(文:古川裕也/クリエイティブ・ディレクター)
Cannes 2023
忘れた頃に申し訳ない。
今さらだけれど、今年はカンヌに関する言説が極端に少なかったので、少し書くことに。
今年カンヌというと、ヴィム・ヴェンダースと高崎卓馬脚本による“Perfect Days”が映画祭の方で受賞したことの余韻が6月にもまだあった。
ほんとに素晴らしい映画で、現時点で2回見たけれど、他のどの映画ともまったくちがう文法でつくられている。
ストーリーや伏線回収だけが映画ではない。とてもリッチな映画だ。
みなさんぜひ。
で。
まだこわごわだった去年とちがって完全復活の年で楽しかったけれど、今年はむつかしい年だった。みな異口同音に今年は取り留めなかったとおっしゃっていました。
ただ、大きな変わり目の前には、必ずいちど茫漠とした時期が訪れる。
歴史が更新されるような何かが立ち現れる時はいつもそうだ。
新しい武器の登場と、それを駆使したアイデアとには当然時差がある。
大きな行き先は、誰かと誰かがどこかの方向にちょっとだけ踏み出さないと誰も気付かない。
A.I.で何とかしようというものはどれも練習中の段階だった。
おもしろかったのは、Cadbury “Shah Rukh Kahn-My-Ad”。
インドでいちばんのセレブリティの顔と声をA.I.で再現。どんなに小さな会社であっても彼を広告で「事実上」使えるようにした。およそ10万の企業が参加したという。ヴァルター・ベンヤミンが『複製技術時代の芸術』を書いたのは1936年。その中で、複製によって芸術からアウラ(オーラです)が失われていくことを予言していたけれど、とっくに剥ぎ取られているセレブリティの“オーラ”を使い倒して、無限に展開できる一種のプラットフォームを構築した。テクノロジーすごい、ではない読後感はセレブリティと広告の関係に対するシニカルな視点とインド的センス・オブ・ヒューモアの力だと思われる。
もう一つは、AB inBev/Stella Artois “The Artois Probability”。
1366年創業のフランスのビール・ブランド。大昔の歴史的絵画に、このビールがたくさん描かれているはずである、という視点からA.I.を駆使して絵画を集めてエキジビションを開催した。これも、テクノロジーがにょきっとしているのではなく、ブランド・ストーリーにA.I.が奉仕している。
2000年代。このブランドは、こってりしたストーリーで毎年フィルム・ゴールドを受賞していた。表現手段が代わっただけで、“Long History”というブランド価値は変わっていない。存在意義は変わらず、表現のありようだけが変化していくのが、ブランディングというものだろう。
セミナー。
予想通りA.I.関連が多かった。Open AIのセミナーでは、人間のCreativityとの関係においてA.I.を“Supercharging Creativity”と定義していたが、コミュニケーションのプレイヤーたちのセミナーでは、リアルなアウトプットを踏まえたものはなく、Accenture Songのように、A.I.投資30億ドル、A.I.人材採用10万人、取得済み特許1万5000件という中間報告など、まだ誰も誇るべきCreative Workまではたどり着いていないようだった。ちなみにNVIDIAから買い物をしようとすると、“国力”順の序列があって、日本企業が買いにいくと半年待ちらしい。
その中で独自の場所を獲得したのが、Dentsu Seminar “Voice of Creativity: The Musical”。
プレゼンターの長久允監督がハリウッドで仕事をするとき必ず言われるのが、“What is your Voice?”という問いかけだという。どんな風に創りたいかの前に、何を創りたいかがあり、さらにその前に、君のVoiceは何なんだ、それをまず聞かせろ、それがなければ、Creativeの仕事は一緒にできない、ということらしい。はじめて聞いた時、とても新鮮だった。A.I.との共存が言われる今とくに。Voiceの日本語訳はみなさんにお任せしますが、要は、「じぶんのなかにあるほんとにほんとのこと」。
ポン・ジュノがオスカーのスピーチで引用したマーチン・スコセッシの有名な言葉、「PersonalなことがいちばんCreativeである」は、このことを言っているのだろう。もろもろ手練手管の進化の速度はすさまじいけれど、個人のリアルな意志から初期設定されてないCreative Workが説得力を持ったことはかつて一度もない。おそらくそれこそが、人間を人間たらしめているものであり、A.I.にはないHumanityの本質のひとつだろう。A.I.が今後どうなるかとかよりも先に、人間側の意志や熱量のようなものからどの仕事も構築していくべきだと思う。そのことをよく体現したセミナーだった。
