新刊書籍『先読み広報術 1500人が学んだPRメソッド』の著者である長沼史宏氏が、2023年4月に東北大学の特任准教授(客員)に就任した。長沼氏はソフトウエア開発のアステリアで広報・IR担当の執行役員を務めるほか、広報勉強会の主催者など複数の肩書きを持つ。東北大学には非常勤のアドバイザーとして、広報の実務を通じて培った知見やノウハウを提供していく。
東北大学としては、広報分野のアドバイザーにこうした副業(複業)人材を登用することは初めての試みだという。広報・ダイバーシティ担当の副学長を務める大隅典子教授と長沼氏にその経緯や今後の展望について聞いた。
本当のゴールはメディア露出の先にある
――この度のアドバイザー就任の経緯をお聞かせください。
大隅:長沼さんとのご縁は、本学の市民参加型のサイエンスプロジェクトの記者会見を手伝っていただいたことがきっかけです。広報のプロフェッショナルとしての知見が豊富な方で、コミュニケーションアドバイザーとして就任いただくことになりました。
大隅典子(おおすみ・のりこ)
東北大学副学長(広報・ダイバーシティ担当)
1985年東京医科歯科大学歯学部卒。1989年同大学院歯学研究科修了。歯学博士。1989年同大学歯学部助手、1996年国立精神・神経センター神経研究所室長を経て、1998年より東北大学大学院医学系研究科教授(現職)。2018年より東北大学副学長(広報・共同参画担当)。2022年から現職。専門分野は発生生物学、分子神経科学、神経発生学。女子学生の理系進路選択促進のための科学技術への理解増進に関して、科学技術分野の文部科学大臣表彰 科学技術賞(理解増進部門)受賞、東北大学として第4回輝く女性研究者活躍推進賞(ジュン アシダ賞)の受賞に関わった。
東北大学には教員による研究成果や取り組みなど、発信すべきことが数多くあります。広報の実務には、本部広報室のほか学部や研究所などの各部局を含めると多くの人が携わっていますが、企業の広報やマーケティングの専門部署でキャリアを積んでいる人と比べると経験値が不足しています。長沼さんには広報機能の底上げのため、まずはミーティングを通じて、スタッフの育成や広報活動へのアドバイスをいただいています。
長沼:大学広報の大きな目的は、自分たちの活動や考え方について、社会から共感を得て認めてもらうことです。例えば、報道を通じて研究結果を幅広く世の中に伝えることで「東北大学はすごいことやっているな」「より良い社会につながる画期的な研究をやっているんだ」と認めてもらうことができるでしょう。この時に、私たち広報は、難解な研究であっても市民の皆さんに伝わりやすくなるような“翻訳者”として機能できるかが問われます。
長沼史宏(ながぬま・ふみひろ)
アステリア 執行役員コミュニケーション本部長
東北大学特任准教授(客員)・コミュニケーションアドバイザー
広報勉強会@イフラボ主催者
大手メーカーで10年以上、広報・IR担当としてのキャリアを積んだ後、2015年に新興IT業界へ転身。テレワーク、LGBT、FinTechなど旬の話題に絡めたPRを通じて“お茶の間”にリーチする話題づくりで実績を重ねる。2017年1月に開講した広報勉強会@イフラボでは自らが講師として200回以上の講義を行い、約1500人の広報担当に、“お茶の間にリーチする露出戦略から逆算した話題づくり”の極意を伝えている。
一方で、メディア露出は最終的な目的ではないことにも注意する必要があります。その先に「大学に入学しよう」「就職しよう」と思ってもらったり、その国や地域になくてはならない存在と認めてもらったりすることで、継続的に価値を高めていくことがゴールといえるでしょう。一つひとつの露出からはパーパスを感じさせる演出も重要で、そのためにどのようなメッセージ設計や広報施策が必要か、東北大学の皆さんと一緒に考えていければと思います。
大学や研究者にも広報マインドが必要
――大隅先生は広報担当の副学長を2018年から務めています。大学教員であり研究者の立場から、広報についてどのようにお考えですか。
大隅:私は広報の仕事が好きですし、大学や研究者にとっても必要なことだと以前から考えていました。それは、クジラの研究者だった父(日本鯨類研究所理事長などを務めた故・大隅清治氏)の影響があるかもしれません。
1970~80年代は日本の捕鯨に対して、アメリカによるバッシングが非常に強い時期でした。父は国際捕鯨委員会(IWC)科学委員会などに毎年出席して、クジラを資源として管理しながら行う「持続捕鯨」を唱えていました。しかし、父の姿を横目で眺めながら、日本はメディアリレーションズが上手くないなと感じ、研究者も自ら発信することの大事さを実感しました。
