米メジャーリーグのデジタル顧客体験改革、年間球場来場者数が9.6%増

アメリカ・ラスベガスで3月26日から28日(現地時間)の3日間、アドビが主催する年に一度のデジタルエクスペリエンスのカンファレンス「Adobe Summit 2024」が開催された。27日の基調講演には、MLB(メジャー・リーグ・ベースボール)チーフオペレーションズ&ストラテジーオフィサーのクリス・マリナック氏が登壇。MLBではデータを元に顧客体験をパーソナライズすることで、2022年から2023年にかけて年間の球場来場者数が9.6%増加したという。150年の歴史があり伝統を重んじられている球界の顧客体験を、どのように変革していったのか。

イノベーションはフィールドから始まる

MLBではここ数年、「試合の長時間化により若者の野球離れが進んでいるのではないか」という仮定を背景に、最高責任者のロバート・D・マンフレッド氏を筆頭に、試合時間を短くするためのさまざまなルール改定を推進してきた。

そんな中、2023年シーズンから新たに導入されたのが「ピッチクロック」という制度だ。投球間に時間制限を設けるもので、試合時間を短くすると共に、ヒットや盗塁が増えるようなファンが喜ぶ試合展開を促進するものだった。

「時計というものが無いスポーツだった野球に、時計を組み込んだのです。これにより、試合時間が1984年以降初めて短縮化されました。また試合ごとの盗塁試行数も高くなり、ファンを喜ばせる結果となりました」とクリス氏。

平均試合時間が大幅に短縮化された。約2時間40分となったのは、1984年以来初。

試合ごとの盗塁試行率が上昇。

こうした取り組みによって、年間約6460万人(2022年)だった球場への来場者数が約7070万人(2023年)となり、9.6%増加した。また来場者のみならず、テレビでの試合の視聴率の向上や、デジタルプラットフォーム上での顧客との接点の増加も実現した。

前年比9.6%増と、過去約30年間で最大の伸び率となった。

変革の3つの心得

来場者数の増加には、他にも要因がある。

まず前提として、なぜルール改定という変革を実現できたのか。特に伝統ある組織であれば逆風が強くなりがちだ。MLBはどんなことを心がけて、変革を推し進めてきたのだろうか。クリス氏はその心得を3つ挙げる。

クリス氏はMLBでのイノベーションが成功した要因を3つ挙げる。

「ひとつに、顧客やファンの声を聞くことです」とクリス氏。ただ自社が成功すると思う変革をするのではなく、顧客やファンに彼らが求めていることを聞き、それに結果として応えられるようにデザインをすることが重要だと指摘する。

二つ目は、「大きな変革を正しく確実に行うためには、事前に頻繁にテストをすることが必要だ」ということ。今回はMLBの傘下にあるマイナーリーグで、ピッチクロックの導入テストを繰り返し、そこでの結果を経て成功を革新したうえでMLBに導入したという。

そして三つ目には、ステークホルダーを教育することに時間を惜しまないこと、と挙げる。

「ルール変更の目的や、背景や理由、なぜ現場でも変革を推し進めるべきなのか。そういったことについて選手や監督、ファンと長時間コミュニケーションをとり、意図を伝えました。そのように事前に準備をしておくことで、実際に変化があった時に、ステークホルダーも受け入れの準備ができている状態になります。結果として喜んで受け入れてくれたと考えています」(クリス氏)。

鍵はデータを元にした顧客体験のパーソナライズ化

先述の試合時間の短縮化に並行して、顧客体験の刷新も図っていった。

MLBでは顧客のファーストパーティデータを収集し、顧客をより正しく理解すべく、試合をリアルタイムで追えたり好きな選手の戦果をフォローしたりできる「MLBアプリ」や、メジャーリーグの野球場を訪れる際のチケット管理のための「MLB BallParkアプリ」、MLBの試合をストリーミングできる有料の「MLB.tv」といったデジタルプロダクト、チケット購入サイト「tickets.com」などを有している。