表現のちから
この期におよんでも、ファイナル・セレモニーで最後に表彰されるのは、Film部門だった。2022も2023も10本程度のFilm Goldを大スクリーンでみんなで見て終わる。そこだけは基本変わっていなかった。
なぜか。
きっとカラダがいい気持ちで終わるからだ。アワードもショウである。
授賞式で流されるフィルムは、2種類しかない。Filmや Craftのような最終形の表現と他のすべてのカテゴリーの応募ヴィデオ。後者は、応募用は2分。セレモニー用は1分以内と決められている。前者は表現。後者は解説。アイデアがどんなに優れていても説明は説明である。
クリエイティブがオーディエンスに特権的に差し出せるのは、快感である。アイデアを説明されて感心されるよりも、体験としては明らかに狭くて深い。見事に問題提起したとか、ソリューションしたとか、役に立ったとかとは、実は違う種目であり、そこには違う力学がある。
去年も感じたことだが、ここを供給してこそのCreative Industryだと、今年は多くの人が感じていたように思う。快感提出装置としてのクリエーティブ。優れたクリエーティブ・ワークの最大の特徴は、アタマではなく、まず身体に届くことである。要は、フェロモンなのだけれど、ここを手放してしまっては、僕たちの仕事のポテンシャルは激減する。思えば、支持されるビジネスには、すべて、パーパスを超えて、フェロモンがある。
解決と構想
2000年代中頃から、カンヌは表現の競争からソリューション中心の時代に変化していった。原因はひとつ。クリエーティブの手段が多様化高度化したから。ブランディングやプロモーション以外のことに、つまり直接的な商業目的ではないことに自分たちの拡張したクリエーティブを使って、新しいところに行けると信じたのだ。そしてそれは、今までにない種類の優れた仕事と、大したリザルトではないけれど、とりあえずもっともらしいケース・ヴィデオで受賞することを目的にした、今から見れば無意味な大量の仕事とを生み出した。
Film、Design、Craft以外のカテゴリーはどれもソリューション・アイデアという観点から審査するようになった。アイデアはいいんだけれど、ほんとに役に立ったの? 証拠見せてね。という競技に変容した。それは同時に大量のスキャムの源泉にもなった。
どのアワードも年に一度行われる。“クリエーティブ=表現”の作品時代は、それがよかった。仕事の流れとアワードとが、体感的にも結果の出るタイミング的にもリンクしていた。
けれど、ソーシャル・ソリューションの時代になり、さらに、新しい問いかけ、課題設定自体を競うようになってみると、1年単位での評価はあまり機能しない。ブランドのちょっとした課題、つまり1年で結果が出るようなレベルでは、さほど意味がないという現実に突き当たることになった。5年、10年という時間をかけなければ、環境の問題にせよ、ダイヴァーシティの問題にせよ、ほんとうに社会的意味のある仕事は不可能だ。
それが、現状のアワード・システムの限界であり、そこをラディカルに変革しない限り、「実」のあるCreative Workの評価はむつかしい。
一方で、今年はソリッドなソリューション・アイデアでいい仕事も多かった。
誰のどんな困難を解決するのか明解に限定されている仕事である。
例えば、Adlam “An Alphabet to Preserve a Culture”。
口語だけの言語しか持たないフラニ族が開発した文字をオリジナルのフォントとしてマイクロソフトがデジタル化した。つまり、ひとつの民族が言語を持ったのだ。どういう状況の人たちがどういうふうにポジティブになったかが明解なアイデアだ。
例えば、Music Vibe “Blind Seats”。
コンサートでどうしても発生してしまう視界の悪い席。P-1とか、Q-47とか、間に柱があるとかですね。
そのシートを視覚障碍者に提供するというアイデア。
ダイヴァーシティの本質であるところの、地球で行われているあらゆる営みにできるだけ多くの属性の人たちがノーストレスで参加できるようにするための見事な仕事だった。
Apple “The Greatest”も同じ思想とコンテキストであり、それがAppleの機能訴求であることにリアリティがある。同じAppleのCM “R.I.P. Leon”も同様で、機能によってカルチャーを再創造しようという意志が感じられた。
