広報・広告・アートの第一人者が集結、米国プロパガンダ組織の仕掛け人

ウィルソン大統領の下、広報委員会(CPI)を統括

写真 プロフィール ジョージ・クリール(George Creel、1876-1953)
ジョージ・クリール(George Creel、1876-1953)
PhotoQuest/ゲッティイメージズ

ジョージ・クリールは、カンザスシティやニューヨークで新聞記者として働いた後、新聞社の経営を手がけていました。彼は、マックレーカー(官僚らの不正を暴く記者)としても活躍し、ロックフェラー家の企業経営や同家の広報エージェントを務めたアイビー・リーの手法を批判しました。

また彼は、1916年の大統領選挙でウッドロー・ウィルソン候補を支持し、勝利したウィルソン大統領の信頼を得ます。

アメリカが第一次世界大戦に参戦したのは、連合国側に加盟しドイツに宣戦布告をした1917年4月6日です。その1週間後、ウィルソン大統領はアメリカの参戦を正当化し、国民の支持と支援を盤石なものとするために、プロパガンダを推進する専門組織として、広報委員会(CPI:Committee on Public Information)を設立。クリールを共同委員長に任命しました。

CPIは、別名「クリール委員会」と呼ばれていますが、ウィルソン大統領にCPI設立を提起したのは、大統領顧問を務めていた、ジャーナリストのウォルター・リップマンだと言われています。リップマンは、大統領に対して「政府直轄のニュース機関」の設置を強く勧告しましたが、彼自身はCPIへの参画を固辞しました。

広報・広告・アートの第一人者が集結

写真 CPIは多種多様なポスターを製作し、全国に掲示した
CPIは多種多様なポスターを製作し、全国に掲示した(2015年にニューヨーク市図書館で開催された特別展より。筆者撮影)。

CPIは、参戦に向けてプロパガンダを用いて世論を誘導するために国家的規模で活動した、過去に例のない組織です。CPIの設立をウィルソン大統領に進言したリップマンは、大統領の期待に応えるべく、プロパガンダに関する専門知識を有する候補者を官民双方からリストアップし、その中にクリールが含まれていました。

クリールは前述したように、政府の腐敗や当時の巨大企業の行き過ぎた経営を徹底的に批判する「刑事ジャーナリスト」として、その存在感を強めていました。

また、ジャーナリストとしての経験から、世論の重要性をいちはやく理解しており、国内の進歩派ジャーナリストとの関係を通して、オピニオンリーダーとなりうる人たちと親交がありました。彼には、戦争反対を掲げるリベラル派に対して、政府の戦争政策との間の調整役としての役割も期待されていました。

CPIの広報担当にはカール・バイヤーエドワード・バーネイズ、広告にはジョージ・バッテン、ウィリアム・ジョーンズ、クリエイティブ部門にはチャールズ・ギブソンと、当時の広報・広告・アート分野の第一人者が参加しました。しかし、アイビー・リーは不参加でした。

CPIが行った主な活動は次の通りです。

  • 国内新聞社に対するプレスリリース配信
  • 新聞や雑誌に国債購入、志願兵募集などの広告掲載を依頼
  • 国内に国債購入、志願兵募集などのポスターを掲示
  • 人の集まる場所で4分間スピーチ(フォー・ミニット・マン)を実施
  • 国内ラジオ各局でのプロパガンダ番組の放送
  • プロパガンダ映画の製作と上映
  • 国内の非英語圏市民に対する広報活動の実践
  • 海外事務所開設(主にヨーロッパ)と、現地でのプロパガンダ活動の実践
実データ グラフィック 「フォー・ミニット・マン」
人の集まる場所で4分間のスピーチをする「フォー・ミニット・マン」には、主に地元の名士が任命され、映画館や教会の前で政府のメッセージを大衆に簡潔に伝える役目を務めた。

国家的なプロパガンダを主導するも、当人は否定

1918年11月のCPI解散後、クリールはCPIを総括する『How We Advertised America』を著しました。この中で、彼は「CPIの活動はすべて、一般的な広報の企画実践である。それらは世界最大の広告活動であり、プロパガンダではなかった」と、自身はCPIのプロパガンダ手法を先導しなかったと述べていますが、リップマンなどから事実と異なるとして批判を受けました。

ちなみに、日本人で初めてクリールに書簡を送って師弟関係を築き、プロパガンダに関する直接指導を受けた小西鐵男氏が、1929年に出版した自著『プロパガンダ』(平凡社)のなかで、「プロパガンダは、甚だもって正体の知れない怪物である」(p25)と述べています。

CPIの組織的な活動やプロパガンダの手法は、現在も政府から企業の広報に至る様々な分野はもちろんのこと、私たちの生活に多大な影響を与えています。

 


広報豆知識(Public Relations Tips)~普段使っている専門用語の由来を知る

ファクトチェック(Fact check)

ファクトチェックとは、情報や主張が事実に基づいているかどうかを検証するプロセスのこと。特定の主張や情報が、真実かどうかを明らかにするために、その情報の「信頼性の確認」「複数の情報源の比較」「偏りやバイアスの認識」「公式文書や専門家の意見の利用」「データや統計の検証」「引用元の確認」「専門知識の活用」「透明性と説明責任」などについて証拠やデータを収集し、それらを分析して検証する。

ファクトチェックは、フェイクニュースといった偽情報や誤った情報の拡散を防ぐために重要な役割を果たし、メディア、ジャーナリズム、政府、市民社会などさまざまな分野で行われるようになってきている。

メディアブリーフィングや会見の開催者には、公正・正確でオープンな形式での情報提供が求められ、「情報の隠蔽や操作」「敵対的な態度」「偏見や主観的な情報提供」「情報の確認不足」「メディア関係者の尊重不足」のような行為や態度は慎まなければならない。

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河西 仁(ミアキス・アソシエイツ 代表)
河西 仁(ミアキス・アソシエイツ 代表)

かさい・ひとし/ミアキス・アソシエイツ 代表、英パブリテック日本代表。10年にわたる外資系メーカーでの国内広報宣伝部門責任者を経て、1998年8月より広報コンサルタントとして独立。以来、延べ120社以上の外資系IT企業をはじめ、ITベンチャー各社の広報業務の企画実践に関するコンサルティング業務に携わる。メーカーでの広報担当時代(1989年~)から現在まで、自身で作成・校正を手がけたプレスリリースは、2400本を超えた(2023年10月31日現在: 2421本)。東京経済大学大学院コミュニケーション学研究科修士課程修了(コミュニケーション学)。日本広報学会会員。米IABC(International Association of Business Communications)会員。著書に『アイビー・リー 世界初の広報・PR業務』(同友館)。

河西 仁(ミアキス・アソシエイツ 代表)

かさい・ひとし/ミアキス・アソシエイツ 代表、英パブリテック日本代表。10年にわたる外資系メーカーでの国内広報宣伝部門責任者を経て、1998年8月より広報コンサルタントとして独立。以来、延べ120社以上の外資系IT企業をはじめ、ITベンチャー各社の広報業務の企画実践に関するコンサルティング業務に携わる。メーカーでの広報担当時代(1989年~)から現在まで、自身で作成・校正を手がけたプレスリリースは、2400本を超えた(2023年10月31日現在: 2421本)。東京経済大学大学院コミュニケーション学研究科修士課程修了(コミュニケーション学)。日本広報学会会員。米IABC(International Association of Business Communications)会員。著書に『アイビー・リー 世界初の広報・PR業務』(同友館)。

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