吉原若菜(Wakana Yoshihara)さん
職業:ヘアメイク・デザイナー
拠点:ケント、イギリス
「撮影」と「母親」が両立できるよう、スケジュールや時間を調整
——ワカナさん、貴重なお時間いただき、ありがとうございます。改めまして、どのようなお仕事をされているのか教えてください。
こんにちは!イギリス・ケント在住のヘアメイク・デザイナーです。主に映画やテレビシリーズの仕事をしています。
代表作としては、2021年に公開された『スペンサー ダイアナの決意(原題:Spencer)』と『ベルファスト(原題:Belfast)』は共に米アカデミー賞にノミネートすることができました。『マーベルズ(原題:The Marvels)』は日本でも公開中です。
▼映画『スペンサー ダイアナの決意』
——ワカナさんご自身、米国アカデミー賞の会員になられましたね。おめでとうございます!日本人でここまでの世界トップレベルで活躍されている方は少ないかと思います。
ありがとうございます。とても嬉しいことに、『ベルファスト』と『スペンサー ダイアナの決意』どちらもノミネートされたため、アカデミー賞を主催する「映画芸術科学アカデミー(AMPAS)」の方々から会員としてのご招待をいただけたのだと思います。
——キャリアについてもたくさん聞かせていただきたいのですが、ワカナさんのインスタグラムのプロフィールに「Mother of two」(2児の母)と書かれているのを拝見しました!私も子供がいるんですが、「撮影」と「子育て」のバランスの取り方に日々悩んでおりまして…。
私も日々悩んでいます!さまざまなお仕事のオファーはいただくのですが、今は「この監督とお仕事したい!」とか「こういう作品をつくりたい!」という風に仕事を選ぶことはあまり出来なくて、「お母さん」でいることと「撮影のお仕事」、このふたつのバランスが取りやすそうな、そういうお仕事の選び方を今はしています。
子供は二人いて、今5歳と8歳なんですけど、子供が一人前になるまでは、できるだけイギリスでの撮影を中心にやらせてもらっています。
——具体的に今はどのぐらいのペースで?
その年によってですけど、2年ぐらい前に映画『マーベルズ』というヒーローものの大作をやらせていただき、その時は準備期間が3ヶ月、撮影期間は4、5ヶ月でした。大体映画一本、トータルで7ヶ月掛かりますので、スケールが大きい作品ですと年に1本ですかね。
小さいインディペンデントの映画ですと、準備期間は1ヶ月半で、撮影は8~9週間ぐらいで終わるので、年に2本やったりしています。映画『スペンサー ダイアナの決意』もそうでした。バランスを見て調整していますね。
——去年はトム・ヒドルストンさん主演のTVシリーズ『ロキ(LOKI)』のシーズン2もやられていましたが、こちらはどういう経緯でお話が来たんですか?
昔トムさんとお仕事をご一緒させていただいて、それから何度かお仕事のオファーを頂いていたのですが、スケジュールが合わず、ずっとご一緒できなかったんです。今回『ロキ』シーズン2がイギリスで撮影することになったときに、またお声がけをいただき、やらせていただくことになりました。
——TVシリーズということで、こちらは長期の撮影でしたか?
6エピソードのミニシリーズでしたので、撮影期間も5ヶ月弱、そこまで長くはないほうでした。でもちょうど子供の夏休みと被ってしまってたんですよね…。子供の夏休みが7月から9月の上旬までで、『ロキ』の撮影期間が6月から10月までで。その前の年は『マーベルズ』を撮っていたので家族の夏休みに私だけ参加できなかったので、「家族と一緒に夏休みを過ごす」というのが私の中では2022年の最優先事項でした。
▼映画『マーベルズ』
——ピンチですね。どうされたんですか?
『ロキ』のオファーをいただいた最初の時に「子供が夏休みの時はパートタイム(短時間労働)でもいいですか?」とプロデューサーに聞きました。もちろん準備期間はしっかりやって、デザインもして、チームも構成しました。すると先方からOKはいただけたので、8月からはパートタイムで、週2でスタジオに行かせていただき、あとは電話やビデオ通話でやりとりしたり、チームに受け渡して対応できました。結果、奇跡的に『ロキ』と家族の夏休みにも参加できました!