ソリューション・アイデアがやっとリアリティにたどり着いた、あるいは、そうでないと意味がないとみんなが正確に認識したということでしょう。
意義のある大きな課題設定で結果が出るまで時間がかかるもの。エージェンシー・クリエーティブが今後やらなければならないことのひとつだが、それをいつ褒めるのか。リザルトまで10年かかるとして、それまで我慢するのか。むしろNo Resultの初期の構想段階で見て、よければそこでエンカレッジしてもいいのではないか。という問題が当然出てくる。SolutionではなくConception、解決ではなく構想という視点が必要ということだ。受賞によって初期段階で認知されれば、その後大きな果実に結びつく可能性も高くなる。それもカンヌの機能のひとつだろう。
今年で言えば、チタニウム・グランプリのツバル政府 “The First Digital Nation”。あるいは、ビジネス・トランスフォーメーション・ゴールドの日本経済新聞社 “Nikkei Well Being Index”。
どちらも、現時点では大きな構想と座組があり、何年も先にカタチになるようにプロジェクトをスタートさせたという段階だ。どちらもリザルトはない。カンヌに詳しい人ほど、ざわっとするだろう。けれど、この手の仕事は、実はエージェンシー・クリエーティブがよく機能する。アイデアとエクゼキューションもそうだが、アライアンスなしでは成立しないからだ。ジャーナリズム、アカデミア、国際機関など、社会的信頼度と能力の高いところを自分たちのチ―ムに招き入れるべきだろう。このあたりの方法は今後我々の主種目のひとつになっていく。そこにあるのは、ある種の大きくて闇雲な魅力のある仕事である。すぐには完成しない。けれど意義がある。そう言えば、いわゆるパーパスも背伸びしていないものは魅力がないではないか。
アワード全体の設計は、むしろクライテリアを複数設定して、そこからカテゴリー分けしたほうがいいのではないだろうか。従来の「イッシュー→アイデア→ソリューション」というリザルト重視のおそらく大所帯になるカテゴリー群。それと「リザルトを問わない構想の意義とスケールを評価するもの」。と、Film、Craft系に代表される「説明なしのクリエーティブ表現」。リアルなソリューション、大言壮語、圧倒的クオリティ。この3つのクライテリアをベースにカテゴリーを再構築した方がいいように思う。
昔。前チェアマンのテリー・サベージから毎年、新しいカテゴリーを何にしたらいいか相談を受けていた。スポーツ、ゲーム、ビジネス・ソリューション、Start up、など、ま、てきとうに答えていた。スポーツはクリオに先にやられたからいやだとか、いろいろ言っていて、その後時間はかかったが、ほとんどカタチになっている。インダストリーを牽引するポテンシャルがあって、人とお金が集まることをクライテリアにしているようだった。
けれど、もはやそういうことでもなかろうに。横に拡張して、しかもどのカテゴリーも「イッシュー→アイデア→ソリューション」という方程式で評価するのは、逆にCreativityをせまいところに押し込めることになる。
横ではなく、縦に伸張する。重要なのは高さと深さだ。僕たちは、僕たちのインダストリーが、何を、どこまで、どのようにできるのかを世の中に証明するプロセスにいるのだ。ソリューションだけが僕たちの仕事ではない。
受賞したアイデアは誰のものか
ソリューション、リザルト、社会の役に立つという観点で言うと、2023一等賞は、Korean National Police Agency “Knock Knock”だろう。DV被害を通話なしで伝えられるシステム。これを見た誰もが、「世界中で即やればいいのに」と思う。行政がオフィシャル・ツールに採用したことがミソ。いたずらが多そうだけれど。
もうひとつ挙げるとすれば、南アフリカのスーパーマーケットのMakro “Life Extending Stickers”。時間が経過して熟していくに従い変色してしまう野菜や果物などの食材に、その段階に適したレシピのシールを添付してフードロスをなくすというアイデア。
