現在発売中の月刊『宣伝会議』11月号では、「宣伝会議賞」に応募する皆さまに向け、審査員へのアンケート企画を実施しました。審査員の中には、過去に「宣伝会議賞」に応募経験のある方も多くいらっしゃいます。当時の思い出を伺いました。
Q3.「宣伝会議賞」への応募経験がある方に伺います。思い出に残っているエピソードはありますか。
当時、名刺にはコピーライターと書いてあるものの、自分がそれを名乗っていいのだろうか?という思いがありました。賞をいただけたことで、前より自信を持って名刺を渡せるようになったと思います。(石田文子さん)
コピーライターになりたての当時、実生活では何も仕事を任せてもらえない自分が「クライアントもお題も自由に選び放題!」という状況に胸が弾んだ。制約のないコピー ワークは自由で不安で面白かった。(岩崎亜矢さん)
毎日「何本書こう」と決めて、ゲームみたいな感覚で応募していました。当時はアナログで、応募用紙を作ったり、何度も郵便局に出しに行ったりして大変でしたが、よくあんな情熱あったなあといまは思います。(こやま淳子さん)
一回応募したと思うけど、全部落選。その時の受賞作もいいコピーだと思えなかった。審査員に見る目がないと思い、応募をやめた。「審査員にこのコピーの良さがわかるかな」くらいの気持ちでもっとやれば良かった。(中村禎さん)
ガスの強い火力で炊き上げる炊飯器の課題で書いた「全米総立ち」というコピーが三次審査まで進むも、受賞歴はありません。ダメダメな応募者でした。(赤城廣治さん)
先輩と一緒にカフェでコピーを考えているときに、先輩の書いたコピーがすごい!と思い、悔しさとか焦りとかで泣けてきたことがありました。自分と向き合えていなかったな、と思う出来事です。(石本香緒理さん)
授賞式で、とある審査員の方とお話しして名刺交換させてもらいました。その後、TCC新人賞を受賞した時にお祝いのメールをいただいたことがすごく嬉しかったです。覚えてもらえてた!と感動しました。(占部邦枝さん)
過去に応募した経験はあります。が、全くと言っていいほどダメでした。自分としては正しいコピーを書いていたつもりでした。でも膨大なライバルコピーの中で、正しいだけでは残れないんだと思い知らされました。(尾崎敬久さん)
締切ギリギリまで考え、深夜の銀座の京橋郵便局に消印を付けに行くと、同世代の仲間が同じように来ていてその後に飲みに行ったりしました。プロになる訓練として、なるべく多くの課題に取り組むようにしていました。(勝浦雅彦さん)
宣伝会議賞で入賞したことはありませんが、ある業界誌のラジオCMコピー大会で受賞したことがあります。年収がちょっとだけアップして、TCC新人賞に応募するきっかけになったクライアントとの接点ができました。(神戸海知代さん)
応募数の多さに足がすくみ、通過確率の低さに圧倒され、宝くじを当てるような気持ちで書いていました。(國武秀典さん)
新人の年にファイナリストに入りました。グラフィックの賞と違ってADと組むことなく、コピーライターの自分一人で自由に考えて応募できるので「なんて気楽なんだ」と嬉しかった憶えがあります。(郡司音さん)
煮詰まると、ヒラメキを求めて、歩きながら、はたまた電車に乗って、考えてました。(忽那治郎さん)
当時はマーケティングの部署にいてクリエーティブへの転局を目指していました。受賞してアピールするぞ!と、メラメラ燃えていました。(渋谷三紀さん)
学生時代に闇雲に1000本以上書いて出したらたまたま奨励賞がもらえて、根拠のない自信が芽生えた。(鈴木晋太郎さん)
技量もセンスもなく、ただコピーへの情熱しかなかった学生時代。数だけは頑張ろうと思って書いていたら、封筒では収まらずに段ボールいっぱいに。それを抱えて深夜の渋谷郵便局から発送したことを覚えています。(武井慶茂さん)
当時、宣伝会議のコピーライター養成講座に通っていた仲間と、図書館に行って応募コピーを考えていました。なんだか根暗ですね。(野澤幸司さん)