▼TVシリーズ『ロキ』シーズン2
——すごい。条件として最初に提示されたんですね。海外でもハードルが高いというか、なかなか出来ることではない気がします。
自分の「わがまま」だと自覚はしているんですが、私は子供を産んだときから「仕事は続けたい」と思っていました。旦那さんはもともと映画のプロデューサーをしていて、とても子煩悩で、私の仕事に対して理解をしてくれる人です。「両方が映画をやっていたら、子育てはきっと無理だから」ということで、いま我が家は入れ替え体制で、私の仕事のスケジュールに空きができたら、彼がTVコマーシャルなど短期の仕事を入れています。
でも「撮影」って理解あるパートナーじゃないと成り立たないお仕事ですよね。この業界では特に撮影現場で働いているお母さんは少ないと思います…。たまに現場でいらっしゃいますけど、そういう方に会えたらやっぱり話題として盛り上がります。「どう両立してる!?大丈夫!?」みたいな(笑)。
デレク・ジャーマンの本と出会い、イギリスへ
——自分も悩んでいるのでそのようなサクセスストーリーを聞けてとても励みになります。少しお話しを戻しますが、ヘアメイクに興味をもったキッカケはありましたか?
キッカケは二つあって。私自身、四人兄弟で、女子が私ひとりだけでした。だから幼少期、髪を切る時はいつも四人一緒に床屋に連れて行かれ、兄弟と同じようにバリカンで切られていたので、その頃から床屋ではない「美容室」という場所に憧れていました。そして中学生の頃にお小遣いを貯めて初めて美容室に行き、美容師さんに素敵にカットもしていただいて、すごく心が癒やされたことを覚えています。
もう一つは、絵画教室に通うぐらい絵が好きだったんですが、先生から「絵描きの道一本で生活するのは大変だから、他のことも一緒にするといいよ」というアドバイスをいただきました。先生自身、学生の頃に美容院でアルバイトしていたので、「美容師」になることを勧めてくれて、美容師になりたいなと思うキッカケになりました。
——それからすぐ美容師の道に?
当時中卒で美容師になれる時代でしたので、中学を卒業し高校へは行かず、美容学校に入学する決意をしました。親からは猛反対されましたね…。けれど、美容師になって世界を見て行きたいという思いはとても強かったので、結局反対を押し切って行かせてもらいました。
——では何歳ごろ就職されたんですか?
15歳で、実家の近くの美容院に就職しました。最初は当然ながら毎日練習漬けですので、朝8時から夜7時までお店で仕事をして、閉店後、夜10時ぐらいまで練習して、翌朝の8時にはお店に戻って、という生活でした。若い自分にとってキツかったですね。「もうやっていけないかも」と思ったりすることもあって、手も足もボロボロでした。そういう日々があったので18歳の時には一人前の美容師になっていたんですが、内心「これで私の一生を終わらせるのはちょっと寂しいな…」という思いがありました。
——自然に視野が少しずつ外へと。
はい、それも美容師の傍ら、当時趣味でダンスもやっていたんですよ。ヒップホップを踊っていたので、ダンス仲間の髪の毛を「ドレッドロックス」や「エクステンション」したりしていました。趣味でやり始めたんですが、段々と上達していき、色々な人からお願いされるようになりましたね。美容院で日々作るスタイルとはまた違ったので、それがとても楽しくて。「もっと色々なことを勉強したい」と思うキッカケにもなりました。
そして18歳の頃に、当時働いていた美容院からシドニー旅行をプレゼントしていただいたんです。英語は全く話せなかったんですけど、気合いや笑顔で現地の人と会話したり、友達ができたりする内に少し自信が湧いて、今度は「真剣に言語を学びたい」という気持ちになりました。そして19歳になる前にお仕事を辞めて、それまで貯めていた貯金でイギリスへ飛びました。
——英語圏の国の内、なぜイギリスへ?
デレク・ジャーマン(Derek Jarman)というイギリスの映画監督・舞台デザイナー・アーティストの方がいたんですけど、その方の本で『デレク・ジャーマンズ・ガーデン (Derek Jarman’s Garden)』という素敵な本があって。イギリスのダンジネスという町に閉鎖された原子力発電所があり、彼はその近くにインスタレーション・アートのような庭を作るんです。「こんなところにそんな植物は生えないよ」って言われたものを彼は育てていくんですよね…。18歳のときにその本に出会い、すごく感化されました。
——18歳の頃のセンスとは思えないですね…。渡英後はどのような生活を?