どちらの仕事も、アワードを超えて、世界中にそれぞれカスタマイズして実際に採用されるべきポテンシャルがある。それでこそ本当に意味のある仕事になる。これも、1年2年というタームのお題ではないだろう。このアイデアの原作者は海外展開するときむしろ何もせずに、世界のデファクトになっていくのを見守るだけでいいのだ。いわゆるSocial Goodのなかで、ほんとに意味があり実装・展開できるものこそ価値がある。もはやアワードに閉じ込めるべきではない。誰かが考えたいいアイデアがあれば、そこに上書きしてより有効なプロジェクトにしていくというコースがあってもいい。『ロメオとジュリエット』を『ウエスト・サイド・ストーリー』が上書きしたように。『隠し砦の三悪人』から『スター・ウォーズ』のキャラクターがうまれたように。オリジナリティという罠から少しだけ自由になって、より社会的意味のある仕事も視野に入れるべきだと思う。
カンヌを受賞したソリューション・アイデアは、受賞した以上、創り手のものであることを超えて、みんなのものへと成長させていくべきだろう。
Professional/Human-being
クリエーティブの仕事は技術職である。高度な特殊性が必要である。けれど、今はそれ以前に、「人類のひとり」であるという視点から仕事に入ることが重要だと思われる。人類的目線という俯瞰と一個人という小さなパーソナルな存在との両方の立ち位置が必要。人類のひとりという目線で立ち向かい、個人の実感(Voiceですね)をベースにアイデアを立ち上げ、クリエーティブ・パーソンとして創り、その果実を社会に共有、展開していく。
日経の“Well Being Index”は、日経役員の方の「GDPに代わる新しい指標を考えたい」という問いかけから始まった。すでにそのころ、ニュージーランドのアーダーン元首相が、「GDPを重視して国を運営していくのはナンセンス」と言及していた。そこから、Wellbeingという概念を設定し、GDWという新たな指標、大学、企業などの座組、具体的取組というところまでたどり着いた。
これも、「こういうものがあったらいいのに」という個人から出発している。セミナーのところで述べたVoiceからすべて始まっているのである。人類のひとりとしての個人的な視点、疑問、希望などから、闇雲で大きな構想、あるいは妄想を描くこと。要は、自分たちを出発点にすること。そして必ずしも1年でリザルトしようと思わないこと。時間をかけてちゃんと実装すること。うまくいけば、世界中とシェアして展開すること。さらには、そのプロセスの中で、また新たなVoiceや問いが生まれるだろう。今までよりひとまわり大きな視座と、長い射程をカンヌに加えていくべき時期にあると思う。
来年は、A.I.とインダストリーとの関係値をめぐる仮説が具体をもって、僕たちの目の前に現れる年になる。
新しさも。有効性も。楽しさも。高さも。大きさも。
どれもカンヌには不可欠な要素だと思う。
そして、たくさんの褒め方があるのがカンヌのいいところだ。
古川裕也(ふるかわ・ゆうや)
古川裕也事務所
代表取締役/クリエイティブ・ディレクター
クリエイター・オブ・ザ・イヤー、カンヌライオンズ47回、D&AD、OneShow、アドフェスト・グランプリ、広告電通賞(テレビ、ベストキャンペーン賞)、ACCグランプリ、ギャラクシー賞グランプリ、メディア芸術祭など内外の広告賞を400以上受賞。2020年D&AD -President’s Awardをアジア人で初めて受賞。2013年カンヌライオンズチタニウム・アンド・インテグレーテッド部門、2005年2014年フィルム部門、クリオ審査委員長、ACC審査委員長など、国内外の審査員多数。D&AD President Lectureなど、国内外の講演多数。日本人で初めてD&ADアドヴァイザリー・ボードに就任。主な仕事に、九州新幹線全線開業「祝!九州」。ポカリスエット「ガチダンス」シリーズ、「Neo合唱」「でも君が見えた」。GINZASIX・ローンチキャンペーン。森ビルブランド・ムービー「Designing the Future」。リクルート「すべての人生がすばらしい」。グリコ「Smile!Glico」キャンペーン。民放連「人類はオリンピックを発明した」。KIRINサッカー日本代表応援キャンペーン「香川真司・応援する者」。宝島社「死ぬときぐらい好きにさせてよ」「嘘つきは、戦争の始まり。」「最後は勝つ。上がダメでも市民で勝つ。」「暴力は、失敗する。」「団塊は最後までヒールが似合う。」。Asics「ぜんぶ、カラダなんだ」。日本経済新聞社「NIKKEIUNSTEREOTYPE ACTION」Sayonara国立イベントなど。ブランド・コンサルティング、クリエーティブ・コンサルティング、商業施設のクリエーティブ・ディレクション、アーチスト・プロモーション、企業内セミナー、ワークショップ講師などを手掛ける。著書に『すべての仕事はクリエイティブディレクションである』(宣伝会議)。