顧客インサイトを発見する能力を高めるには? 味の素マーケター育成の取り組み

「宣伝会議アドタイ・デイズ2024(春)」が3月1日、浜松町コンベンションホールにて開催された。本レポートでは当日行われたセッションの中でも、注目度の高かった企画を選んで内容を紹介する。味の素 マーケティングデザインセンターの稲垣英資氏と、同社のマーケティング顧問も務めるデコムの大松孝弘氏によるセッションのテーマは「顧客インサイトを発見する能力を高めるには?」。インサイトリサーチの具体的な方法論、そして味の素でのマーケターの育成の取り組みが語られた。

 


味の素 マーケティングデザインセンター副センター長 兼 マーケティング開発部長 稲垣英資氏(左)、デコム 代表取締役社長 大松孝弘氏(右)。
 

「商品を離れて、人間を見に行きましょう」

セミナー冒頭、デコムの大松氏は 2017年に刊行した自著『「欲しい」の本質』 を題材に、「インサイト発見能力を高めるとはどういうことか?」をテーマに講演を行った。大松氏が事例として紹介したのが、1歳〜6歳児までをターゲットにした幼児向け教材のビジネスだ。多くのテレビCMを投下し、0歳~6歳児の幼児がいる家庭にはA4サイズの大型ダイレクトメールを送る。それらの施策に大きな金額を投入してもなお、この企業は新規顧客の獲得に苦戦していたという。

「この会社では、かなり熱心にアンケートやインタビューを行っていました。そこで『入会しない理由』について聞いてみると、『値段が高い』『家の中にモノが増える』という内容が上位を占めていた。ある時、ダイレクトメールを受け取っても入会しないお母さんたちを集めてグルインを行いました。そこで、『値段が半分になって、モノが増えなければ入会しますか?』と聞いたところ、『いや、そういうことでもないんですけどね……』という返事が返ってきたわけです」

大松氏は「なぜ買わないのか?という質問をしても、その本質はわかりません」という。「それでは一体、どうすればいいのか?こういう時に必要なのが『商品を離れて、人間を見に行きましょう』という考え方なんです」

「幼児向け教材」には興味がなくても
「育児」に興味がない母親はいない

「人間を見に行く」とは、具体的には「ターゲットの興味関心に寄り添った、お客様理解から始める」ことだ。この例でいえば、母親たちが入会しない本当の理由はただひとつ、「興味関心がないから」に尽きる。そうした人たちに「入会しない理由」を尋ねるのは、企業としてやや傲慢だといえるのではないか、と大松氏は言う。

「それでは、どうすればいいのか?そこで考えたのは、幼児向け教材には興味がなくても『育児』に興味がない母親はいないはず、ということでした。ポイントは、育児にまつわる『不満』について聞くのではなく『価値』について聞くこと。それこそが本質に迫る道なんですね」

そこで、0歳から6歳の子どもを持つ母親に「育児における、最高に嬉しい瞬間」について聞いてみたところ、32歳のある女性からこんな答えが返ってきたという。「休みの日に、旦那さんと子どもがアウトドアで楽しそうに遊んでいる。その様子を少し離れた場所から眺めている時に、子どもの可愛らしさを純粋に味わえて、ああ、子どもを産んで良かった、と思います」

大松氏は、その女性の背景と、幼児向け教材に対する反応を次のように表現する。「ふだんは閉ざされた部屋で、子どもとふたりきり。なんとなく煮詰まった感じの毎日を送っているんですね。この女性は、幼児向け教材を見て、こんなことを言いました。『私は、出産するまではバリバリ働くキャリア女性でした。それが今では、煮詰まった生活をしている。こんなちまちました毎日に、ちまちました教材が送られてくることに、我慢がならないんです』と」

すべては「たったひとりのインサイト」から始まった

大松氏は、これが「価値から不満を紐解くこと」だと主張する。「少なくともこれが、彼女にとっての買わない理由でした。私たちはこれを『ちまちまインサイト』と呼んでいましたが、ここを払拭しなければ新規の獲得効率の改善は難しいだろう、という結論に至りました。すべての出発点は、このたったひとりの女性のインサイトだったわけです」

