ブランディングの仕事をコピーライターに頼もうと思うか?
「コピーライターという職種名を変えるのか、コピーライターのイメージを変えていくのか、どっちがいいんですかね」
と、コーヒーを飲みながら博報堂時代の後輩の小藥元くんが言った。彼は僕より約10歳若く、約10年前に独立しているコピーライター。合わせて20個先輩だ、と勝手に尊敬している。彼の本『なまえデザイン』を書店で手に取った人も多いのではないだろうか。築地の魚竹で2年ぶりのランチをしてお互いの最近の話をした後、もうちょっと話そうよとなって、銀座の文明堂でまじめな話になった。久しぶりなのに同じような問題意識を持っていてうれしかったのだが、どんな話だったかというと、こうだ。
僕たちが最近依頼される仕事内容に比べて、コピーライターという言葉は「広告の言葉を書く人」というイメージが強すぎる。「最後に言葉を整える(だけの)人」という誤解もあったりする。この問題をなんとかしないと、今の企業ニーズと、コピーライターの力が、繋がらないのではないか?もっと言うと、価値が下がる一方ではないか?AIに置き換えられるのではないか?
いろいろ話したのだが、僕たちのその場での結論は「コピーライターの名前はキープして、世の中に出す仕事の幅を広げ、結果としてイメージが変わるようにする」だった。「コピーライター」というブランドの認知は大きいものがある。これまでのイメージを上書きするように「最近、コピーライターがこんな仕事をするようになったよね」と言われるのが理想だし、がんばって行こうと。
そんな話になったのも、最近二人とも企業のブランディングの仕事を依頼されることが多いから。さらに私は最近、企業ではないけれど、西本願寺のブランド変革の仕事をして、この連載コラムを書いてきた。執筆を引き受けた理由の一つに、まさに、コピーライターのイメージを広げていきたい、という想いがあった。
クライアントである西本願寺の執行長、安永さんは「ブランディングができる人」を探していて、僕と会うことになった。安永さんのことも私のことも理解している共通の知人がいたので、つないでもらえてありがたかった。でも、ブランディングが課題だと思った時、コピーライターを呼んでくれる人はどれだけいるだろうか?
コピーライターの仕事は書く手前にある
ブランディングと呼ばれる仕事は、多くの人にブランドを知らせ伝えていく部分が当然大事になる。しかし、その手前がめちゃくちゃ大事である。僕は独立してから1年だが、振り返ってみると、そこの相談がやっぱりとても多い。
手前というのは、企業や組織にとって、変えてはいけないことと、変えるべきことを見定めることだ。なぜ、変えることがテーマなのかといえば、世の中がすごいスピードで変わり続けているからだ。長い歴史のある大企業やお寺だけではなく、スタートアップ企業だって、事業環境が創業時と変化して、自らを変化させる必要があるケースも多い。
自分が属しているチームの目標が変わった時、戸惑うことは誰にでもあるだろう。それが企業や組織の全体の目標が変わるということになれば、戸惑うだけでなく反発もあって当然である。ブランドに、多くの人の愛着があったり、長い歴史があればなおさらだ。
そんな時に、コピーライターが培ってきた書く力と想像力は「この言葉が企業スローガンやタグラインになった時、従業員の人たちはどう感じ、どう思うだろうか?」という風に応用することができるのだ。社内向けの、インナーコミュニケーション、インナーブランディングとも呼ばれる領域にも、強い。
どこで培っているかと言うと、コピーライターは「この言葉が世に出た時、人はどう感じ、どう思うだろうか?」ということを想像して仕事をしてきている。世に出た時の印象から逆算して考える仕事だ、とも言うことができる。若いコピーライターは広告という総合格闘技で多くのことを学ぶ。コピーライターと言えば広告の言葉を書く人、というイメージがあって当然だ。
ただし、実際に依頼されるブランディングの仕事は、内向けと外向け、どちらか片方だけでできるものではない。社内の人に向かう書く力と想像力、社外の人に向かう書く力と想像力、その両方をアウトプットの言葉の上で融合させることが必要になる。
