『なぜ教科書通りのマーケティングはうまくいかないのか 電通戦略プランナーが教える現場のプランニング論』2024年3月5日発売、好評発売中
最終回は、電通からメルカリを経て、現在は独立してマーケティング支援の仕事をされている南坊泰司さんとの対談です。
過度な一般化に陥らないために考えるべきことの一つとして、「仮に現在の自分が一面的なものの見方になっているとしたら、もう一方には何があるのかを考える」ということがあると思います。私は新卒から30年近く広告会社におり、事業会社にいた経験がありません。日々、クライアントと話をしているので想像することはできますが、見えていないことは必ずあるはずです。
その点で、広告会社と事業会社の両方の経験をされている南坊さんが、今回のコラムの「多くのマーケターが過度な一般化に陥っている」という見立てについてどんなことを考え、話してくれるのか、たいへん興味がありました。南坊さんとは電通在籍時に同じクライアントを担当したことがあり、状況を捉える力・組み立てる力がずば抜けている気鋭のマーケターだと感じています。南坊さんのnoteにも記事がありますので、「#なんぼーさんとの対話」で検索してみてください。
では、始めましょう。
マーケター自身が持っているバイアスを意識する
北村:これまでの連載、ご覧になっていただいたと伺いましたが、どうでしたか?
南坊:私がよく考えているのは、マーケティングを行う上で、マーケターは必ずバイアスを持っているということです。北村さんのコラムの中では第13回で触れられているように人口動態を無視して若い人を狙うことが当然のように思ったり、あるいは第8回のようにブランドエクイティを作れば一つのブランドに顧客が「所属」してくれるように感じたりすることなどです。
北村:なるほど。連載の軸になっている問題関心は、マーケティングの世界における「過度な一般化」「過度な設計」「過度なデータ重視」だったのですが、その根底にはマーケターのバイアスがあると。バイアスは「系統的に起きる認識のエラー」ですよね。
南坊:生活していて一つのブランドに囲い込まれることって、実際にはほとんどないわけじゃないですか。そういう“机上の空論”と、現実との整合性をどう取っていくかこそ考えていかないといけない。そこに切り込んでいる点に、共感を持っています。
広告をどう展開していくかを考えるときに、損失回避やアンカリングなどの「認知バイアス」を考えることはよく行われているわけですが、マーケター自身がバイアスを持っているというのは鋭い指摘でした。バイアスは、なるべく考えることを少なくするために存在するものだと思っています。レールを作ることで、思考を省略する。しかし果たしてそれでいいのか。急行ではなく各駅停車に乗らないと着かない駅もあります。
生成AIとマーケターはどのように向き合うか
南坊:ChatGPTなどの生成AIが生まれる中で、マーケターがどのようにあるべきかも関心のあるテーマです。変化が大きなVUCAの時代、マーケティングに従事する人間が対応するべきなのはフレームワークよりも、フレームワークの行間やそこから生まれるアイディア、あるいはマクロな視点における戦略の差配などが重要になってくるのではないかと。
北村:フレームワークがダメなわけではないけれど、それを適用しておけばOKというほど目の前の課題がシンプルではない、ということですか。
南坊:課題って、基本的に個別なんですよね。カテゴリーが同じで商品力が近くても、例えば対流通への営業力が全然違うとか。
北村:ヒト・モノ・カネ・情報・時間・知的財産といった資源の違いは、必ずあると。
南坊:そうです。一方、現在の生成AIは「まだ見ぬ答え」を持ってくるものではないけれども、inputにおいて膨大な知識を整理し、仕組みに当てはめていくようなことに強みがあります。
北村:抜け漏れとか、大きな視点の見落としがないかのチェックには使える。
南坊:通り一遍と言っては何ですが、そういった整理は生成AIがやってくれる可能性がある。そして個別の適応というか、まさにこの「ご使用上の注意」シリーズにあるような人間の誤謬は、我々が自分たちで修正していかなければならない。そういう分業ができそうですよね。
フレームワークで型を作り、最終的にはその型を捨てる意識で
南坊:先ほども言ったんですが、まず大前提として、課題は個別であるということ。世の中にある事象は非常に細かい複雑系の中にあり、一般化して解決できるようなことはほとんどないし、魔法のようなフレームも仕組みもメソッドに当てはめることは結構難しいのだという前提を理解し、基本的に最後は手で個別最適化して解決しなければいけないものと認識しています。
そのうえで、必ず2つのステップで考えるということかなと思います。フレームワークを活用していくというステップは、それはそれで重要です。例えばカスタマージャーニーを使うことで顧客との関係性をとりあえずは整理して、共有できる。
北村:まずテーブルに載せる。
南坊:そう、まず関係者間で共通の認識を持つ。その意味ではフレームワークは便利なところがある。そしてそこで築いた共通言語の中で、それを参考にしつつ現実と向き合うという2つめのステップを踏む。
北村:型を作り、型を破る。
南坊:はい。フレームワークで作ったものはどこかのタイミングで捨てるかもしれないですが、捨てたとて、会話や理解を進めるという役割はあります。
新フレームの“圧”は、それ自体がマーケティングだから
北村:第1回でも触れたんですが、新しいフレームって、すごく圧があるじゃないですか。「今までのものは古い、これからはこの新フレーム。何にでも使えます」みたいな。あれって、なんでしょうね。