大松氏たちはその後、この幼児向け教材を「ダイナミックな体験を与えて、こどものやる気を引き出す教材」へと再定義したのだという。その上で一番最初に行ったのが「ブランドスローガンの刷新」だった。「新しいブランドスローガンは、『たいけんを、めいっぱい』。この言葉を旗印に、大きくふたつのことをやりました。一つ目が、プロモーションの刷新です。幼児教材がアウトドアでダイナミックな体験を与え、お子さんがめちゃめちゃやる気になっている様子を描きました。そして、2つ目が教材の刷新でした」

プロモーションと教材の刷新により、新規の獲得効率改善と継続率が同時に向上。両施策の相乗効果により、この教材はそこから右肩上がりで好調を記録していった。

大松氏は、この躍進のきっかけになったのが「ひとりの女性のインサイト」だったことを示した上で、次のように述べる。「売りたいものが幼児向け教材だと、つい直接そのことについて聞きたくなってしまう。でも、それでは本当に求めているものには近づけません。だからこそ、一度製品を離れて人間を見に行きましょう、と言っているんですね」

インサイトの発見プロセスは“探索”である

大松氏は、このプロセスを「アート&サイエンス」と表現する。「ひとりの人間の事実に着目し、そこを深堀りしていく。そこからインサイトの仮説を手に入れるんです。ひとつ良さそうなインサイトを見つけたら『可能性のコレクション棚』にそれを置き、また次の人生に向き合う。何度も何度も、空振りしても続けていく。なぜなら、アートは探索によって可能性を広げるプロセスだからです」

ひとりの人間の「生活」という“超具体”から欲求などの抽象概念を導き出し、「たいけんを、めいっぱい」のような具体の形へと再度落とし込む。インサイトを見つける過程にはこの具体⇆抽象のプロセスがあるとした。

さらにインサイトを見つけやすくする方法として、大松氏は「デビル」と「エンジェル」という“心の両面性”を意識する重要性についても話した。「幼児向け教材の例でいうと、『子どもと一緒の時間を大事にしたい』がエンジェルの欲望。でも、『ちまちました日常から開放されて、全部投げ出したい』という邪な欲求も確かにある。その両方を見ることでインサイトが見つかりやすくなります」

こうした不確実性の高い探索には、“膨大な時間を無駄にするかもしれない”という恐れも避けては通れない。そこをいかに克服して、インサイトを発見できるようにしていくのか。それが、いま味の素と共に取り組んでいる取り組みだという。

マーケティングで会社を変えていく、味の素の新組織

続いて、味の素の稲垣氏が同社のマーケティングデザインセンターでの取り組みを紹介した。同センターは、生活における食のマインドシェアの低下、消費者の行動変化、オンライン上での購買行動の増加などの環境変化を受け、昨年立ち上げられた新組織だ。

「テレビCM中心のコミュニケーションなど、従来型のマーケティングを続けていては、生活者の『選択肢』にすら上がらず衰退する可能性がある。オンライン上のタッチポイントがまだまだ少ない中、製品と体験価値がセットになっていない。そこに危機意識がありました」

一方で、同社には長年培った独自のマーケティングブランドモデルや、アミノ酸技術をベースにした高い技術力がある。製品ラインナップには「アミノバイタル」のようなサプリメントもあり、もっと消費者の生活に寄り添えるポテンシャルがあった。「そこで、マーケティングデザインセンターが今後果たすべき役割として考えたのが、『生活者を真ん中に置き、マーケティングで会社を変えていく』ことです。その際に、われわれ自身も『ひとりの生活者』であることを忘れてはいけない、と気づいたんですね。マーケティングで横串を入れることによって、会社のみんなの視野を広げていきたいと考えました」

そこで、マーケティング開発部とコミュニケーションデザイン部、そして新たにEC、D2C商品を開発、販売するDtoC事業部加え、生活者とダイレクトにつながる体制を整えた。「生活者のレビューを聞きながら商品を改良し、マーケティングサイクルをぐるぐる回していく。われわれはドライバーとして、その勢いを既存事業の中にも展開していこうと考えたわけです」