最初の頃は、何が良いコピーかなんて、分からなかったので、とにかく、数を出してました。のべ何百も出してたと思います。昔は、全部、A4の紙に出力してたから、プリントアウトが大変で、てんやわんやでした(笑)(濵田雄史さん)
締切間際に当時はアナログで応募だったので、昼間から出力してホッチキス留めして、段ボールに詰めて郵便局の本局に持って行ったことは思い出ですね。(原晋さん)
当時はメールの受付がなくて郵便局に出しに行かないといけなかったのですが、締切ギリギリまで考えて、受付ギリギリの23時50分ぐらいに夜中まで開いてる郵便局まで出しに行っていたような記憶があります。(左俊幸さん)
とにかくたくさん考える訓練ができたのと、どういうのが評価されるのかがわかってよかったです。(細田佳宏さん)
ライバルに負けないように、量出さなきゃと思うと気が滅入るので、「グランプリになる1本を書けばいいんだ」と開き直っていた。(眞鍋海里さん)
当時は手書きだったので、毎年右手首が壊れそうでした(三島邦彦さん)
社会人になってから応募したのですが、子供の誕生と応募締切が被り、大慌てで、郵便局に行ったのを覚えています(笑)当時は、数を出すことに夢中になっていたので、封筒がパンパンでした。やはり量より質ですね。(森宜久さん)
一次審査を通過した時の快感は、今でも憶えています。ライバルが通過してるかもチェックしまくりました。(森川晴久さん)
紙で応募する時代だったので、大量のコピー(応募作品)と企画意図をホチキスでとめるのがめちゃくちゃ大変でした。締切ギリギリに郵便局にいくと同じように宣伝会議賞に応募する人がいたのも懐かしいです。(森俊博さん)
まだ紙の応募だった時代。締切日の消印を押してもらえる時間ギリギリまで書き、自転車で爆走して郵便局の夜間窓口に持ち込んでいました。(山際良子さん)
20年以上前に2回ほど応募したことがあります。締切当日の夜に郵便局の夜間窓口に駆け込んだのを覚えています。残念ながら入賞は出来ませんでしたが…。(吉岡由祐さん)
応募しようと書くことで自分の非力さが見えた。なにかの真似っぽい。とりあえず書いてみた言葉。語呂合わせしてみた。で、何を考えなきゃいけないんだっけ???そんなループを繰り返すことでも前進してたりします。(米澤克雄さん)
コピーライター4年目に一度だけ応募。3企業に各1本ずつコピーを考えました。結果は一次審査も通らず…。落ち込んで、以来応募はしませんでした。いま思えばたった3本で勝負しようなんて甘かったぞ、と。(李和淑さん)
アイデアの限界を見てみたい!と思い立ち、学生時代に宣伝会議賞に挑戦しました。長期間同じ課題を考え続ければ、いつかアイデアは枯れるものだと思い込んでいましたが、限界なんてないことがわかりました。(押部由紀奈さん)
大学で入りたかったゼミに落ちて、大学近くの書店で『宣伝会議』と出会ってたくさん応募しました。2年目の挑戦でまぐれの協賛企業賞を受賞することができて、自分にもできるのか!?という勘違いを与えてくれました。(小島翔太さん)
新卒で広告代理店に入りたかった。でも受からなかった。自分を落とした人たちを後悔させてやりたい。そんな負の感情が原動力となり、ペンを走らせ続けた。グランプリ受賞作は、そうやって書いたコピーのひとつです。(日野原良行さん)
当時、応募期間中は頭の片隅に宣伝会議賞を置きながら生活していました。手ごたえのあるコピーは、街を歩いている時や入浴中など、日常の中のふとした瞬間に思いつくことが多かったです。(水野百合江さん)
- 「その言葉が、未来を変える。」
- 第61回「宣伝会議賞」応募のご案内
「宣伝会議賞」は、広告表現のアイデアをキャッチフレーズまたは絵コンテ・字コンテという形で応募いただく公募広告賞です。1962年の創設以来、「コピーライターの登竜門」として長年にわたり、若手のクリエイターやクリエイターを目指す方々にチャンスの場を提供してきました。60万点近くの作品が集まる、“日本最大規模の公募型広告賞”として進化を続けています。
協賛企業からのオリエンテーションを掲載した月刊『宣伝会議』11月号は、9月29日より全国の書店、Amazonで発売中です!