研修という形で現地の美容院で働き始めたんですが、英語があんまりだったので、お客さんの想像と違った仕上がりになったりして、結構クレームとかもありました(笑)。「美容院で働くにはまだ早いかな」と思い、美容師は一旦辞めて、古着屋さんで長い期間バイトをしていました。その間に言語を上達させ、また美容院に戻りましたね。
——美容師からどのようにしてヘアメイク・デザイナーに?
当時一緒に住んでいた家のシェアメイトが、衣装スタイリストのアシスタントをしていて、たまに人手が足りない時に彼女について行き、現場で手伝っていました。縫ったり、ボタンをつけたり、アイロンをかけたり。ある現場について行ったら、ヘアができないメイクさんがいらっしゃって、プロダクションが凄くヘアにこだわっていたので彼女がすごく困っていたんですよね。私の友達が「ワカナは美容師だから彼女にやってもらったら?」って言ってくれて。その場で道具をお借りして、ヘアをやらせていただいたら、そのメイクさんが気に入ってくれて、彼女からヘア・スタイリストとしてのオファーをいただけるようになりました。
——では自然な流れでメイクも?
「ヘアメイク・アーティスト」として仕事はしていたんですが、段々「一回ちゃんと勉強しないといけないな」と思うようになり、テレビや映画のヘアメイク専門の大学に通いました。通いながら、ミュージックビデオや短編映画など、小さなお仕事をやり、繰り返しているうちにご縁があり、ロバート・パティンソンさん主演の『サマー・ハウス』という短編映画のお仕事をいただき、その現場で出会った方々から色んなお仕事に繋がりました。
それからは「来たもの拒まず」の精神で、「ヘアメイク・アーティスト」としてキャリアを積んでいきました。繰り返しているうちに、ヘアメイク部門の「スーパーバイザー」や主役の方の担当としてお仕事をするようになり、最終的にはヘアメイク部門を牽引する「ヘアメイク・デザイナー」という役割も分かるようになり、作品のヘアメイクを「デザイン」する側になっていきました。
台本を読みながら、主人公の世界観を「ムードボード」にまとめる
——デザインする時、ワカナさんはどのようなプロセスで進めていますか?
まず台本を読みながらメモを取り、主人公や重要キャラクター、あとはその映画の世界を自分の中で想像して構築していき、「ムードボード」にまとめていきます。例えば、主人公が1970年代のお医者さんだとして、彼はあまりお友達がいなく、結構古風な人で、昔の小説を読んだりするお医者さんだとします。彼をデザインする場合、その映画の時代背景に忠実に合わせるのではなくて、彼自身が憧れるような1950年代のお医者さん像を見つけて、彼のイメージを作っていきますね。画像、スケッチや資料などを使って「ムードボード」を作っていき、監督と会話をする前に自分の中で仕上げていきます。
そうしないと、監督に自分の考えが分かってもらえないし、その逆に監督がどうしたいかということも引き出せないんですよね。何か「イメージ」を持っていけば、それに対して好き嫌いが分かるから、方向性が定まります。でも手ぶらでお話しに行ったら方向性は決まりにくいです。
監督と意見が一致してから、俳優さんとお話しします。俳優さんの大体8割の方は「イイね、これ」と賛同してくれますが、2割ぐらいの方は「こういう風に考えていたんだ」「私には似合わない」など、フィードバックをいただくので、それからムードボードをさらに修正していきます。「彼女は赤毛じゃなくて金髪がいいんだって」と、監督にフィードバックを持っていき、その時に「でもこういう金髪にしたら品がある金髪になるんじゃないか」と自分のリサーチやアイデアを提案したりします。いかに監督を安心させられるかですよね。もちろん衣装デザイナーの方とも並行して進めていかないといけないので、本当にデザインはコラボレーションです。
——ケネス・ブラナー(Kenneth Branagh)監督とよくご一緒されていますが、監督の信頼を得たり、「またこの人と仕事したい」と思わせるのには何が大切だと思いますか?