マーケター育成のための教育や風土づくり

従来のマーケティングのやり方を変えるには、生活者一人ひとりのインサイトに寄り添った発想が必要になる。そのシフトを組織的に起こすために同センターで行っている「仕組みづくり」と「熱量」について、稲垣氏は続けて紹介した。

1つ目の「仕組みづくり」に関しては、「味の素(株)マーケティングトレーニングプログラム」というマーケター育成プログラムを実施している。同社は現場でのOJTを一番大事にしているが、そこでの経験をこのプログラムで補完する。現在はベーシックゼロからアドバンスまで5コースにわかれ、一年かけて各グレードのマーケターを教育している。

インサイトの発見に関しては、社内で「機会発見セッション」の機会を設けている。社内のさまざまな部署の人の感性を通じて、生活者としてのインサイトを深掘りしていくセッションだという。さらには、グループインタビューの際にマーケターが直接インタビューを行うなど、大松氏の言う「生活者の心の襞=デビルとエンジェル」を実際に自分の目で見ることを実践している。

「欲しい」の本質 人を動かす隠れた心理「インサイト」の見つけ方』。味の素マーケティングデザインセンターのメンバーは全員本書を読んでおり、内容を理解している前提で日々議論が行われる。

 

「自分たちの領域」から離れるため、動物園へ

2つ目の「風土づくり」に関して稲垣氏が紹介したのは、昨年4月に行われた同センターの発足式だ。あえて社外の渋谷の会場を設定し、80名程度のメンバーが自由な服装で集まったという。

「発足式の後、『同年代のメンバー同士で街に出る』というイベントを行いました。しかも、ライフスタイルの導線から外れた場所に行こう、と。これは、机上でものを考える場所から遠く離れることで新しい発見をしよう、というフィールドワークなんです」

稲垣氏たちのグループでは、顧客サービスの工夫を見るために上野動物園へ。翌日にグループワークを行い、徹底的に生活者のインサイトを考えた上で『これを食品のビジネスに置き換えたら、どんなことができるだろう』と考えたという。

「自分も挑戦してみよう!」という空気をつくる

風土づくりにおける2つ目の試みとして稲垣氏が紹介したのが「スイング・ザ・バット」だ。これは、例え成果が出なくても全力でフルスイングした人にエールを送る会だ。「誰も想像しなかったような独自の着想をした人」「業界を盛り上げてみんなを元気に楽しくしてくれた人」など、その試みを自薦でアピールしてもらい、それをみんなで讃えるという。

「会社の個人評価というものは、個人目標を書いてそれを実現する、という『井の中の蛙』を生む仕組みです。そこに突然、『好きなことをやってみろ』と言われても、怖いですよね。でも、ジャンプしていいんだ、という例を見れば、自分も挑戦してみよう!という空気が生まれてくる」

今年はこの会に約50案件もの自薦応募があった。このように、「風土づくり」と「仕組みづくり」を両輪で回すことで、徐々に前進していくと考えている。「インサイトは1人で考えるよりもみんなでワイワイやった方が発見が多い」と稲垣氏。今後も「生活者をしっかりと見る」ことを組織として重視していく、と語った。

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稲垣英資氏

1990年味の素入社。家庭用営業の後、加工食品、冷凍食品のロングセラーブランド、新規ブランドなど、家庭用製品開発に長年携わる。その後、業務用・加工事業の次長を経て生活者解析・事業創造部部長。現在、マーケティングデザインセンター 副センター長兼マーケティング開発部部長。

大松孝弘氏

顧客インサイトに関するロングセラー本『「欲しい」の本質~人を動かす隠れた心理「インサイト」の見つけ方~』の著者。「世界中の人々の声なき声をカタチにする」というパーパスを掲げ、インサイトリサーチや研修事業を展開しているデコムの創業者。2022年より味の素社のマーケティング領域の顧問を務める。

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ヒットを生み出したければ、ニーズを追いかけるのではなく、インサイトを見つけよう。600件以上の案件で培ったインサイト発見のフレームワーク、活用メソッドを体系的に公開。社内の共通テキストとして、多数の活用実績あり。

 




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