その顧客データ基盤を元に、ここ数年は球場での体験をデジタルで底上げすべく戦略方針を転換。2017年にはデジタルチケットの利用者が14%だったのが、2023年には91%にまで浸透した。

「これにより、球場に来る人が本当はどんな方々なのか、理解が進みました。たとえば多くの報道で“ワールドシリーズの視聴者は55歳以上だろう”と言われていましたが、実際私たちの『MLV.tv』での視聴者を調べてみると平均年齢は45歳でした。また『Tickets.com』でのチケットの購入者の年齢の中央値は44歳、そして私たちの顧客データベースにおける平均年齢は41歳でした。さらに2023年に新たにMLBのファンデータベースに加わった顧客の平均年齢は36.2歳。こうした正確なデータを元に、1to1のコミュニケーションが図れるようになってきたのです」(クリス氏)。

現在では1億以上の顧客データを有している。それをベースに、Adobeの画像生成AI「Adobe Firefly」やオムニチャネルでカスタマージャーニーを統合管理できる「Adobe Jpurney Optimizer」、アクセス解析ツール「Adobe Analytics」など用いて、各顧客に合わせて体験を最適化している。

そうしたデータを元に、具体的には、次のような体験を提供している。

「まず、カート落ち(購入カートに入れたものの最終購入に至らない状態)を防ぐためのキャンペーンを自動化しました。チケットを購入しようとすると、Adobeと連携して、チケット購入と野球場への来場を勧めるメールが自動的に送信されます。また顧客データプラットフォームで、AIによるセグメンテーションを構築しました。どんなファンが最も購買意欲が高いかを把握するためにさまざまな変数を活用し、それを元にSNS広告を配信しています。結果として、通常のキャンペーンと比較して非常に効果が高まっています」とクリス氏。

AIを活用した顧客のセグメンテーションにより、SNS広告の成果が大幅に向上した、とクリス氏。

また先述の「MLBアプリ」などでは、ファンはお気に入りの選手を選べるようになっている。「たとえば大谷翔平のファンが誰で、そのファンがどこに住んでいるかを把握しているんです。そのため一般的にはフィラデルフィアに住む人には地元チームの『フィラデルフィア・フィリーズ』の広告が配信されがちですが、フィラデルフィアに住む大谷翔平ファンのために、彼のチームが街に来たときに広告を配信することもできるんです」(クリス氏)。

ファンのお気に入りの選手や居住地のデータを有しているために、野球チームの地元のファン意外もターゲティングが可能に。

また球場での体験も刷新が進む。「MLB Ballparkアプリ」では球場にデジタルチケットでチェックインした来場者にリアルタイムで通知を送れるが、2023年からは、その内容をカスタマイズした。

「Ball Park アプリ」では来場客の席に近い場所の食事の提案や、席のアップグレードなどの提案を通知で送ることが可能。

入場すると、その人の観覧席の近くでどんな食べ物が購入できるかが表示され、オンライン注文の方法など、球場でのより充実した過ごし方についての提案がされる。空きがあれば、より良い席へのアップデートの提案が入ってくることも。

また2024年シーズンからは、その通知機能と、MLBのデータ解析ツールである「Statcast system」が連動。「Statcast system」はボールがバットから離れたタイミングや、ボールの速度、着地点を解析するもの。通知機能と連動することで、たとえばあるプレイヤーがホームランを出したときは、「あの選手の記念品やユニフォームはいかがですか?割引もあります」といった通知を送ることができる。

「そして最後に、球場での体験を思う存分楽しんでいただき試合が終わった後に、『次の試合の割引チケットを購入しませんか?』という通知を送るんです。体験をパーソナライズすることで、また次にできるだけ早く球場に戻ってきてもらえるようにしています」とクリス氏。

勝利したチームのファンには、次回の試合のディスカウントも提案。繰り返しの来場に繋げる。

こうした一連のコミュニケーションにより、冒頭の来場者数増という結果を導き出した。

「私たちのような伝統的なビジネスにとって変革は簡単ではありませんが、明確な目標があることでそれは実現に近付きます。引き続きデジタルでの顧客体験の改善に取り組んでいきたいです」(クリス氏)。

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