出版社で活躍した手腕が買われ、CPI(広報委員会)に加入
本連載7回でご紹介した、第一次世界大戦中に活動したCPI(広報委員会、ウィルソン大統領が1917年に設立)は、エドワード・バーネイズをはじめ、その後広報エージェントとして活躍する実務家を輩出しました。カール・バイヤーもその一人です。
彼は、アイオワ大学在籍中の17歳から地元紙で記者として働き始め、18歳で支局長に就任します。その後ニューヨークのウィリアム・ハーストの出版社に入社後、かつて100万部の発行部数を誇っていたものの、廃刊寸前まで部数が落ちた『コスモポリタン』誌の販売を立て直したことが評価され、同社の雑誌販売部門の総責任者に任命されました。
この実績が政府機関の目に留まり、バーネイズが参加する1年前の1917年、バイヤーが28歳のときに共同委員長のジョージ・クリールから、幹部としてCPIへの参加を打診されました。
バイヤーが最初に取り組んだのは、大量の印刷物の経費削減でした。彼はハースト社での経験から全米各地の印刷業者を熟知しており、カタログ販売の印刷が初春と秋に大きく減少することに注目しました。この時期に大量印刷することで、今までの経費の40%もの削減に成功し、「ミラクルマン」と称賛されています。
また、バイヤーは米国内の300万人以上に及ぶ非英語圏出身の国民に対する情報提供を行い、米国民としての戦争への参加義務を説き続けました。その結果、CPIは7万5000人の戦争志願者を獲得する結果となりました。
キューバのマチャド大統領がクライアントに
1919年3月にCPIとの契約が終了後、リトアニア国民評議会から雇われたバイヤーは、CPIの同僚だったバーネイズを自身のパートナーに雇い、米国上院のリトアニアに対する承認支援活動を実践します。ここで、2人はCPIで学んだプロパガンダ手法を展開し、米国のリトアニア独立承認に貢献しました。
国内外の様々な広報案件に取り組んだ後、バイヤーはキューバの日刊紙の経営権を取得し、新聞社の経営拡大のため米国からの観光客を増やしたいと考えていました。彼は、キューバ独立運動に参加し、その後リベラル党の指導者として大統領となったジェラルド・マチャードと、米国人観光客誘致のためのキャンペーン活動に合意し、1930年にキューバの観光事業促進のためのPRエージェンシーを設立しました。
バイヤーは、キューバを一流の観光地としてブランド化する大規模なキャンペーンを企画実践しました。彼のエージェンシーによる戦略的計画とタイミングの良さにより、キューバには1年間で8万人から16万5000人の観光客が訪れました。
バイヤーは1932年に「カール・バイヤー・アンド・アソシエイツ」をニューヨークに設立し、マチャド大統領は同社の広報最初のクライアントとなりました。
順調だったキューバの観光キャンペーンですが、マチャド大統領がその専制政治のために1933年に失脚したことで、大統領をクライアントとしていたバイヤーとエージェンシーには、後々まで厳しい批判が浴びせられました。
現在まで続く、広報エージェントのビジネスの土台を築く
さて、バイヤーは「カール・バイヤー・アンド・アソシエイツ」設立にあたって、次の3項目を社是としました。
- 新規クライアント獲得は自ら行うのではなく、自身の名声によってのみ可能となる
- クライアントはアニュアルフィーと必要経費を支払う
- 組織にはエグゼクティブと運営スタッフ部門を置き、1クライアントに1名のアカウント・エグゼクティブを、必要に応じて他のスタッフも配置する
これらは、現代広報エージェント経営の基本ともいえる考え方であり、特に1クライアントにつき1担当者がつくという仕組みは、広告業界でも広く行われています。
バイヤーは1957年に亡くなりますが、1986年にヒル・アンド・ノウルトンに買収されるまで、カール・バイヤー・アンド・アソシエイツは社名を変えることなく続きました。彼はアイビー・リーやバーネイズほど、パブリック・リレーションズのパイオニアとしての名声や評価は受けていませんが、現代広報の歴史の中で忘れてはならない先駆者の一人です。
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一業界1社1担当制
「一業界1社1担当制」とは、特定の業界や市場において、ある企業や組織が他の企業や組織との競合を避けるために、1つの業界に対して1社だけを担当するという方針や原則のこと。広報・広告業界では、一般的に競争を最小限に抑え、価格競争やマーケティング競争を回避するために採用されている。
このアプローチでは、各企業が独自の市場セグメントや顧客層を持ち、直接的な競合関係を避けることができるが、最近はこの原則があいまいになっており、エージェンシーによっては同じ業界のクライアントを複数抱えているのが現実となっている。