つまり、クライアントの創業時の夢や、社風や社内カルチャーにはじまり、現在の商品やサービス、現在のビジネスモデル、そして現在の生活者のどんな機能的・情緒的ニーズとつながるか、これからつながりそうか、社会やメディアからどう見えるか、さらに、未来に向かってどんなビジネスが生まれそうか。全てを融合した言葉が、変革コンセプトやブランドタグラインとして結実する。
コピーライターは足で考える仕事
そのために、コピーライターは記者であるべきだ。つまり、自分の脳内だけでなく、足で取材をすることが必要。クライアントの社内の幅広い人たちに取材(ヒアリング)したストーリーは、企業のコアにある価値観をわからせてくれるし(コラム第2回)、変革のために必要なコンセプトをつくる素材となる(コラム第3回)。
そして、普段から、世の中にはどんな価値観の人のクラスターがあり、どんな気持ちを持っているか、追いかけて感じておけば、潜在的なニーズや、つながるべきなのにつながっていない人々に気づくことができる(コラム第4回、第5回)。
ブランディングの話からそれて広告作りの話になるが、私が博報堂に入った90年代半ばの頃は、コピーライターがクライアントのエンジニアやセールスの人に会いに行って、商品について取材させてもらうことも多く、その取材からたくさんのコピーのヒントを得た。
時は過ぎ、デジタル時代となり、統合プラニングと呼ばれるさまざまなメディアを駆使する高度な提案をする時代になったが、コピーライターは自分の足で取材をしているだろうか?それはクライアントの人への取材であり、生活者の生活現場への取材だ。戦略プランナーから渡された企画書だけ、デスクトップリサーチだけで考えていないか?
メディアから届けられる膨大な記事の中で、読んで「面白かった…」と思えるものは、やはり記者が自分の足で取材をし、読者の常識の上をいくような、生の現場の声と真実を届けてくれたものではないだろうか。
西本願寺の仕事であらためて開眼したこと。企業ブランディングとは、足で考え、生の人の気持ちを取材し・理解し、その上で、生活者の姿や気持ちを思い浮かべながら、世の中の大きなトレンドを感じ、未来を想像し、世に出した時の反応から逆算して、表現を丁寧に削り出していくという、非常に人間っぽい仕事なのだ。
よく見られているYouTubeコンテンツには、自分の足で取材に行ったり、自分で体験してみたりしているものが多い。そんな時代に、デスクトップだけで書いた言葉が太刀打ちできるわけが無い。記者でもあり、社会学者でもあり、詩人でもあり、心理学者でもあり、そのどれでもないけれど、時に、どれでもある。そんなコピーライターが全力を発揮して取り組むのが、ブランディングの仕事なのだ。
あとがき 連載を終えて
今回のコラムは、僕の3回目のアドタイ連載となった。1回目はロサンゼルスのエージェンシー滞在記(原田朋のCHIAT DAY滞在記 ~リー・クロウの下で365日~)。2回目はテックベンチャー滞在記(48歳のピボット・ターン 〜広告会社のCDが、テックベンチャーに入ったら〜)。3回目となる今回は、言わば、お寺滞在記。全て、頭だけでは書けない、ライブな体験を書いており、いわば取材に基づくものだ。そんな取材=経験をさせてくれた、博報堂とTBWA HAKUHODO、スマートニュース、西本願寺の皆さんには、心からの感謝が湧き出てくる。気づけば「記者」という考え方には、スマートニュースにいた時の体験が色濃く反映されている。そして、石戸諭さんの『ニュースの未来』を共に読みながら、コラムの方向を一緒に考えてくれた編集者のTさんにも大きな感謝を。
自分をコピーの世界に誘い込み、コピーライターの歴史をつくってこられた歴代の先輩方に感謝し、これから始まるAI時代にも、足と心で未来を書くブランディングの仕事こそがコピーライターの真髄だと読者にお伝えして、今回のコラムの筆を置きたい。さあ、来週に向けて、あの企業タグラインを書かなければ…。
書こう。「コピーライターって、未来を書く人たちだよね」という時代がくるように。