南坊:マーケターも人間なので惑わされてしまうことはよく理解できます。北村さんは電通の人なので言いづらいと思いますが、例えばAIDMAやAISASなどのフレームをなぜみんな開発したがるのか? 例えばSNS時代における人の動態を表現したフレームを、私は少なくとも4つは見たことがあります。でこれって、広告会社やマーケティング会社の「マーケティング」なんですよね。コンサルティング会社も同様で、「○○2.0」などの新しいフレームを作るのは、それを提唱する人や会社の商売の一環であることは否定できないと思う。
北村:良いフレームを発明して、個人や会社のポジションを上げると。
南坊:ある意味、ポジショントークであることは否めないということです。その結果どうなるかというと、適さないカテゴリーがあるという話はあえて出さなくなる。自分の作ったものに価値があるという主張をしたいので。
北村:「全部これでいける」というような語調の強さも、そこから来ているんですね。
南坊:それが良くないという話ではなく、受け取る側の心づもりとして、確からしさの追求として出てきたのではなく、誰かのポジショントークとして出てきている可能性は頭の隅に置いておいてもいいよね、ということです。
北村:そのフレームが出てきた意味を理解すると、少し冷静に考えられるかもしれないですね。「おもしろ地理」というYouTuberさんのツイートで「都会だけで生活は成り立たない(食糧とか)し、田舎だけで生活が成り立つはずもない(エンタメとか)。」というのがあって、すごく納得したことがあったのですが、とかく二項対立とか、AとBのどちらがいいのかのような思考になりがちな中で、そうではなく「Aはココが、Bはココがいい」という整理の方がしっくりくるのではと思います。
南坊:まったく使えないこともないし、いつでも使えるわけでもないし。使い分けですよね。
Twitterでよく見られる田舎と都会という二項対立でバズを狙うツイ、マジで好きじゃない(即ミュートする)
都会だけで生活は成り立たない(食糧とか)し、田舎だけで生活が成り立つはずもない(エンタメとか)。田舎に住んでても、都会に住んでても遠い親戚や友達に反対側に住んでる人いるでしょ
— おもしろ地理 (@omoshirochiri) July 26, 2023
解決がドラマチックであること自体には価値はない
南坊:クライアントから、広告会社を競合させるのをどう思うかと聞かれることがよくあるんですよ。
北村:はい。
南坊:競合させる方としては、提案のクオリティが上がったり、少なくとも同じクオリティのものがたくさん出てきて選択肢が増えるから良い、という見方がある。でも、やめた方がいいですよ、と言っています。理由は、競合にすると、劇的なものを持ってきがちで、広告会社の提案が歪むからです。
北村:それはすごくわかります。スパイスが効いているとか、パンチがあるものじゃないと埋もれて負ける、と思いがちですよね。
南坊:課題は常にありますが、それがビックリするようなヤバい課題だったり、「新発見」するような課題であるケースって、実際にはそんなにありません。新しくも面白くもない地味めな課題が例えば8割くらいあって、それを解決するのがまた新しくも面白くもない、しかし適した手法であったりするわけなんですが、そういうものは評価されないし、競合にかけても出てこない。
北村:事業を成長させるためにという話と、競合で勝つためにという話が合ってないんですよね。ドラマチックなものが採用されやすい傾向はある。広告会社としてはまずは勝たないと何も始まらないというので、妙な言い切りも生まれる。
南坊:課題はそんなにユニークではない。まったく同じ課題は存在しない一方で、「誰も全く予想だにしなかった課題」というのは意外と少ない。新しくも面白くもない課題がかなりの割合で存在するということも、考えておいた方がいいかもしれません。
過度な一般化に陥らないために、何を考えればいいのか
対談の中でも何度か出てきましたが、「マーケターも人間なので」という部分が特に印象的でした。さまざまな事例の知識、そこからくる手法論、データの数々。そういったものを武器として持っていると、目の前の課題に対してフラットに考えられるように思ってしまう。しかし人間の顔や性格がそれぞれ異なるように、思考にも傾向があります。
『歴史とは何か』(E.H.カー著)の中に、「歴史家が指し示す歴史的事実そのものよりも、その解釈を唱えている歴史家自身がどんな社会に生きて、どんな思想を持っているのかに注目しなければいけない。解釈のもとになる事実を歴史家自身が選択しているからだ。歴史家は空から見渡す鷲ではなく、行列の中でとぼとぼ歩いている冴えない一人に過ぎない」という話が書かれています。
この「歴史家」は、「マーケター」にも置き換えることができると思います。仮に現在の自分が一面的なものの見方になっているとしたら、もう一方には何があるのか。今見えているものが一部分だとしたら、全体の中には他に何があるのか。自分自身が人間であり、なんらかの偏りを抱えた存在であることを、可能な限り意識しておくこと。それが、過度な一般化に陥らずに先人の知恵をうまく灯台として活用しながら現代の複雑なマーケティング課題に向き合うための考え方なのではないかと思います。
ご愛読、誠にありがとうございました。
南坊泰司(なんぼう・たいし)
マーケティングディレクター。電通にてブランディング、メディアプランニング、メディアPDCAツールSTADIAの開発などマーケティング部署を歴任。その後、メルカリに入社。マーケティング/PRチームのマネージャーを経て、事業企画部でOMO(Online merged offline)プロジェクトを立ち上げ、戦略チームマネージャーとしてメルカリのオフライン戦略を牽引。 2020年独立。統合マーケティング戦略立案と事業開発の両面を横断し、事業成長を支援する。クリエイティブディレクターとのユニットNORTH AND SOUTHと、マーケティング・ブランド開発を行うmanage4の2社を経営。
連載「なぜ教科書通りのプランニングはうまくいかないのか」は今回で最終回です。