そう思わせるために仕事はしていませんが、作品づくりには一生懸命取り組みます。強いて言うなら、私は仕事が速いのかなぁ…。フレンドリーなときはフレンドリーですけど、黙るときは黙ってテキパキと手を動かしていますね。お話し好きな役者さんをヘアメイクする場合は、聞き手に回って話を1、2分で盛り上げて、その後は「あっ、じゃあメイクするからちょっと待っててね」と音楽をかけて、集中できる空気をつくります。現場ではメリハリを。そのあたりが一番評価されているのかもしれません。
▼映画『ベルファスト』(ケネス・ブラナー監督作品)
——名優ジュディ・デンチ(Judi Dench)さんなど、名だたる著名人とお仕事する上で何か意識されていることはありますか?
意識していることは、常に「正直」にいることです。例えば、どんな著名人でも、似合わないと思ったら「ごめんね、似合っていないね」と本人にちゃんと言います。本人の趣味を優先して自分の意見はできるだけ言わないやり方もあるかと思いますが、どちらかといえば私は本人が欲しいものはあまりあげないほうかと思います。その代わり、できるだけ自分がやりたいことをしっかりと伝えて、相手が信頼してくれるまで、お互い寄り添えるまでコミュニケーションをとることを大事にしています。もちろん、大スターですと意志の強い方もいらっしゃるので「私はこうしたい」と主導権を握られてドライブされそうになりますが(笑)、そういう時は油断せずハンドルを握り返して、一緒にドライブを楽しめるよう意識しています。
——最後に、世界で活躍したいと思っている若手のデザイナーの方々にアドバイスをお願いします!
日記をつけてみてください。スマートフォンではなく手書きで。私は小学生の頃からずっと日記をつけているんですけど、今でも仕事用に思いついたデザインやアイデアを書いたり、ギャラリーに行った時に感動した作品などは書き留めます。書くことによって自分の頭の中に入っていきますし、日記をまた見返して「どういうところで感動ししたんだろう?」と、家に帰ってその作品やアーティストについて調べたりします。与えられたものを学ぶのではなくて、自分の興味を持ったものに対しての教養を自分で深めていくことってすごく大切だと思います。日常の感動や考えを記録することで、自分を振り返ることもできます。私は仕事や子育てで悩んだ時に、10年前の日記を読んだりします。色々な経験をして、色々なものを持ってしまうと、今ある幸せを忘れてしまいがちですが、日記はそんな自分の成長や変化を気づかせてくれます。
とくに私たちの仕事は「揺らぎやすい」というか、電話一本Eメール一通で人生がすぐ変わってしまうじゃないですか。そういう時にうまく立ち回れるように、「自分」をしっかり持っていることは大事だと思います。今の若い人たちはSNSなどを通してたくさんの情報がある中で「自分」を作ることは本当に難しいんじゃないですかね…。情報は入ってくるけど手元には何も残らない状況。なので私は日記が良いんじゃないかなって思うんです。ぜひ試してみてください。
吉原 若菜・WAKANA YOSHIHARA さん
イギリスを拠点に活動するヘアメイク・デザイナー。
- 主な作品
- ・映画「Spencer」(2021) ー 第94回アカデミー賞主演女優賞ノミネート。
- ・映画「Belfast」(2021) ー 第94回アカデミー賞脚本賞を受賞、そのほか作品賞・監督賞などノミネート。
- ・映画「The Marvels」(2023)
- ・TVシリーズ「LOKI」(2023)
- ・映画「A Haunting In Venice /名探偵ポアロ:ベネチアの亡霊」(2023)
- タイムライン
- 1980年 東京都に生まれる
- 1996年・15歳 美容師学校に進学・都内の美容室に就職
- 1999年・18歳 イギリスに移住
- 2001年・20歳~ イギリスで美容師として活躍しながらMV撮影などに参加
- 2005年・24歳~ ロンドン芸術大学入学、パフォーミングアーツ(ヘアメイク)専攻
- 2006年・25歳 映画『最終目的地/原題:The City of Your Final Destination』のアルゼンチンでの撮影を機に休学
- 2007年・26歳~ ヘアメイク・デザイナーとして活躍し始める
- 2016年・35歳 映画『シンデレラ』で「Guild Awards」受賞
- 2021年・40歳 「British Independent Film Awards」「Gold Derby Film Awards」ヘアメイクデザイン賞ノミネート
- 2022年・41歳 「映画芸術科学アカデミー(AMPAS)」に加入
- Website: wakanayoshihara.com
- Instagram: @wakana_yoshihara