ユニークで新規性が高いというわけではないと思う方もいらっしゃると思います。
充電スタンド不足はフランスだけの問題ではなく、世界中のEV市場で共通する課題となっています。そのため、様々な国々で多様な対策が取られています。例えば、ユーザーを繋げるアイデアは配車アプリの「Uber」と似ており、自宅のEV充電設備を貸したいユーザーと、充電したいEV車ドライバーを繋ぐという、同様のアイデアを思いつく人は多くいたと思います。実際、ルノーの取り組みと前後して世界各国で似たようなアプリは普及しており、例えば、イギリスでは「Co Charger」などが2021年から使われていました。日本ではパナソニックが同様のアプリを2023年に立ち上げています。
同時に、一般家庭のEV充電設備をインフラとして使うことは、根本的なEV充電設備不足の解決にはならないのではないか?と思う人もいるかもしれません。というのも、一般家庭のEV充電設備は低出力であることが多く、充電に時間を要し、利便性に課題があるからです。現在はEV充電器の大出力化も進んでおり、こうした大出力の充電設備のインフラ拡充が本質的な解決策となるとの視点もあります。事実、アメリカは大規模な政策支出を通じてEV充電スタンドの拡大を目指しています。同時にEV市場には大量の資本が集まっているので、民間の先行投資がなされ、問題は解決に向かうだろうと予想する専門家もいます。
プロジェクトの巧みさは「フランスの価値観に沿ったメッセージの選び方」に
以上のようなEV充電スタンドの現状を踏まえると、このプロジェクトが評価されたポイントは、アプリのアイデアや技術的な仕組みではないのかもしれないと感じます。アプリの仕組みではなく、それをどのような価値に繋がるものと位置づけるのかのポジショニングに、プロジェクトの巧みさがあるのではないかと感じます。そう考える理由として、ケースビデオの中で使用される表現の巧みさとそこに込められた意味があります。具体的に見ながら考えてみたいと思います。
1つ目は「en louant leur borne de recharge privee」。日本語にすれば「彼らのプライベートな充電スポットを借りることで」ということになるでしょうか。
このフレーズは映像と連動し、ドライバーとEV充電スタンドオーナーとの交流に焦点を当てています。映像では、都市の住人と思われる男女が、地方のEV充電設備オーナーを訪れます。そして、地元の生活を共有し、新しい人々と出会う機会が描かれています。ゆっくりと時間をかけて、その土地のカフェや街を探索し、現地の人々とコミュニケーションをしたり、ペタンク(フランスの球技)を楽しむ様子が描かれています。
ここでの主役はEV充電の利便性というよりも、新たな出会いと交流をもたらす機会の価値です。
2つ目のメッセージは「Tourisme de Recharge」です。日本語訳では「リチャージ・ツーリズム」ですが、ここには様々な意味が込められているようも感じられます。EV設備の貸し手目線では、EV設備を貸して観光客を呼び込むと考えることもできます。同時に、EV車のドライバー目線では、「自分を再充電する旅」と解釈することもできるかもしれません。ここでは、車の充電だけでなく、その街を訪れたドライバーが精神的、身体的エネルギーの再充填を行うというメッセージも含んでいるように感じられます。都会を離れて、見知らぬ人々と新しい関係性を結ぶことが、人の精神的な健やかさにとっては重要であるという価値観を表現しているように見えます。
3つ目のメッセージは「Communaute de recharge」です。これは「充電のためのコミュニティ」ということで、ルノーの取り組みを通じてフランスの地方の充電インフラが整備され繋がっていくということですが、同時に、地方都市での充電設備の充実だけでなく、EV充電を通じた人間関係や旅行がコミュニティ形成を促すという価値も含意しているように感じます。
最後に、「Tourisme responsible」というメッセージ。「責任ある観光」ということで、これは、「Renault-Plug-Inn」のプラットフォームを活用することで、EV車で地方観光に出向き、化石燃料を使わないことで自然環境への影響を最小限に抑えることと、また旅行先の現地経済の尊重や貢献することの価値が提示されています。
これらのメッセージを一つひとつ解釈していくと、その背景にフランス文化の価値観があることを感じます。特に、個人主義と女性性の価値観に関係したメッセージ構造であると感じます。
国民文化の違いを数値として表現したホフステード指標に基づくと、フランスの個人主義スコア(IDV)は71で、これはフランスが個人主義文化の傾向を持つことを示しています。また、男性性スコア(MAS)は43で、これはフランスが女性性文化の傾向を持つことを示しています。
フランスは個人主義の文化的背景から自身の個性を大切にし、同時に女性性の文化的背景からコミュニティを重視する価値観を持つ傾向があると考えられます。また、女性性文化は金銭的・物質的な達成よりも、調和の取れた生活の質に価値を置き、同時に、多数派(マジョリティ)だけでなく少数派(マイノリティ)に対する配慮に価値を置く傾向が高くなります。そのため、未来の世代への配慮、つまり環境保護という視点の重視や、地方都市経済の保護に対する関心が高くなる傾向があります。
ルノーの「Renault-Plug-Inn」における訴求ポイントの焦点は、キーワードで言うと「地方都市」「他者との交流」「調和の取れた生活」「精神面での充実」「コミュニティ」といったところにあります。これは、個人主義×女性性の文化の価値観に沿っていると解釈できます。
ルノーの「Renault-Plug-Inn」には、類似した競合サービスが複数あり、サービスアイデアとしてのユニークさは大きくはないのかもしれません。しかし、そのサービスをどのような価値と結びつけて訴求するかという観点ではユニークであるのかもしれません。
EV充電設備インフラの整備は、大出力化のテクノロジーと大規模資本によって進められていくのかもしれませんが、スピードや効率性といった価値観とは異なる価値観に基づいてサービスを位置づけようとする点が、このプロジェクトの面白さだと感じます。
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