また、約20年前のことですが、私が若手主催の科学コミュニケーションに関するパネル討論に出席したときに、登壇者の1人だった新聞記者の方に「もっと大学の取り組みを積極的に取材してほしい」と言ったことがあります。すると「新聞は悪を暴くためにある。そんなに発信したいならマスメディアを使わなくても、自分たちで発信していけばいいじゃないですか」と言われたのです。ブログやnote、SNSなどをもちいて、自らの手で科学広報・研究広報に取り組むようになったのは、こうしたこともきっかけのひとつです。
――東北大学での広報における課題をどう捉えていますか。
大隅:全学的なブランディングや広報を進めるにあたって、各スタッフの目線を合わせることが必要と考えています。本部広報室が中心に1年間の全体のスケジュールを把握して、どの部局でどんなことを展開していくのかをリードしていくのが理想です。
ただ、本学も縦割りの文化が根強いです。例えば、入試広報であれば説明会や相談会の実施、ホームページやパンフレット制作など厳密な1年間のサイクルが決まっているのですが、その情報を本部広報にももっと活かせると良いと思います。横の風通しを図りながら、掲載情報のアップデートなども必要ですね。
企業のノウハウを大学で応用
長沼:大学広報は、独自のカラーと先進性を際立たせる戦略が重要です。また、生物多様性、脱炭素(地球温暖化)、生成AI、多様性、アニマルウェルフェアなど、メディアが反応しやすくかつ世の中にも伝播していきやすいテーマが、その時の社会背景に応じて常にいくつか存在します。東北大学は最先端で本当に様々な話題をつくり出せることが強みだと思いますが、これらの旬なテーマと学内で温めてきたテクノロジーやサイエンスとを紐付けて、ホットなタイミングで打ち出すことがポイントですね。
今までの情報交換のなかで、東北大学の中には非常にたくさんの“話題の卵”があることが分かりました。これからは、広報目線でネタを仕込んだり、みんなが見過ごしているネタを広報が拾い上げたりする活動も、先生方や職員の皆さんとより深く取り組んでいければと思っています。
――情報収集や各部局とのやり取りはどのように行っていますか。
大隅:学内に約30ある部局の各広報担当員との連絡会を行っています。最近は月1回ほどですが、定例化していこうと進めているところです。
長沼:昨年講演をおこなったとき、「全学の状況把握が難しい」という課題が挙がりました。そこで、「(企業でいう)社内報を作成するときの話題集めとして全学に対して情報収集を行うと、今まで埋もれていた報道価値の高い話題も拾いやすい」というアイデアを提案したところ、早速実践してくださっているようです。何がネタになるかは広報部門の視点でも判断していった方が、メディアのニーズにマッチしやすいといえます。こうした網の目を張り巡らすような活動から、成功パターンを1つでもつくることができればより情報の流通度が高まってきますし、「広報レジェンド」とモデル事例を一緒につくっていければと思っています。
社会の関心と絡めた話題づくりに取り組む
――現在東北大学で力を入れているテーマは。
大隅:ひとつは、2024年度の運用開始を予定している次世代放射光施設の「NanoTerasu(ナノテラス)」、いわば「ナノ」の単位まで見える巨大な顕微鏡です。毎月何十人も視察に訪れていて、今年5月に広島で開催されたG7サミットの関係閣僚会合の一つとしておこなわれたG7仙台科学技術大臣会合の誘致にも一役買いました。
2つ目は災害科学分野で、東日本大震災の経験を生かし幅広く展開しています。東北大学の災害科学は、工学系・理学系の研究だけではないことが特徴です。例えば、古文書に記された大昔の津波の記録を読み解いて大地震の周期を予測するなど、文系の領域ともコラボしています。また、感染症を避ける避難所のつくり方や、避難後のメンタルケアなど医学・医療分野も関わっています。
東北大学は教職員と学生を合わせると約2万2000人おり、仙台市の人口の2.2%を占めます。話題には事欠かないですし、今後も独自の取り組みを進めていきます。
長沼:今年3月、名古屋大学の卒業式で杉山直学長がChatGPTで作成した祝辞を披露して話題になりましたよね。セレモニーや季節の風物詩にうまくサイエンスを絡めることができれば、各メディアに取り上げられて社会とのタッチポイントを増やすことが可能です。
もう少し私自身の勉強が必要なのですが、例えば卒業式の演出として、ナノテラスでしか見えない字で書かれた卒業証書を学生に渡すとか……。こんな妄想レベルのこともあえて提案していくことで、10個のうち1個でも結果に結びつくものがあればいいなと思っています。