【前回はこちら】X世代の価値観やニーズをエゴ・マーケティング視点で分析する
この連載の反応をいただけて嬉しい限りです。まったくの仮説である「エゴ・マーケティング(以下、エゴマ)ですが、第1回から第6回の連載を通して私たち二人の脳みそもまた少し活性化されてきています。
最終回となる今回は、エゴマを提唱していこうという意気込みの母体である「エゴラボ」の展望を二人の対談形式でお伝えします。
エゴは恥ずかしいことではない
青谷:宣伝会議さんにはまだ仮説の入り口でしかない「エゴマ」の連載をさせていただき本当に感謝しています。また、このような未熟な「エゴマ」に反応していただいたことはありがたい限りです。特に、第3回の「なぜ人は映えを求めるのか?」では多くのご意見をいただきました。
明海:本当にありがたいですよね。第3回は特に身近は「映え」だったので共感もしていただきやすかったのかもしれませんね。あと、第4回の「パーソナルブランディング」も反応をいただきました。
青谷:まだ自分たちもエゴマをカタチ化できていないからしょうがないですけど、わかりやすくしていくことが大切ですね。
明海:そもそも私たちが導出した「ポジティブなエゴ」は、私たちの世代の生活環境が安定から不安定に移行しているなかで、「エゴをむき出しにしている人の方が幸せそうに見える」ということから着想したことでした。
ただ、エゴにはポジティブとネガティブがあり、この時代、ポジティブなエゴって周囲を巻き込むエネルギーになるそうな気がする一方で、すでに社会には「ポジティブなエゴ」を受け入れる土壌が出来上がりつつあると。
青谷:そうですね。確かにITによって個人のヒトとしての機能が拡張していることは間違いなく、個人ができることの範囲が広がったよね。そういうなかで、これまで「エゴ」ってネガティブでそれを表出するのは恥ずかしいことのような感じがしたのだけど、若い世代は「エゴサ」って言葉を平気で使っているし、YouTubeだって、Instagramだって正直言えばエゴのオンパレードで、それを覗いている側も楽しんでいる現実がありますからね。
そういう意味ではそのようなツールを使いこなしているかいないかで「情報格差」は生じてくるのは必然です。ユーチューバーのなかには、自分の生活を晒して視聴回数をかせいでいる人もいて、また家族がそれを応援して、始まりはユーチューバーのエゴだったのだろうけど、結果的に家族や周囲の友達に幸せをもたらしているかもしれないって思います。
1人のエゴから新しい需要が生まれる
明海:なるほど……YouTubeの「1分間喧嘩するコンテンツ」、あれなんかはまさにエゴな人たちを集めてコンテンツ化して、集まった人たちもいいことあるし、集めた側の主催にもいいことがあって、面白いから視聴者もいいことがある、っていうエゴマ的な観点から言わせてもらうと秀逸なマーケティングになっていて、実は三方よしなわけです。素晴らしいマーケティングのモデルなのではないかと感じています。
だから、エゴを満たすことは究極、人を幸せにするマーケティングになるのではないかと……(笑)。
青谷:エゴというニーズに対するアプローチですよね。そのエゴはきっと深層心理に近くて、例えば、「高級旅館」っていうカテゴリーは、提供価値として「素晴らしい食事」「みごとな温泉」「快適な空間」みたいなことがパッケージになっているのが当たり前だったはずなのだけど、きっと「俺は食事はいらないよ!」っていう顧客がいて、それは旅館側からすれば、一人のお客さんのエゴなのだけど、実は結構なニーズになっていたりして、某旅館は旅館でありながら宿泊と食事をセパレートして成功したという話があったりします。
サービスの提供側からするとそれは顧客のエゴでしかないけど、消費者側からするとニーズなのだってことは多分にあると思います。
エゴマはコンセプト?
明海:その見方は面白いですね。そう考えるとエゴはニーズの発掘の切り口になって、エゴマはマーケティングの手法というより「エゴマ」というコンセプトだと理解したほうが腹落ちしますね。
ずいぶん昔の話ですけど、「経験価値マーケティング」っていうものが一時期話題になりました。その提唱者のシュミットさんが来日されて講演も聴きに行ったけど、印象に残っている話が「高級ホテルのバスルームに黄色のアヒルのおもちゃが置いてある」……これが経験価値マーケティングだって。
正直、「えっ!なにそれ」って思いがあったのでけど、今考えてみるとそれ以降、「体験価値」とか「ユーザ―体験」とか言われるようになって、あれが原点だったのかな?と思います。だから「体験価値マーケティング」は決してマーケティング手法の話でなく、きっとマーケティングのコンセプトだったのだと今更理解していて、「エゴマ」もそれに近いのではないかと思うわけです。
青谷:たしかに「エゴマ」は、いわゆるマス・マーケティング、デジタル・マーケティングなど〇〇マーケティングと言われているものとは違うニュアンスで捉えるべきだと私も思います。そうですね、確かにコンセプトとして位置づけ、そこに別の軸を掛け合わせて実態のマーケティングにしていく、そのようなことかもしれません。だったら、エゴラボはそのインキュベーションにならないといけないのかも。
明海:エゴラボとしては、やっぱり今の仮説をもっと鮮明にして検証するようなことをやっていきたいですね。多少なりともエゴマ・モデルとかを提唱できるようにはしたいですまた、もしかしたらエゴのタイプ化も試みられたらおもしろいですよね。例えば、「タイプA:社会共存型エゴ」とか。それと世代特性を掛け合わせることで対象にしたカテゴリーのニーズが浮き彫りなるような……誰か一緒にやってくれる人いないですかねー。やっぱり仲間が欲しいですね。
アラ還の夢広がる
青谷:そのためには、仮説の段階ででも情報発信をしていかないといけませんね。今回の連載はその意味では狼煙になるのかな。エゴラボとしては、エゴマのネタを発信して賛同者を増やしていく活動をやるべきだと考えています。まずは、Facebookに「エゴラボ サロン」をつくったのでそこを活発化させていきましょう。
明海:そこに数名でも共感しあえる人が集まったら情報も増えるし、きっとネットワークも拡大していく。宣伝会議さん、サロンのメンバーになってくれないですかね(笑)。そうしたら、ちゃんと理論の筋道をつくり書籍も出版もしたいです。あと、パーソナルブランディングに関しては、エゴラボメソッド的に切り出して、研修をするなんてことも考えられます。ブランド論で考えれば、HR系には劣らないはずです。
青谷:できれば、サービスやコンテンツの実業にも発展させたいですね。自分たちが主体になってエゴマを実践して実証する、そこまでやることを60歳を超えての楽しみにするのはとても贅沢な話ですよね(笑)。
明海:結局、エゴマやエゴラボは、私たち二人の「エゴ化」の産物ってことなのですね(笑)。
還暦を目前にした二人の会話はこのあとも続きました。が、宣伝会議の編集者に怒られそうなのでここまでにしておきます。エゴラボ、ご興味ある方はぜひご連絡をお待ちしております。
注)エゴラボ サロンのアクセス先は本コラムのプロフィールページに掲載しています。
※連載「エゴマ?という新しいマーケティングの潮流」は今回で終了です。ご愛読ありがとうございました。